生徒が学校内で行動する場所は案外限られてくる。何故か、と問われれば〝使用時以外は鍵がかかっている教室ばかりだから〟である。特別室、特に危険な薬品や器具のある化学室や調理室は勿論だが、美術室や家庭科室など、実技科目で使うような教室は高確率で鍵が閉まっている。屋上も絶対禁止で、バリケードのように扉の前は封鎖され、誰かが学校で一番高い場所に立っているのを見たことも無い。特別な理由がない限り、学外に出るのもダメ。
 そうなると昼休みという自由時間、昼食をとる場所はどこか、となると皆は大体同じ場所にいる。
 各自教室や中庭、体育館や渡り廊下等、定番なところに人は集まる。因みに我が校は学食が存在しない。地元の他校に、ある所はある、とも聞いたので、少し羨ましいなと最初は感じたものだ。まあ、それは高校生活の途中で考えるのをやめたが。
 私の休み時間で過ごすのは、先程述べた特別教室が多く設置されている棟の、三~四階にかけての踊り場。この階段の一番下まで下りれば音楽室があり、色々な楽器の音が聞こえるので吹奏楽部員が練習しているようだが、この階にかけては利用したり用事がある人も居ないのか、ここで過ごすようになって二年近く、一度も人と出会ったことは無い。
 なので、他人から姿の見えない人物と会話をしながら食事をするには、もってこいの場所なのである。
「今日一緒に行動してて分かったけど、本当に陰湿なのばかりなんだね」
 お母さんお手製のお弁当に入っていた、卵焼きを口に運ぼうとしていた時だった。星叶が私の数段後ろで腰かけながら言うものだから、卵焼きをゆっくりと弁当箱に戻して、彼女の顔を見るために首を後ろに向けて捻る。
「そう思う?」
「思う」
 即答だ。彼女は少し呆れながら、膝に肘を置いて頬杖をつく。
「特別目につく物。制服や靴には手を出さないけど、先生が目にしないノートや私物はぐちゃぐちゃにするか捨てられる」
「うん……」
 他校では提出する機会も多いかもしれないが、我が校はノートなどの類を提出することは無い。中学生時代には、提出する機会は多々あったが。
 この学校は勉強でも何でも自主性を推奨している。勉強を望んで入学する人が大多数だからだ。だから、宿題というものもあまり存在しない。個人で使うものを先生が目にする機会は、滅多に無い。
「嫌に賢い奴ばかりだから中々ボロを出さないし、先生などの目のつかない、耳の届かない場所での暴言は多い。アンタの性格を見越してる」
 その通りだ。私が他人に弱いところを見せたがらない、意地になりやすい、その割には弱気な性格を相手は知っている。一番私にとって辛いと感じるものを理解している。
 私だって最初は一人で立ち向かおうとした。
けれど、やった人間は絶対に認めない。
 周りの人間も、チクったら次は自分がやられると分かっているから、全員が口を噤むか同調してくる。
「そう、だね。私がこんなだから」
 ポツリと呟いた私の言葉を聞いて、後ろから「はあ?」と大きく響くような素っ頓狂な声がして、小さく肩が跳ねる。
「何? もしかして自分のせいだと思ってんの?」
「え、まあ。星叶の言う通り、こんな性格だし……」
 私が慌てて口にすれば、彼女は額に手を添えて首を横に振りながら、呆れたように深いため息を吐く。
 そしてすぐに階段をドスドスと――彼女は生身ではないので音はしないが、生身の人間だったらそう音が響くだろうと思った――力強く足を踏み下ろして降りてきた。
 しゃがみこんでいる私の視線と合う場所まで降りると、彼女は腰に手を添えて腰を曲げ、ズイッと顔を寄せてきた。唐突な迫力のある行為に、思わず体が仰け反る。
「確かにアンタは大人しいし、そのくせ弱みを見られたくないからプライドが高くて、人に頼るのが下手くそな奴だけど!」
 ボロクソに言うじゃん。グサグサ、と言葉の矢が体中に刺さった気がする。
「あいつらは無理やりくだらない理由をこじつけて、アンタをいじめて私欲を満たしたいだけ。いじめている奴が、完全に悪いの!」
 心の中で体中に刺さっている矢を引き抜いている気分でいると、彼女はきっぱりと鋭く強い語気で言い放つ。その力強さと言葉の内容に目を瞬かせ、ずっと欲しかったはずの言葉をもらったはずなのに、簡単に自分は受け入れてくれない。心の中の私が自信を無くしているのか、それでも、と首を下げた。
「でも」
「でもじゃない! 何があっても暴力は暴力で、犯罪は犯罪に括られるでしょ?」
 彼女の正論に、自動的に首を縦に振る。
