「想像の何倍もハロワの人優しかった」
「人間って何でも考えすぎんだよねえ」
 必要書類を星叶ちゃんと共に汚い部屋から漁りだして、ついでに掃除もして、そして気合を込めてハロワに突撃したら意表を突かれた。
 まず、自分の思った以上に、仕事を辞めて相談する人が多いこと。自分だけではないんだ、と心のどこかが安堵した。
 自分の番が回ってきたときに説明を受けていれば、担当のお姉さんが優しく「長い間頑張りましたね」とか、失業手当の説明をするときに「あなたが頑張ったから貰えるものです。安心してください」とありがたい言葉までもらった。
 もっと怖い場所だったと認識していたのは、就活の時の私がまだ幼かったから、大人が怖いと思い込みがあったのか。とにかく、今回は運がよかったというのもあるかもしれない。
 この施設に来るのは、どうもあと一歩の勇気が出なかった。もしかしたら「こんなことでやめたのか」という思いが自分の中にあって、お金をもらうのが申し訳ないと思っていたのかもしれない。けれど、こうしたお金をもらえるのは、ハロワのお姉さんが言っていた通りに、自分が頑張ってきたもので、ご褒美の様なものだ。胸を張って受け取っていいはずなのだ。
 まあ、申請したからすぐにお金が手に入るというわけでもないし、貰える期間は限られているし、期間の最中でも「自分は就職する意欲があります」という意欲を示さないといけないのだが。例えば、ハローワークで相談するとか、企業の説明会に参加するとか、自分に向いている仕事の相談とか。色々な手段はあるけれど、難易度は案外低くて驚いた。

 こうして外に出て、一歩を踏み出した。つい昨日まで、暗い部屋でずっと安全な場所である布団の中にずっと籠って、鬱々と日々を過ごしていたのに。
 外のにおいをかいだのも、太陽の光をあびたのも久しぶりで、これだけでも自分に自信が少し持てるような気がした。
「この後どうするの?」
「どうしよう」
 こんなにすんなりと事が進むとは思わなかった。時間も全然かかっていないし、時刻はお昼もまだ先だ。
「じゃあ買い物じゃない?」
 星叶ちゃんが顔を輝かせている。そういえば、身支度をしていた時にそんなことも言っていたな。頑張った自分へのご褒美を忘れない様に、だったか。
「折角だし、少し街を散歩しようかな」
 足を踏み出して、街の中で店が多く並ぶ一番の大通りへ向かうと、星叶ちゃんの方が楽しそうだ。そんな姿を見て、小さく笑みがこぼれる。楽しそうな人と一緒に居ると、自分の気持ちも明るくなるものなんだな。
 もしかしたら、彼女はこうしたものが好きなのかもしれない。髪の毛に星型の小さいヘアクリップを散らばせているし、ネクタイにも可愛らしいヘアピンをつけている。私の服を選んだ時も、センスが良かったしメイクもヘアアレンジも完璧。
「何を買うの?」
「どうしよう、何も考えていなかった」
 少し前までは欲しいものであふれていた気がする。あれも可愛くてほしい、これも可愛いからほしい、とお金が足りないなあと嘆いてもいたはずだ。
「じゃあ、星叶ちゃんが選んでよ」
「私が?」
「うん、冬に向けてのコスメとか。そろそろ新作出るだろうし」
「確かに。アンタはそういうの好きだよね」
 少し感心するような目で見てくる。きっと私の部屋に置いてある、数多くのコスメなどが思い浮かんでいるのだろう。
「小さいころから好きなの?」
「そうだね、大好きだったよ」
 脳内に過るのは、美少女が変身するアニメだ。元から可愛らしい容姿をしているのに、光に包まれて、その光を破り捨てれば、ポーズを決めながら現れる。更に可愛くて美人な女の子になるのだ。
 幼い頃は大層憧れて、幼稚園の頃は将来の夢がそう言った系統だった気がする。
「まあ、憧れるだけだったよ」
「グッズとか? そういうのは?」
「買ってもらえなかったなあ」
 思わず遠い目をする。
「両親の仲が悪くてね。結局離婚したけど、母と共に暮らしていて生活に余裕は無かったし」
 父親は最低な人だった。妻子が居るのに浮気をして、そしてその相手に子も作った。家に居る時に良い思い出も無い。不快を表せば拳が飛んできたし。離婚した後はどうなったかは知らない。
「よく考えたら、幼い頃から男運がクソだったのかも」
 はは、と苦笑いを浮かべながら頬を掻く。
 離婚した後の母も、あまり〝良い人〟と言い切ることは難しかった。私が高校生の時に母が彼氏を作ってはフラれて、その度に泣いているのを見ていた。男運の無さは遺伝か。

