木下七絃は、俺が小学生の頃に庇った人物である。
どんな確立だ、と言われるかもしれない。一から説明しようとすれば、俺は大学進学のためにこの土地に越して独り暮らしをしているが、元々の出身地はここなのだ。
つまり、小学生の頃にいじめに遭い、家族の気遣いによって、俺は他の土地へ家族総出で引っ越した。引っ越した先で、今度こそは上手くやろうと仮面をかぶるように自分を偽って、小学から高校まで暮らしていた。
最初は、ここへ進学するのも憚れたのだ。言うなれば、ここには良い思い出のない因縁の場所。大学進学の為とはいっても、わざわざトラウマの場所に行く必要は無かった。家族だって、無理をする必要はないと言ってくれた。
それでも、俺は花影大学を選び、再びこの土地に戻ってきた。俺は里帰りをしたということになる。
「十年以上も昔の事だ。俺も見た目は大きく変わった。それは木下も同じ」
小学生時代と比べたら、互いに身長は伸び体格も変わった。顔つきだって変化しただろう。己の幼少期の写真と、現在の顔を鏡で見て見比べれば、ハッキリと変化が分かる。知っている誰かと似ているだろうか、と面影を探る程度になっただろう。
だから、俺はもう大丈夫だと信じ切ったのだ。もう、誰も俺に気付かないし、思い出さないだろうと。同級生だった人達だって様変わりしただろうし、人によっては土地から出た人もいるだろう。だからあの時のような悲劇は、きっともう起こらない。そう信じていた。
だが、出会ってしまったのだ。
最初は俺も気付かなかった。当時の彼は小さかったし、声だって高かったし、何より苗字はそこまで珍しいわけでもなかった。それでも、彼が地元民であること、出身校を述べられた瞬間に、全てを思い出した。当時、自分が庇った人物の名前は、目の前と同じ名前だったこと。彼はあの時の友人だったのだと。
気付いた時はもちろん縁を切ろうと思った。だが、彼は明るく良い人だった。入学式の時に友達になろうと、小学校の時と同じような言葉で言ってくれた。断ることなど、できなかった。
「そっか、あの男子がそうだったのか」
「どうやら天使様相手でも誤魔化せたみたいだ」
「うるさ。んで、アンタはどうしたいの?」
俺の胸元を、少し噛み癖が隠せていない爪で指さされる。
「彼とこれからも仲良くしていくのかな? これからも嘘の笑顔で友人のフリを続ける? それとも打ち明けて縁を切る?」
笑みを浮かべながらも、まっすぐと俺の目を射抜く。力強く、逃げ出すことは本当的に許されない気がした。
俺は、彼の事を完全に許すことが出来ていなかったのだろう。自覚がない、というよりは無理やり抑えていたのか、ハッキリとは分からないが。偽り続けることに耐えることが出来ず、俺は苦しんでいたのかもしれない。ずっと、向こうが気付いていないことに腹を立てていたのか、話を聞きたかったのか、謝ってほしかったのか。それは今でも分からないけれど。
「さあ、どうだろう」
「……友達、仲良くする相手、関わる人、そうした人物を選ぶ権利は誰でも持っている」
「こんな俺でも?」
「そう。必死に良い人ぶって、期待に応えるために、自分が耐えて悲しくなるなんてつまんないって」
つまらない、という考えは思いつかなかった。人生は楽しんだもの勝ち、とはよく言うけれど、自分には当てはまらないのだろうなと、どこか達観していた節があるのかもしれない。
「居場所はいくらでもある。あの空沢は信頼できるし、バ先だって逃げ込める場所になった。実家に帰る手段もある。それでもダメだったら、新しい人達に会いに色々な場所に行こう。その時本当にやりたいこと、気持ちを選べばいい」
彼女は両腕を広げ、笑顔で話す。その両腕は、広い世界を示しているのかもしれない。
「それなら、今の俺は、自分を守りたい」
先ほど彼女にさされた胸元に、自身の手を当てる。服越しだからだろうか、心臓の鼓動はハッキリと伝わらないけれど。
己を守りたい。そんな考えのきっかけを持つようになったのは、彼女のおかげだ。
受け身側としては、見えなくすることだけ。プラスの物で隠したり塗りつぶす。そうした手段も存在するのだと、気付くことが出来た。
仲良くしていくごとに、心の底では許せない日が来るかもしれない。あの時の事を起こして、また己を大事にすることすら出来なくなって、〝今〟を安心して生きられないと思う。
俺は、心から納得できるような、満足できるような、そんな自分へと近づきたい。
「そうじゃないと、俺を認めてくれる人たちに、失礼だもんな」
真っ直ぐと俺を認めてくれた空沢にも、俺の事を信じて送り出してくれた家族にも、新しくバイト雇用してくれた店長と妹さんにも。
人を変えようと必死になっても、人は変わらない。変えられるのは自分の心だけ。俺が選ぶモノの何が正解なのか、それは誰も断言なんてできないし自分でも分からない。いっそ、求めなくても良いのかもしれない。
自分が考えて選んで、最善を尽くすことが大切なのだ。
全部全部、自分で決めて良い。
「ずっと過去を引きずっていて、むなしいな」
「人間そんなもんでしょ、神様じゃないんだから。アンタは人間で感情があるんだから。それもまた、アンタの居場所になる」
感情が居場所になるという考えは思い浮かばなかった。それなら、尚更大切にしないとな。
「ありがとう。正直に、木下と話して、向き合ってくるよ」