「それと同じ。先に手を出した、実行した奴が負け。ただの馬鹿。そんな相手に対して、自分を卑下する必要なんてこれっぽっちも無い!」
 腕を組んで胸を張りながら一括する彼女の声は、怒りの感情が表に大きく出ているようだったが、彼女の隠せない優しさと慈悲が籠っていた。
 今までの自分だったら委縮していたかもしれない迫力だったが、私の胸が内側からじんわりと熱を持った気がした。そのまま熱は込み上がってきて、目頭が熱くなって涙が出そうになった。
「そう、なのかなあ」
「そう。だからアンタはアンタの味方、居場所を作るべきだって話になる訳」
 声のボリュームは下がって、今度は私の横に並ぶように腰かけてきた。成程ね、そこで彼女に提案された話に戻る訳ね。
「でも、急に言われてもどうすれば」
 味方と居場所の大切さは、彼女の説教によって分かってきたつもりだが、だからといってすぐに作れるわけではない。そもそも、作れていたらこんな思いもしていないし目にも遭っていない。特に私のような人間は。
 目を泳がせて困っていると、星叶はそのまま、ふふんと自信満々な表情で提案する。
「私に案がある!」





 学校に着くタイミングは、遅刻はせずに独りになる隙をあまり与えない時間を計算している。逆に下校時は、先生に用事を頼まれない限り、即座に教室から出て、誰とも会話もせずに早足で学校を去る。予備校に行くのは、学校から直接向かう。たどり着いたら、授業開始の時間までは、早めに席を確保しておいて、学校の予習復習を済ませておく。
 だから、本日もその予定で行くのだと決めていたし、思っていったのだが。
「こんなギリギリの時間に着いたら、絶対に席なんてない……」
 肩に重いものでも背負っているのか――実際に参考書などが入っているので、間違いではないが――と言わんばかりに背中が丸まっていく、がまた星叶に背中を叩かれそうなので慌てて背筋を伸ばした。
 星叶の言う案とは、授業開始ギリギリの時間をめがけて予備校に向かうというものだった。全く意図が読めなかったが、彼女の言う通りに、私は学校の図書館で時間をつぶしたり、それでも時間が余ったので星叶が行きたいという場所に連れていかれたり、本屋で歩き回り結局は数冊を買い込んでしまった。
 結果、彼女の計算通りに、授業の開始時刻の十分前に到着という形になってしまった。
 背筋は曲げなかったが、深いため息を吐いた。
「良いから良いから! 急いで教室に向かいな!」
「誰のせいだと」
 星叶が走るポーズをとるので、私は心を急かしながら予備校のある建屋に駆け込んだ。
 自分の教室を目指して早歩き気味の小走りをしたせいか、いつもより大きな音を立てて教室に飛び込んでしまった。教室の中は、思った通りに生徒であふれている。大きな音がしたからか、教室の数名にこちらへ目を向けられて、思わず声と息を詰まらせた。
 慌てて周りを見渡すも、案の定、いつも私が座っている席は先客が居た。深いため息を吐いて顔を手で覆い、指の隙間から思わず星叶を睨みつけてしまった。
 自由席、と言われても、人間とは自然と己の縄張りを主張する生き物だ。それは私にも含まれている話であり、寧ろ私は縄張りを主張している側の人間だった。
 いつも誰かが座っているな、と周りが思い込めば、自然とその席を人は避けて別の場所を選ぶ。それを繰り返していけば、自然と自由席だったはずなのに固定席となっていく。そうした〝暗黙のルール〟のようなものが、この予備校にも存在していた。
 だが、今日はいつもいるはずの私が居ない、というのもあったのだろう。私の席を腰かけているのは、最近入ったばかりだと思われる学生が腰かけていた。教室は半分人間が固定気味になっていたので、記憶に薄いがそう確信した。
 きっと、暗黙のルールのようなものを知らないし、周りも別に席が決まっているわけではないから声もかけなかったのだろう。
 仕方がない。誰も悪くない。まあ原因を無理やりにでも作ろうと思えば、作れるのだが。隣にいる星叶へじとりとした目を向けてしまった。
 けれど、そんな目を向けられているはずの彼女は、私の視線など気にせずに教室内を見渡している。そしてとある場所に視線を固定した。彼女につられて向けた先には、三人掛けの席に一人で座っている女の子の姿だ。空いている椅子に鞄も置いていないから、席の予約もされていない。
「あの席にしなよ」
 星叶は笑みを込めながらその席を指さす。
