そう考えると陛下の反応は本当に私には新鮮なモノだった。
なんの利用価値もない私を皇后にすると言い出した上に、こんな風に怒ってもくれる。しかも今日会ったばっかりの人間なのに。胸のどこかがこそばゆいと同時に、なんで私だったのかって思いが大きくのしかかってきた。
期待なんてしちゃだめ。これはきっとただの陛下の気まぐれか何かに決まってる。そうやって、私は自分の中にたくさんの予防線を引いていく。
自分でもそれがいかに滑稽だってことぐらい分かってる。分かってはいるけど……。
「またそんな変な顔をして……。我が妃はよほど疑り深いと見える」
「そういうワケでは」
「まぁよい。ゆっくり時間をかけていけばいいことだ」
陛下は私を抱えたまま、一つの大きな部屋へと入って行った。中はひと際大きな天蓋付きの牀があった。こんなに豪華な牀など見たことがないわ。
木で出来たそれは全面も後面も細やかな花の細工が施され、両脇には同じ細工で作られた灯を置くものまである。
そして牀の奥には飾りの施された丸い窓が、外からの柔らかい光を称えていた。
「すごい」
平凡だけど、私にはそんな表現しか出来なかった。
私の住んでいた山小屋なんかとは比べるのもおこがましいのは分かっているけど、村でもこんなに美しい部屋をみたことがないわ。皇后様のお部屋っていうのは、本当にすごいのね。
今は炊いてもいないのに、染み付いているのかお香のすごくいい香りもするし。
「気に入らない家具があれば、そなたの好みに合わせて変えればいいのだぞ?」
「まさか。こんなに素晴らしい部屋を与えて下さるなんて、すごく嬉しいです」
「ふふふ、やっといい顔になったな」
むしろ陛下の微笑んだ顔の方が貴重なんじゃないのかって思うのは、きっと私だけではないはず。だってやっと私を下ろしてくれた陛下の後ろにいた宦官の方も目を見開いていたし。
「さて、何から聞きたい?」
陛下に促されるまま、私は部屋の中央に置かれた机の前の椅子へと腰かけた。そして私の対面に陛下が座り、宦官は陛下の後ろの立っていた。
なんか一人だけ立たれていると変な感じなのだけど、身分的にはそんなものなのかしらねぇ。ちらちらと私が視線を送っても、宦官は素知らぬ顔をしていた。
「ではまず、どうして陛下は私をお選びになったのですか?」
「うむ……。暁明。俺の名は暁明だ、蓮花」
皇帝陛下の御名って、そんなに容易く呼んでもいいものなの?
「……暁明様」
「そうだ。二人の時は名で呼んで欲しい」
「はい、あ……」
そう言われて思わず、私は宦官を見た。
「ああ、それは空気だと思えばいい」
「えええ」
「陛下、さすがに空気は酷くないですか?」
「なんだ空燕。さっきまで借りてきた猫のような顔をしていたくせに」
「そりゃあ、他の者たちの目がありますからね」
先ほどと同一人物なのかというくらいの、変わりようね。あからさまに空燕と呼ばれた宦官は、不機嫌さを隠そうとはしない。
あきらかに、皇帝とその妃に対する対応ではない気がするのだけど、こんなものなのかしら。それにこんなに不敬極まりない態度をとっても、陛下は気にもかけていないし。
そして空燕は私をやや怪訝そうに見たあと、近くにあった椅子をとり、ドカっと腰かけた。
「オレも聞きたいとこでしたよ。どうしてその娘が皇后なのですか」
「なんだ。おまえまで不服なのか」
「不服ではないですが……。仮にもその娘は平民。見目が気に入っただけなら、側妃でいいではないですか」
やや私を蔑むような目。ああ、そうね。これよ。いつでも人々が私を見てきた目だ。普通はそう。こういう反応なのよね。陛下が違うだけで。
「それにですよ? 何も属性も色もない人間を後宮に入れるだなんて」
「……そうですね」
心の中が冷や水を浴びたように、冷静になっていくのが自分でも手に取るようにわかった。この人に言われたくても知っている。自分がこの世界でどういう人間なのか、なんて。
ほんの少し、ただの一瞬でも浮かれそうになった自分がむしろ恥ずかしい。馬鹿ね、私。
「空燕、言い残すコトはそれだけか?」
「言いたいことではなく、言い残すって、いくらなんでも不穏すぎるでしょう陛下」
「自分が言った言葉の意味を考えろ」
「私なら気にしません。本当のことですから」
「……すみません。言い過ぎました」
頭をかきながら、空燕は私に頭を下げた。
「先ほども言ったが、俺は妃に力など求めてはいない」
「陛下ほどの力がおありになる方でしたら、確かにそうでしょう。ですが、家臣からしたらそうではないのではないですか?」
私は空燕を見た。彼の言いたいことは最もだ。陛下は良くても、周りがそんなことを認めるわけがない。例え私に力があったとしても、所詮は平民。平民の娘が皇后になったなんて話は今まで聞いたことがなかった。