 歩き続ければ、コスメが充実している専門店に着いた。店の中に入れば、様々な化粧品が集まった、少し甘い独特のにおいがした。
 店員の声を聞き流しつつ、隣に歩いていたはずの星叶ちゃんが前に出て、マニキュアエリアに向かって行ったのでついていく。
「成程ねえ。中々に濃い家庭生まれのようで」
「だから高校卒業と共に家を出たよ。そこからずっと一人暮らし」
 今頃どうしているかもよく知らない。連絡も取っていないし、お盆や正月にも家に帰っていない。向こうから連絡も来ていないから、私の事はどうでも良くなったのかもしれない。新しい彼氏、もしくは旦那でも出来たかもしれないけれど、私は全く分かっていない。
 マニキュアを手にとっては眺めて、棚に戻して。を何度か繰り返していくと、星叶ちゃんが「あ!」と声を上げた。
「その色良くない?」
 たまたま私が手に取ろうとしていた物を指さす。よくみてみると、どうやら少しくすみのラベンダー色だったようだ。確かに可愛い色だし、持っていない色合いだ。
「じゃあ、この色にしようかな」
「え、自分で選ばないの? 本当に買うんだ」
「選んでもらうって、特別感あるじゃない」
 ということでお会計。退職金もあるし、近いうちに失業保険も入るとはいえ、お金に限りはある。あまり多く使いすぎたくは無い。
 だけど、今日くらいは、少し自分に甘くても許されるだろうか。

 買い物を終えると、時間はお昼ごろとなっていた。
「折角だし、どこかで食べようかな」
 スマホを使って、近場にお腹を満たせるようなお店がないかと探す。できれば、今日はお洒落なところ、少し気持ちが落ち着くことができるようなところ。そう言った場所、食事をとることが出来るお店が良い。
 検索すると、ここから少しだけ歩くが、評価は高いカフェを見つけた。ネットに表示されるお店の外装写真も可愛いし、食事もおいしそうだ。
 このお店にしようと決めて、道案内をスマホに頼むボタンを押した瞬間「げ、」と星叶ちゃんが声をこぼした。
 どうしたのかと振り向くと、彼女は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「どうしたの?」
「なんで皆、ここに集まるんだ?」
「え?」
 どういう意味かと問う前に、店に着いた。写真通りに、少し北欧風の可愛らしい雰囲気の外観だ。
 辞めた方が良いのだろうか、と思ったが、彼女は何でもないと言いたげに首を横に振っている。本当に大丈夫かと再度問うても、本当に大丈夫だからと背中を押されたので、気にしすぎないことにする。
 チリン、と軽やかな鈴の音が鳴り、扉が開かれる。それと同時に店員であろう人物が振り向いた。
「いらっしゃいませ」
 そう声をかけられた。
 ガラス細工のように透き通るような声。瞳の奥には澄んだ一点のきらめきが映り、束ねた柔らかそうな栗色の髪一本一本はしなやかに揺らめく。まるで穢れを身に纏っていないような、清らかな美しさに目が奪われる。きっと仕事柄、彼女は大したお化粧もしていないだろう。アクセサリーもつけず、ただ木綿の白いエプロンをまとっているだけだった。
「好き」
「え?」
「は?」
 色々な声が混ざった。顔に熱が集まっていくのが分かる。これがどういった意味で熱がこもったのか、自分でも分からなくなってしまう。
「い、いや今のはお店の雰囲気が……!」
 両手を左右に振りながら、全力で訴えながら誤魔化す。隣にいる星叶ちゃんはじとりとした、呆れの交えた表情をしている。十歳近く年の離れている女子高生にこんな目で見られるのは、心苦しいものがある。
 そんな私の姿を見て、店員さんは首を傾げたけれど、流石接客業。すぐに笑みを浮かべて「ありがとうございます」と礼まで述べてくれた。
 その返答にドキドキと心臓が騒がしくなって、安堵の息も零れる。
 顔が熱い、胸が苦しい。ここまで体中が沸騰する程のドキドキは、生れて初めてだ。この年になるまで、色々な経験はしてきた。それでも、どの経験がこれに当てはまるのかが分からない。
 折角だからと、店員さんと向き合う位置になるカウンターに案内された。注文を聞かれて、まだ心臓が騒がしく上手く言葉が声に出せない私は、とりあえずおすすめを頼むと、笑みで了承してくれた。
 彼女の纏う空気が独特なんだろうか。ほわほわ、ふわふわ、といった例えがあるけれど、まさにその通り。けれどしっかり者なんだろうな、というのは料理裁きを見て伝わってくる。ていうか、一人で料理もしているし、もしかしたら店長なのかもしれない。やわらかそうでふわふわな髪。くりっとした丸い瞳。バシバシというほど派手ではないが、目を大きく見せてくれる長い睫毛。モデルや女優で毎度惹かれてしまう、私の大好きなタイプの女の子だ。
 私の目線が気になったのか、それとも他にお客さんが居なかったからか、彼女は優しく話をしてくれた。
 想像通りに彼女はこのお店の店長で、妹と弟が居るんだそうだ。両親は居るけれど、父親の転勤に母親だけがついていき、もう成人していた彼女が、ここで兄弟の世話をしながらお店をしているらしい。
 立派な人だ。私には兄弟が居ないから想像もつかないけれど、まだ学生な妹弟の世話をするのは大変なことだろうな。
 その他にも、ご飯を食べながらも色々な話をして、二人で笑いあう。その度に見せてくれる笑みを見て、心がじんわりと温まっていく。
 もしかしたら、この感情は恋に似たものなのだろうか。
 じわじわと少しずつ染みるように、彼女とのこの暖かい空気が馴染んで、惹かれているのだと自覚した頃には染まりきっていたのだから。
「ふふ、なんだか嬉しいわ」
「え?」
「話していてとても楽しいなと思って。もっと話したいとも思ったの」
「……ありがとうございます」
 彼女はお日様のようだった。優しくて温かくて、包み込むような笑顔を見せてくれる。
 けれど、その笑顔が私の浮かべる笑顔とはまるで正反対で、何故だか泣きそうになった。