「いじめってさ、いじめられる側にも、原因はあると思う?」
「……さあ? 考えの違いだから何とも」
「俺はね、あると思うよ」
本日分の講義を終えた夕方近く、バスの一番後ろの席の端に腰かけながら、両手の指を絡めるようにいじりながら呟く。この時間にこっち回りのバスを乗る人が居ないのは、この数ヶ月で知っていた。他人に見えない人と会話するために、人が居ないのを利用してぽつぽつと小さなボリュームで言葉を口にする。
「俺が小学生の時、友人がいじめられていたんだ。当時の俺は許せないで止めに入った。そうしたら、次の標的は俺になったよ」
「ふぅん」
「正義のヒーロー気取りの痛い奴、ってさ。そりゃあ、いじめっ子からすれば邪魔されてムカつくし、そう見えてもおかしくないよなあ」
自虐的な笑みを浮かべながら背もたれに体を預け、出来る限り足を延ばして、頭を軽く掻いた。
この世には暗黙のルールが数多存在する。上司や先輩に逆らわない。強い立場の相手に強く前に出ない。相手の気を損ねない。
俺は、そのルールを破った。
「つまり、だからアンタはいじめられる人にも原因はあると行きついたわけ?」
「あくまで俺の場合は、だけど」
「バァーカ」
心底相手を馬鹿にするような言い方だった。発音がブアーカだった。彼女の方へ勢いよく顔を向けると、言葉と声色を発した表情そのものだった。
「それ、ぜってー他人に言うなよ。背中刺されて死ぬぞ」
「いや、言わないよ。あくまでこれは俺の話で」
「いじめられている相手には、そんな言い訳は通用しない」
ビシッと額を叩かれる。それがかなりの威力で、思わず声がこぼれたが、慌てて唇をかんで閉じることによって音量を収めた。
「だからアンタはずっと引きずって、ここまで生きて、結果として死のうとしたんだろうが」
彼女の言葉と共に、目的地にたどり着くアナウンスが車内に響いた。ぼう、としていた俺の代わりに、金咲さんが下車のボタンを押してくれた。
そう、なんだろうか。
彼女の言葉に、どうも実感が沸かない。
バスが止まる。それでも俺の思考は止まらない。椅子から立ち上がって、運転手に定期をかざせば目を向けただけで簡単に確認し頷かれた。礼を述べながらバスから降りれば、扉は即座に閉まって、乗客も居なかったからか、少ししてから出発した。
感情が揺れている。いつだって冷静で居ようと心に決めていた。感情に揺さぶられれば、俺はまた失態を晒すかもしれない。だから、ずっと考えない様にと封じ込めていた。
何もないふりだけが上手くなっていく。笑顔を張り付けて、ずっと嘘を吐き続けた。本音を隠して、嘘を重ねて。
少しだけバスを見送ってから、足を踏み出す。夕方が一歩手前に近づく、誰も居ない住宅街で、俺の足音だけが響いている気分だった。
「夢を見ていたこともあるよ」
「どういう?」
「その友人に謝られて、また友人に戻るって」
ただ一つの希望という光を頼りに、暗闇の中を歩き続ける。
あくまで希望や夢で終わったのだけど。本当はずっと待っていたのだろうか。謝ってくれるかもしれない、って。いじめたやつも、離れていった相手も、いつかは仲良くなれるのかもしれない。
だけど、歳を重ねるにつれて、そんなことは不可能だと知らされていく。世の中の不条理を知っていくたびに、能天気だった己を恥じた。
「俺は、もし謝られても、許せるのか分からない」
『もしも』を考えたって意味はない。分かっているはずなのに。そんなことを考える、惨めな自分が嫌いだった。
「……許すことって、多分すごく難しいと思うんだよね」
隣に並ぶ金咲さんがぽつりと呟いた。ゆっくりと彼女の方へ顔を向ける。昼間とは違う色味の太陽の光が、真っ白な彼女の肌をそのまま色づける。
「受け身側として出来るのは、見えなくすることだけだと思う」
「見えなくする」
「良い思い出? 楽しいとか嬉しいとか、そうしたプラスの物で隠すというか塗りつぶす」