他にも空いている席はあるが、同年代の女性の方が少し気は楽だろう。学校の女子が怖くて多少の不安はあるが、異性と関わるよりは緊張はしない、はずだ。
 小さく頷いてから、その席に向けて足を進める。近づいてみると、左端に腰かけている彼女の隣の椅子、真ん中には荷物は置いてあるが、一番右の席には何も置かれていない。
 私が近づくと、彼女はゆっくりと顔を上げた。黒髪でボブヘアーだがふわふわな髪質なのか、まるでパーマをかけた様なくるくる加減が可愛らしい。くりっとした丸く大きな瞳に、鏡のように私が映っているような気がして、少し腰が引けてしまう。
 そんな私を星叶は許してくれるはずもなく、半歩下がりそうな私を、背中を叩いて活を入れてきた。結局背中を叩かれる羽目になってしまった。
「えっと、この席って空いてます……?」
 右側の席に当たる机を指先でトンと叩きながら問えば、彼女は私の顔を見て少し意表をつかれたような表情をしてから、すぐに意識を戻すようなそぶりをして首を何度も縦に振った。
「空いてます! どうぞ!」
 声が少し大きくて今度は私が驚く番だった。驚いたことで少し仰け反ってしまったが、慌てて礼を述べてからゆっくりと席に腰かける。
 予備校の授業で使うテキストやノート、筆記用具類を鞄から取り出している最中、隣からずっと視線を感じていた。
 何故見られている? 何かおかしな点でもあっただろうか。それとも、ギリギリに駆け込んできた私を睨んでいる?
 分からない。だからこそ、どうしたのかと声をかけるのは恐ろしい。
「あの……」
 一人で悶々と考え込んでいたら、左から声をかけられた。この場で左から声をかけられるのは、彼女しかいない。少しだけ弱々しい彼女の声を聞いて、怒っているわけではないのだと瞬時に判断した私は、少しだけゆっくりとした動作でそちらに顔を向けた。
「どうか、しました?」
「えっと、その、頼みごとがあって……」
 怖がりで人に接することに恐ろしさを感じている私だから、声は少しだけ震えていたし、彼女に負けずに弱々しいもので恥ずかしくなった。けれど、彼女は目線を少し泳がせながら、両手の指先を合わせて指遊びをするようにしながら、私に頼みごとをしてきた。
 不安、心配なときにする動作なのだろうとすぐに察した。首を傾げてから頷いて、何かと問えば、今度は真っすぐに私の顔を見て、内容を口にする。
「テキストを、忘れてしまったので……一緒に見せてもらっても大丈夫ですか?」
 彼女の願い事に、思わず数回の瞬き。ちらりと机上に目を向ければ、彼女の言う通りにテキストだけが置かれていない状態だ。
 これは確かに、頼みごとをするのは勇気がいるだろう。この予備校に通っているということは、全員がどこかの有名大学などに進学希望する人達ばかりだ。己の勉強に集中したい人ばかり、だと思う。実際に私も集中できるからという理由も含めて、この予備校を選んだわけだし。そんな相手に、テキストを見せてほしいと頼むのは、私でも、いや私だからこそもっと勇気がいる。
 隣に誰も来ないから、見せてもらえる人も現れないし、大層慌てただろうし、不安も大きかっただろう。
「大丈夫だよ」
 頷いてから、テキストを彼女からも私からも見える位置に置けば、少し伏せ気味だった彼女の顔が弾けるように上がって、驚いたような表情をしてから、すぐに安堵したような満面の笑みを見せてくる。
「ありがとう!」
 彼女は自身の鞄をさっきまで自分が座っていた位置に動かして、私の隣の席に移動してきた。確かに見るにはこっちの方が不便はないけれど、急に隣に人がやってきたから少し驚いてしまった。
 驚いている私を見て、今度は人当たりのよさそうな笑みを彼女は浮かべた。
「えへへ、本当にありがとう。めちゃくちゃ焦ってたから本当に助かった」
 両手で口元を挟むようにして、その指の隙間から「ふふふ」と笑みがこぼれ出てきた。コミュニケーション能力の高い子だ。
 少しだけ呆けていると、彼女は口元から手を外して、今度は自身を指で示した。
「私、水月暁音(みなづき あかね)。今日はよろしくね」
 自己紹介をされたのなら、こちらが無視をするわけにもいかない。
「私は火燈蛍」
 胸元に少し手を添えて名乗れば、彼女は少し驚いたような表情をする。どうしたのかと問えば、すぐに笑顔で何でもないと首を横に振るのだけれど。
 疑問を抱えていれば、講師が入ってきた。私達は慌てて体の向きを教卓と向き合うように正面を向いて、姿勢を正した。