どんな確立だ、と言われるかもしれない。一から説明しようとすれば、俺は大学進学のためにこの土地に越して独り暮らしをしているが、元々の出身地はここなのだ。
つまり、小学生の頃にいじめに遭い、家族の気遣いによって、俺は他の土地へ家族総出で引っ越した。引っ越した先で、今度こそは上手くやろうと仮面をかぶるように自分を偽って、小学から高校まで暮らしていた。
最初は、ここへ進学するのも憚れたのだ。言うなれば、ここには良い思い出のない因縁の場所。大学進学の為とはいっても、わざわざトラウマの場所に行く必要は無かった。家族だって、無理をする必要はないと言ってくれた。
それでも、俺は花影大学を選び、再びこの土地に戻ってきた。俺は里帰りをしたということになる。
「十年以上も昔の事だ。俺も見た目は大きく変わった。それは木下も同じ」
小学生時代と比べたら、互いに身長は伸び体格も変わった。顔つきだって変化しただろう。己の幼少期の写真と、現在の顔を鏡で見て見比べれば、ハッキリと変化が分かる。知っている誰かと似ているだろうか、と面影を探る程度になっただろう。
だから、俺はもう大丈夫だと信じ切ったのだ。もう、誰も俺に気付かないし、思い出さないだろうと。同級生だった人達だって様変わりしただろうし、人によっては土地から出た人もいるだろう。だからあの時のような悲劇は、きっともう起こらない。そう信じていた。
だが、出会ってしまったのだ。
最初は俺も気付かなかった。当時の彼は小さかったし、声だって高かったし、何より苗字はそこまで珍しいわけでもなかった。それでも、彼が地元民であること、出身校を述べられた瞬間に、全てを思い出した。当時、自分が庇った人物の名前は、目の前と同じ名前だったこと。彼はあの時の友人だったのだと。
気付いた時はもちろん縁を切ろうと思った。だが、彼は明るく良い人だった。入学式の時に友達になろうと、小学校の時と同じような言葉で言ってくれた。断ることなど、できなかった。
「そっか、あの男子がそうだったのか」
「どうやら天使様相手でも誤魔化せたみたいだ」
「うるさ。んで、アンタはどうしたいの?」
俺の胸元を、少し噛み癖が隠せていない爪で指さされる。
「彼とこれからも仲良くしていくのかな? これからも嘘の笑顔で友人のフリを続ける? それとも打ち明けて縁を切る?」
笑みを浮かべながらも、まっすぐと俺の目を射抜く。力強く、逃げ出すことは本当的に許されない気がした。
俺は、彼の事を完全に許すことが出来ていなかったのだろう。自覚がない、というよりは無理やり抑えていたのか、ハッキリとは分からないが。偽り続けることに耐えることが出来ず、俺は苦しんでいたのかもしれない。ずっと、向こうが気付いていないことに腹を立てていたのか、話を聞きたかったのか、謝ってほしかったのか。それは今でも分からないけれど。
「さあ、どうだろう」
「……友達、仲良くする相手、関わる人、そうした人物を選ぶ権利は誰でも持っている」
「こんな俺でも?」
「そう。必死に良い人ぶって、期待に応えるために、自分が耐えて悲しくなるなんてつまんないって」
つまらない、という考えは思いつかなかった。人生は楽しんだもの勝ち、とはよく言うけれど、自分には当てはまらないのだろうなと、どこか達観していた節があるのかもしれない。
「居場所はいくらでもある。あの空沢は信頼できるし、バ先だって逃げ込める場所になった。実家に帰る手段もある。それでもダメだったら、新しい人達に会いに色々な場所に行こう。その時本当にやりたいこと、気持ちを選べばいい」
彼女は両腕を広げ、笑顔で話す。その両腕は、広い世界を示しているのかもしれない。
「それなら、今の俺は、自分を守りたい」
先ほど彼女にさされた胸元に、自身の手を当てる。服越しだからだろうか、心臓の鼓動はハッキリと伝わらないけれど。
己を守りたい。そんな考えのきっかけを持つようになったのは、彼女のおかげだ。
受け身側としては、見えなくすることだけ。プラスの物で隠したり塗りつぶす。そうした手段も存在するのだと、気付くことが出来た。
仲良くしていくごとに、心の底では許せない日が来るかもしれない。あの時の事を起こして、また己を大事にすることすら出来なくなって、〝今〟を安心して生きられないと思う。
俺は、心から納得できるような、満足できるような、そんな自分へと近づきたい。
「そうじゃないと、俺を認めてくれる人たちに、失礼だもんな」
真っ直ぐと俺を認めてくれた空沢にも、俺の事を信じて送り出してくれた家族にも、新しくバイト雇用してくれた店長と妹さんにも。
人を変えようと必死になっても、人は変わらない。変えられるのは自分の心だけ。俺が選ぶモノの何が正解なのか、それは誰も断言なんてできないし自分でも分からない。いっそ、求めなくても良いのかもしれない。
自分が考えて選んで、最善を尽くすことが大切なのだ。
全部全部、自分で決めて良い。
「ずっと過去を引きずっていて、むなしいな」
「人間そんなもんでしょ、神様じゃないんだから。アンタは人間で感情があるんだから。それもまた、アンタの居場所になる」
感情が居場所になるという考えは思い浮かばなかった。それなら、尚更大切にしないとな。
「ありがとう。正直に、木下と話して、向き合ってくるよ」