まっすぐと前を見つめながら彼女は言う。彼女に向けていた顔を、同じ方向に向けて真っ直ぐに変えた。
ああ、成程。そういう考えもあるのか。
嫌な記憶を忘れろとか、捨てろとか、簡単に言われ続けてきたけれど、実際に出来たことは無くて。けれど、上書きしていく、乾いた嫌な記憶の上を新しい記憶で塗りつぶしてしまう。乾いた絵の具の上に、新しい絵の具で塗りつぶすように。それはきっと、自分でも出来るのかもしれない。
「君は本当に、大人びているね」
自分より大人に思えてしまう時があるよ。小さく笑みを浮かべながら言えば、彼女は一瞬だけこちらに目を向けたが、すぐに視線を元に戻した。
二人で並んで歩いていると、一軒のカフェが目に入る。どうやら今の時間からもやっているようだ。
「今日は外で済まそうかな」
そう呟いた瞬間に、お店の扉が開かれる。出て来るであろう人とぶつからない様に、少し後ろに下がる。
「蛍ちゃんバイバイ! 気を付けて帰ってね」
「うん、また明日」
声の高さやテンションの高さから感じるに、女子高校生の二人だろうか。けれど扉から出てきたのは、一人だけの女の子だけだった。どうやらもう一人の子は、お店の中に留まっているらしい。バイトの子だろうか。
そんな憶測が一瞬だけ脳裏に過ると、お店から出てきた少女が俺の前を横切る。綺麗でサラサラな黒髪をポニーテールで一束にまとめて、彼女が動くたびに揺れていた。そんな彼女は俺の方をじっと一瞬だけ眺めて、すぐに歩き出していた。
こちらが見ていたから、怪訝に思ったのかもしれない。その割には、その目つきはマイナスな感情はぶつけてこなかった。
「なんか不思議な子だったな」
「そう?」
「何か、あの子には悪いけれど、少し自分と似た雰囲気を感じた」
去ったあの子の姿はもうないけれど、彼女が歩いて行った方に目を向けている。
「人間、誰だって悩みはあるでしょ」
「若いのに大変だなあ。もしかしたら、俺より大変かもしれないな」
「それは違う」
ピシャリ、と俺の言葉を刀で断ち切るように言われた。綺麗な切り口で、真っ直ぐな声だったが、俺を傷つけるような言葉ではないそれは力強い。
「苦痛は他人と比べるものじゃない。比べちゃいけない」
「もしかして、あの子の事知ってるの?」
「さあ? 秘密」
彼女は小さく笑みを浮かべて、口元に指を添えた。本当に謎の多い子だ。こっちもつられて小さく笑みがこぼれる。
お店の前に置かれている折り畳み式のボードには、本日のおすすめともう一つ、バイト募集という文字が見えた。
「ここで食べて、美味しかったらここでバイトしようかな」
「え? マジ?」
「え? もしかしてブラック?」
半分冗談、半分本気の声色で提案してみれば、彼女は俺の言葉を本気と捉えたようだ。それもあまり良くない反応で返ってくる。嫌そう、と言った方が正しいか。こんなに素敵な外観のお店なのに、そんなに酷いんだろうか、疑問の目で彼女を見ていればそっと視線を逸らされた。
「そんなことはないけど」
「やっぱり何か知っているんだろう」
「秘密だってば」
声を荒げはしないが、必死なのが何となく見える。どうやら自身に関わる嘘が苦手らしい。大人びているけれど、年相応な可愛らしい一面もあるものだ。
「まあ、とりあえずご飯を食べてからかな」
看板メニューを眺めながら話していたので、扉の方へ体を向けていると、一人の少女がこちらを扉の隙間からのぞき込んでいた。お互いに驚いて肩を跳ねらせて、最初に少女が慌てて謝る。
「ご、ごめんなさい! アルバイト募集のボードを眺めていたから声掛けようとしたんだけど、喋っているような声が聞こえて。電話しているのかと思って、待ってました……」
彼女は必死に謝りながら、両手の人差し指を突き合わせて少しだけ目を泳がせる。どうやら、俺と金咲さんが会話しているのをこっそりと聞いていたようだ。でも内容までは聞こえていなかったみたいだ。まさか、天使と話をしていたなんて言えるはずもない。
