助けてあげたい。誰のことを言っているのか、と問われると即座に返答はできないが、多分、自分の事だと思う。まるで他人に向けた言葉のように聞こえるかもしれないが「自分を大切にしましょう」とか「自分に優しくしましょう」のような言葉よりも、「助けてあげたい」が一番しっくりくるのだ。

 最近どうも目眩が酷い。
 立っている時にくらりと来ることもあれば、寝ようと横になり目をつぶると、グルグルと回転した感覚に襲われ中々寝付けない。
 まるで乗り物酔いのような気分を日々味わうのはどうも苦痛であり、何より気持ちの問題的にも良くない。
 立っている時に目眩がすれば、周りの人に心配されるし。寝ようと思っても回転した気分でいれば寝付けず、結果寝不足でこれまた周りからも心配されてしまう。
 心配してくれる人がいるのは大層恵まれていると思うが、だからこそ申し訳ないという気持ちが強くなってしまって仕方がない。
「気圧とかの影響もあるらしいな。酔い止めも効くみたいだ」
「へえ、そうなんだ。ありがとう、早速実践してみるよ」
 アドバイスしてくれた相手に笑顔で例を述べ、学校の帰りに薬局に寄る予定をインプットさせた。
 学校帰りは早速薬局に寄り、取り合えずと籠の中にお勧めされた酔い止めをポイポイと放り込んだ。夜に寝付けないこともあるから、導入剤も買っていこうか。いや、酔い止めには眠気を促す成分が含まれている場合があるから、必要ないか。
 薬のパッケージ裏を暫し眺めて悩んでいたが、結局籠の中に入れることにした。
 買い物を終えて家に辿り着く。放るように荷物を置いて、薬の入った袋もテーブルの上に置いた瞬間、グラリと大きな眩暈がする。膝から力が抜け、自然と体が崩れ落ちた。
 力強く大きな音を立てながらテーブルに手を叩きつけて、倒れないようにと必死に。片手で顔を添えて、口元を少し覆うようにして呼吸をする。けれど支えていた腕も力が抜けて、テーブルの上にあった袋を巻き込みながら床に転がってしまう。
 荒く呼吸をしている中、ばくんばくんと大太鼓を隣で聞いているかのように己の心音が響く。
 どうも昔から自分の事なのに、他人に向けての言葉の様な。「一人にしてあげたい」「気持ちを大切にしてほしい」とか、まるでもう一人の自分に向けての声掛けのようになっていた。
 そんな俺に対して、一番しっくりくる言葉として頭に過るものは「助けてあげたい」だったわけだ。
 孤独な暗闇の中、答えが頭を過る。
 俺の中の自分を助けてあげたい自分と、別の考えを持つ自分が、突然相まみえた。
 ここにある薬をすべて飲み干してしまえば、俺は助かるのではないだろうか。
 荒い呼吸の中、袋を握りしめて、逆さまにして乱暴に薬の箱を取り出す。
 並んでいるのは酔い止めと睡眠導入剤、それぞれ二箱。
 ああ、そうか。簡単なことだった。俺は死んで楽になって、己を助けたかったのだ。

「無理に決まってる」
 誰かの声が聞こえた。ついに幻聴まで症状に現れたのか。かと思えば、何かが目の前に転がっている薬の箱を全て蹴り飛ばした。視野の中に、脚が入ってきた。ワンルームの一人暮らしの男の家に、存在するはずのないものだ。
 ゆっくりと顔を上げれば、そこには一人の女の子が居た。
 制服姿から考えるに女子高生だろうか。暗い部屋の中、カーテンからの隙間の月明かりで、彼女のウェーブした長い金髪がきらきらと輝いていた。
 この世のモノとは思えないように見えた姿によって、呼吸が一瞬止まり、気がつけば呼吸はいつも通りに戻っていた。
 少女はそんな俺を見てから、足元の薬に目を向けた。
「こんだけで楽になれたら、人間も脆いもんだ」
「え?」
「死ねないクスリはクスリじゃない、と言う医者も居るくらいだけど。今時の薬による致死量はえげつない」
 彼女は肩をすくみ呆れつつも言葉を続けた。
「年齢や体格などでも変わるから、致死量の三倍は飲めと言われている。ここにあるのは、アンタにとっての致死量の一つまみ程度にでもなれるのかな?」
 詳しい量でも聞く? と言わんばかりの顔。首を横に振って遠慮しておいた。
 彼女は小さく息を吐いて、俺と目線を合わせるようにしゃがみこんだ。まだ俺が寝転がっているので、彼女の顔を見るには見上げることには変わりないのだが。
 片膝をついて、彼女の手が伸びてきて俺の顎を片手でつまみ、持ち上げる。芯が強そうで黒い潤いのある瞳が、真っすぐとこちらの瞳を射抜かんとする。
「安心しなよ、病気ではない。精神的なものだ」
 見ただけで何故分かるんだ、と問う前に、顎から伝わる彼女の肌の冷たさにヒヤリと背筋に汗が垂れた。熱がない、という言葉だけではない。俺は幸いなことに人の死に縁がないが、安易に想像できた。死体は、こんな冷たさなのだろうな、と。
「アンタって自分を助けたいんだよね? だったら、私が手伝ってあげる」
「な、にを? ああ、あの世に連れて行ってくれるとか?」
「まさか。それは私の仕事じゃない。むしろ逆、アンタを助けるのが私の課題」
 まるで学校の宿題の内容を告げる学生そのものだ。訳が分からず混乱している俺を放って、彼女はゆっくりと立ち上がる。
 室内で窓も空いていないはずなのに、ぶわりと風が吹いた。
 風に仰がれ一瞬顔を伏せるが、すぐに顔を上げる。
「私は天使見習いの金咲星叶。アンタを助けに来た」
 彼女の言葉は嘘ではないだろう。背に白く大きな羽を広げ、月の明かりを背負う、正しく天使と呼ばれるべきな少女が居たからだ。