那沙さんのお宅に向かう途中で昴さんと合流した。彼は片手を軽く上げながら挨拶をしてくれて、そのまま私の隣にいる星叶に目を向け、苦笑い気味だけれど少しだけ顔をやわらげた。
「昨日よりはマシかな?」
「昨夜は見るに堪えない感じでしたね」
 私が笑いながら言えば、照れ隠しなのか、星叶に無言で力強く背中を叩かれた。相変わらず力加減が微妙だ。
 昴さんも音の響き具合から中々の威力だと察したらしく、私の背中に手を添えながら星叶に叱咤していた。まるで妹とお兄ちゃんである。
 けれど、まだ加減が出来るほど彼女の心に余裕はあまり無いのだとも分かる。

 教えられた住所とマップを頼りに三人で歩いていけば、とあるアパートの前に那沙さんがスマホをいじりながら立っていた。
 先ほど昴さんが、もう少しで着きそうだと連絡したから出てきてくれたのかもしれない。こうしたところが、二人とも真面目でしっかりしている大人だなぁと、惚れ惚れしてしまうのだ。
 彼女は私達に気が付くと、笑顔を浮かべて手を振ってくれた。
「お疲れ様。迷わなかった?」
「はい、大丈夫です」
「よかった」
 にこりと笑みを浮かべた後、彼女も昴さんと同じように星叶に目を向けてから、先程の彼と同じような顔をした。
「私の時と違いすぎる」
 ふふ、と小さく笑みを浮かべつつも、彼女は優しい目で星叶を見る。
「けど、そうだよね。高校生だもん、当たり前か」
 この中で唯一社会人としての経験を持つ、大人と括られる彼女だからこそ、なのかもしれない。「今度は大人の私も頼ってね」と那沙さんの優しい言葉遣いと声色に、星叶はそっと視線を逸らした。
 照れているのか、それともムズ痒い気分になったのか。元々は自分が手助けをした相手に同じような言葉を返されるのは、不思議な感覚なのだろう。

 那沙さんの家は、一Kらしい広さの、可愛らしくも綺麗な部屋だった。清潔感のあるオールホワイトカラーで、置かれている小物も可愛らしく、生活感のあるものはしっかりと収納されていた。
「とても素敵な部屋ですね」
「え? えへへありがとう」
 私と昴さんが腰かけていたら、彼女は四人分のジュースを用意してくれた。私の言葉に彼女は照れながらも礼を述べ、それぞれの前にコップを置いていく。
「でも、ちょっと前まではすっごい汚かったよ」
 ね? と星叶に同意を求めると、彼女は何度も首を縦に振った。
「めっちゃヤバかったよ。一緒に掃除した」
「そうなんだよねえ」
 頷きながら呟いて、彼女も腰かけた。
 昨日も星叶はお茶を飲んでいなかったけれど、飲み食いはやっぱりしないのかな。そんな疑問を抱えながらオレンジジュースにささったストローを口にくわえて吸う。オレンジジュースの酸味が口内に染み込んできた。
 部屋が静寂に包まれて、少し気まずいなと思っていると、昴さんが手を上げる。
「えっと、どうします? 早速本題に入ります?」
「そうしましょう」
 この沈黙に少し耐えられなくて、食い気味に頷いた。
「えっと、昨日は最後の課題の相手を怒らせた、って話を聞いたところだったな」
 昴さんが星叶に確かめるように問うと、彼女は胡坐をかいて、ぽつぽつと話し始める。

「まず、最後の課題である〝水月晶斗〟に会いに行った」
「何かしてた?」
「アンタらと同じだよ。死のうとしていた」
 私達と同じという言葉に、ここに居る全員の心臓が大きく跳ねたことだろう。
 現に私だって、息を小さく飲んで、心臓は大げさなほどに騒いだ。ここに居る人達が、死のうとそれぞれ行動をしていたのだと、改めて認識した。
「えっと、その人については詳しく知らないの?」
 話題を逸らす意図も込めて、星叶に問う。
 彼女がずっと課題と口にしているのだから、私がやっている学校の課題のように、何か教科書のような、資料集のようなものを持っているのかなという憶測だ。
 それに、私と出会った時、彼女は私の名前をもう知っていて、私の状況すら理解していた。ということは、前もって何かで予習していた。ということにならないだろうか。
 私が問いかけると、彼女は思い出したように、どこから取り出したのか分からない紙の束を私達に見せて私に手渡した。
 予想が当たっていたのと、どこから取り出したのという疑問で驚きの声がこぼれたが、何とか礼を述べて受け取る。
 そのままテーブルの上に置けば、那沙さんと昴さんが覗きこんで見る。
 表紙には『課題四 水月晶斗』と書かれており、証明写真のようなブルーバックな背景に、正面を向いている写真が貼ってある。
「この子が」
 ぽつりと呟きながら紙をめくって、詳細に目を配る。

 水月(みなづき)晶斗(あきと)
 花巻台高校一年生。家族構成を見ると、見慣れた名前も表記されている。私達の想像通り、灯彩さんと暁音さんの弟だ。
 彼が心に抱えているものは、親密な人が目の前で交通事故に寄り亡くなったのを目撃したこと。
「目の前で交通事故によって人が亡くなるのを目撃した場合、他人でもカウンセリングが必要になるくらいだ。親密な相手なら余計に心を病むことがある」
 昴さんが口にすると、思わず彼と同時に口を噤む。
 もしかしたら、私達も、家族などに同じ思いをさせていたのかもしれない。という思いが、今更ながら大きくなったのだ。
「……人の死が原因なのは難しいと思うけど、大丈夫?」
 那沙さんが問うと、星叶が立ち上がった。
「……監視してくる」
「え、ちょっと」
 私達が何か言う前に、星叶は開いていた窓から出てベランダから飛び降りた。悲鳴を上げそうになったのをこらえて、慌てて窓からのぞき込めば、そこに彼女の姿は無かった。
 姿を消したのか、それとも天使の羽根で移動をしたのかは分からないが、その身を落としたわけではなさそうだ。
「もう!」
 思わず声を荒げて、ベランダの手すりを力強く殴った。