あー……と少し濁すように声をこぼして自身も目を泳がせてから、無線イヤホンを外すフリをして手をポケットに突っ込んだ。
「こっちこそ、お店の前でごめんね。実はそうだったんだ」
苦笑いを浮かべて述べれば、彼女は顔を分かりやすく輝かせた。
「本当ですか!? 良かった、ちょっと待っててくださいね!」
「え、ちょっと」
俺が止めるのも待たず、扉を開けたままお店の中に入っていく。
「お姉ちゃん! やっぱりバイト希望なんだって!」
こっそりと扉から店内を覗き見る。先ほどの彼女が、お店のキッチンに立つ女性をお姉さんと呼んでいた。お姉さんと呼ばれた人は、優しく返事をしてからこちらの方へ顔を向ける。
目が合ったので、慌てて店内に入り、軽く頭を下げた。
「あらあら嬉しいわ。でも本当に? 妹の勘違いじゃない?」
「違うもん! あ、この人が店長で私のお姉ちゃん!」
お姉さんを呼んだ理由が判明した。店長らしいお姉さんは、人がよさそうな柔らかい笑みを浮かべている。よく見れば、妹である彼女もそっくりな笑みを浮かべている。似たもの姉妹と言ったところだろうか。俺が他人に見せる、偽物の笑みとはまるで違う、本物の笑顔だ。
求人情報に多く書かれている『アットホームな職場』という言葉が脳裏に浮かぶ。大抵の場合は、このように表記されているところは碌な場所がないと、就職した先輩が愚痴を吐いていたが、この店にこそ正しく使われているのだろうかと思う。
先ほど見たバイト募集に書かれていた給金も悪くないし、ここは学校からの帰り道でもある。それに、上司となる店長の人柄もよさそうだ。
乗り掛かった舟だろう。胸元に手を添えながら、にこりと笑みを浮かべる。
「はい、ぜひ働かせてください」
その前に、食事もしたいのですが。と言葉を続ければ、姉妹は揃って目を丸くして、また同じタイミングで笑い声をこぼしていた。
「……さあ? 考えの違いだから何とも」
「俺はね、あると思うよ」
本日分の講義を終えた夕方近く、バスの一番後ろの席の端に腰かけながら、両手の指を絡めるようにいじりながら呟く。この時間にこっち回りのバスを乗る人が居ないのは、この数ヶ月で知っていた。他人に見えない人と会話するために、人が居ないのを利用してぽつぽつと小さなボリュームで言葉を口にする。
「俺が小学生の時、友人がいじめられていたんだ。当時の俺は許せないで止めに入った。そうしたら、次の標的は俺になったよ」
「ふぅん」
「正義のヒーロー気取りの痛い奴、ってさ。そりゃあ、いじめっ子からすれば邪魔されてムカつくし、そう見えてもおかしくないよなあ」
自虐的な笑みを浮かべながら背もたれに体を預け、出来る限り足を延ばして、頭を軽く掻いた。
この世には暗黙のルールが数多存在する。上司や先輩に逆らわない。強い立場の相手に強く前に出ない。相手の気を損ねない。
俺は、そのルールを破った。
「つまり、だからアンタはいじめられる人にも原因はあると行きついたわけ?」
「あくまで俺の場合は、だけど」
「バァーカ」
心底相手を馬鹿にするような言い方だった。発音がブアーカだった。彼女の方へ勢いよく顔を向けると、言葉と声色を発した表情そのものだった。
「それ、ぜってー他人に言うなよ。背中刺されて死ぬぞ」
「いや、言わないよ。あくまでこれは俺の話で」
「いじめられている相手には、そんな言い訳は通用しない」
ビシッと額を叩かれる。それがかなりの威力で、思わず声がこぼれたが、慌てて唇をかんで閉じることによって音量を収めた。
「だからアンタはずっと引きずって、ここまで生きて、結果として死のうとしたんだろうが」
彼女の言葉と共に、目的地にたどり着くアナウンスが車内に響いた。ぼう、としていた俺の代わりに、金咲さんが下車のボタンを押してくれた。
そう、なんだろうか。
彼女の言葉に、どうも実感が沸かない。
バスが止まる。それでも俺の思考は止まらない。椅子から立ち上がって、運転手に定期をかざせば目を向けただけで簡単に確認し頷かれた。礼を述べながらバスから降りれば、扉は即座に閉まって、乗客も居なかったからか、少ししてから出発した。
感情が揺れている。いつだって冷静で居ようと心に決めていた。感情に揺さぶられれば、俺はまた失態を晒すかもしれない。だから、ずっと考えない様にと封じ込めていた。
何もないふりだけが上手くなっていく。笑顔を張り付けて、ずっと嘘を吐き続けた。本音を隠して、嘘を重ねて。
少しだけバスを見送ってから、足を踏み出す。夕方が一歩手前に近づく、誰も居ない住宅街で、俺の足音だけが響いている気分だった。
「夢を見ていたこともあるよ」
「どういう?」
「その友人に謝られて、また友人に戻るって」
ただ一つの希望という光を頼りに、暗闇の中を歩き続ける。
あくまで希望や夢で終わったのだけど。本当はずっと待っていたのだろうか。謝ってくれるかもしれない、って。いじめたやつも、離れていった相手も、いつかは仲良くなれるのかもしれない。
だけど、歳を重ねるにつれて、そんなことは不可能だと知らされていく。世の中の不条理を知っていくたびに、能天気だった己を恥じた。
「俺は、もし謝られても、許せるのか分からない」
『もしも』を考えたって意味はない。分かっているはずなのに。そんなことを考える、惨めな自分が嫌いだった。
「……許すことって、多分すごく難しいと思うんだよね」
隣に並ぶ金咲さんがぽつりと呟いた。ゆっくりと彼女の方へ顔を向ける。昼間とは違う色味の太陽の光が、真っ白な彼女の肌をそのまま色づける。
「受け身側として出来るのは、見えなくすることだけだと思う」
「見えなくする」
「良い思い出? 楽しいとか嬉しいとか、そうしたプラスの物で隠すというか塗りつぶす」
まっすぐと前を見つめながら彼女は言う。彼女に向けていた顔を、同じ方向に向けて真っ直ぐに変えた。
ああ、成程。そういう考えもあるのか。
嫌な記憶を忘れろとか、捨てろとか、簡単に言われ続けてきたけれど、実際に出来たことは無くて。けれど、上書きしていく、乾いた嫌な記憶の上を新しい記憶で塗りつぶしてしまう。乾いた絵の具の上に、新しい絵の具で塗りつぶすように。それはきっと、自分でも出来るのかもしれない。
「君は本当に、大人びているね」
自分より大人に思えてしまう時があるよ。小さく笑みを浮かべながら言えば、彼女は一瞬だけこちらに目を向けたが、すぐに視線を元に戻した。
二人で並んで歩いていると、一軒のカフェが目に入る。どうやら今の時間からもやっているようだ。
「今日は外で済まそうかな」
そう呟いた瞬間に、お店の扉が開かれる。出て来るであろう人とぶつからない様に、少し後ろに下がる。
「蛍ちゃんバイバイ! 気を付けて帰ってね」
「うん、また明日」
声の高さやテンションの高さから感じるに、女子高校生の二人だろうか。けれど扉から出てきたのは、一人だけの女の子だけだった。どうやらもう一人の子は、お店の中に留まっているらしい。バイトの子だろうか。
そんな憶測が一瞬だけ脳裏に過ると、お店から出てきた少女が俺の前を横切る。綺麗でサラサラな黒髪をポニーテールで一束にまとめて、彼女が動くたびに揺れていた。そんな彼女は俺の方をじっと一瞬だけ眺めて、すぐに歩き出していた。
こちらが見ていたから、怪訝に思ったのかもしれない。その割には、その目つきはマイナスな感情はぶつけてこなかった。
「なんか不思議な子だったな」
「そう?」
「何か、あの子には悪いけれど、少し自分と似た雰囲気を感じた」
去ったあの子の姿はもうないけれど、彼女が歩いて行った方に目を向けている。
「人間、誰だって悩みはあるでしょ」
「若いのに大変だなあ。もしかしたら、俺より大変かもしれないな」
「それは違う」
ピシャリ、と俺の言葉を刀で断ち切るように言われた。綺麗な切り口で、真っ直ぐな声だったが、俺を傷つけるような言葉ではないそれは力強い。
「苦痛は他人と比べるものじゃない。比べちゃいけない」
「もしかして、あの子の事知ってるの?」
「さあ? 秘密」
彼女は小さく笑みを浮かべて、口元に指を添えた。本当に謎の多い子だ。こっちもつられて小さく笑みがこぼれる。
お店の前に置かれている折り畳み式のボードには、本日のおすすめともう一つ、バイト募集という文字が見えた。
「ここで食べて、美味しかったらここでバイトしようかな」
「え? マジ?」
「え? もしかしてブラック?」
半分冗談、半分本気の声色で提案してみれば、彼女は俺の言葉を本気と捉えたようだ。それもあまり良くない反応で返ってくる。嫌そう、と言った方が正しいか。こんなに素敵な外観のお店なのに、そんなに酷いんだろうか、疑問の目で彼女を見ていればそっと視線を逸らされた。
「そんなことはないけど」
「やっぱり何か知っているんだろう」
「秘密だってば」
声を荒げはしないが、必死なのが何となく見える。どうやら自身に関わる嘘が苦手らしい。大人びているけれど、年相応な可愛らしい一面もあるものだ。
「まあ、とりあえずご飯を食べてからかな」
看板メニューを眺めながら話していたので、扉の方へ体を向けていると、一人の少女がこちらを扉の隙間からのぞき込んでいた。お互いに驚いて肩を跳ねらせて、最初に少女が慌てて謝る。
「ご、ごめんなさい! アルバイト募集のボードを眺めていたから声掛けようとしたんだけど、喋っているような声が聞こえて。電話しているのかと思って、待ってました……」
彼女は必死に謝りながら、両手の人差し指を突き合わせて少しだけ目を泳がせる。どうやら、俺と金咲さんが会話しているのをこっそりと聞いていたようだ。でも内容までは聞こえていなかったみたいだ。まさか、天使と話をしていたなんて言えるはずもない。
あー……と少し濁すように声をこぼして自身も目を泳がせてから、無線イヤホンを外すフリをして手をポケットに突っ込んだ。
「こっちこそ、お店の前でごめんね。実はそうだったんだ」
苦笑いを浮かべて述べれば、彼女は顔を分かりやすく輝かせた。
「本当ですか!? 良かった、ちょっと待っててくださいね!」
「え、ちょっと」
俺が止めるのも待たず、扉を開けたままお店の中に入っていく。
「お姉ちゃん! やっぱりバイト希望なんだって!」
こっそりと扉から店内を覗き見る。先ほどの彼女が、お店のキッチンに立つ女性をお姉さんと呼んでいた。お姉さんと呼ばれた人は、優しく返事をしてからこちらの方へ顔を向ける。
目が合ったので、慌てて店内に入り、軽く頭を下げた。
「あらあら嬉しいわ。でも本当に? 妹の勘違いじゃない?」
「違うもん! あ、この人が店長で私のお姉ちゃん!」
お姉さんを呼んだ理由が判明した。店長らしいお姉さんは、人がよさそうな柔らかい笑みを浮かべている。よく見れば、妹である彼女もそっくりな笑みを浮かべている。似たもの姉妹と言ったところだろうか。俺が他人に見せる、偽物の笑みとはまるで違う、本物の笑顔だ。
求人情報に多く書かれている『アットホームな職場』という言葉が脳裏に浮かぶ。大抵の場合は、このように表記されているところは碌な場所がないと、就職した先輩が愚痴を吐いていたが、この店にこそ正しく使われているのだろうかと思う。
先ほど見たバイト募集に書かれていた給金も悪くないし、ここは学校からの帰り道でもある。それに、上司となる店長の人柄もよさそうだ。
乗り掛かった舟だろう。胸元に手を添えながら、にこりと笑みを浮かべる。
「はい、ぜひ働かせてください」
その前に、食事もしたいのですが。と言葉を続ければ、姉妹は揃って目を丸くして、また同じタイミングで笑い声をこぼしていた。