「お世継ぎのことや、他の豪族などの兼ね合いもございましょう」
「オレもそれが言いたかったんです。力のない娘が後宮に入れば、荒れることは目に見えています。それにあいつらは確実に標的として狙ってくるでしょう。そうなったらどうするんです」
全面否定かと思ったんだけど、空燕の言葉はいつもの人たちと少し違う気がした。言い方は確かに武骨ではあるけど、私への気遣いが今はそこはかとなく感じられる。
「そこはおまえたちが上手くやればいいことだ。それに俺がそんなことを放っておくと?」
「目が行き届くのには限界があるというのです……」
「それは痛いほどわかっているさ。だが、次はない」
二人の会話の中身までは分からないけど、目が行き届かず誰かが亡くなったか何かだということは察すれる。後宮は伏魔殿といわれるほど、女たちの争いが絶えないというし。
私では確かに皇后の座は荷が重すぎる。せめて自分を守る力がないと、ココでは生き残れないかもしれないのね。そこまで考えて、私はなぜか自分の考えに笑いがこみ上げてきてしまった。
「ふふふ」
急に笑い出した私を、二人は目を見開いて見ていた。
「急にどうした?」
「皇后なんて押し付けるから、おかしくなってしまったんじゃないですか?」
「いえ……こちらの話なだけです」
そう。こちらの話。だってそう。巻き込まれるとか、生き残るとか。何も決まってないし、何も知らないのに勝手にそんな未来を想像していた自分が可笑しくなってしまっただけ。
未来なんて今まで考えたコトもなかったのに。だって人間なんて所詮、成るようにしか成らないワケで、考えるだけ無駄だって思っていた。
でもだからこそ私は無敵で、どんなことも臆することなく出来ていたのだけど。
ただ行き先が……住む場所や環境が変わっただけで、考え方がこんなにも変わるだなんて可笑しい以外の何物でもないわ。
私、らしくない。どうせ成るようにしか成らないのだから、今まで通り好きに生きないと。
「私は力はありませんが、まぁ成るように成りましょう。細かいコトは気にしないで下さって結構です」
「そうは言っても!」
「私も気にしませんので。ただ、やられたらやり返すだけです」
「そこで命を落としたらどーするんです」
「その時はその時。そこまでの命だったのでしょう」
「そこまでって」
「だってそうでしょう? 人なんていつ死んでどうなるかなど、誰が分かるのですか? それなら私は自分の思うようにテキトーに生きていきたい」
「それは……そうですが」
「心配して下さるのはとても嬉しいです。そしてその時はその時と言っても、簡単に死ぬつもりもありません」
諦めてはいても、まだ手放すつもりはない。私は私の生きたいように生きたいだけ、だから。私は微笑みならが、真っ直ぐに二人を見た。
「ここで生きて行けというのでしたら、どうぞ手を貸して下さい。それに陛下は思うところがあって、私などを皇后にとおっしゃられたのでしょう?」
そこだけは気になる。陛下は何を思って、私を皇后に言い出したのか。空燕の言うように、普通ならありえない。死んでもいい人材として据えるにしても、私はあまりに非力だから。
他に本命がいるのならば、影武者としても私は力不足なのよねぇ。もっとも、恨みは集めやすそうだけど。
「なにを……か。先ほどから二人ともそればかり気にしているようだが、そうだな……。一番はその強い瞳と、あの広場での態度がな」
「広場の態度って、まさか入場した際の他の娘たちとのやり取りを見ていたのですか!?」
「まあ、そうなるな」
あのやりとりを見られていただなんて。恥ずかしい。
「女官にすらなれないと囲まれていたのに、構わないと言って全く気にする様子もなかったしな」
「だって、だってそれは……」
「成るようにと言っていたが、周りに流されず、かつ何を言われても下を見ることもなく、自分の思うように生きる。そんな瞳に思えた」
「買いかぶりすぎです」
「そうか? 俺によく似た強い瞳だ。その強さは霊力などに負けぬ強さがある」
「ぅぅぅぅ」
「そしてその強く美しい瞳が欲しいと……何色にも染まっていないそなたが欲しいと純粋に思ったから選んだつもりなのだが?」
「も、もうそれぐらいにして下さい」
私は立ち上がり、陛下の口を覆わず両手で軽くふさいだ。
不敬罪だって分かってる。分かってるけど。でもでもでもでも。こんな風に誰かに言われたことなんてないし。こんなストレートな言葉は、逆に私には強すぎる。
うううう。こんな時はどうしたらいいの? 喜ぶべきなのだろうけど。あああ、顔が顔が熱いよぅ。影武者にされた方がマシだって思えるくらい、違う意味でダメージを受けてる自分がいた。
「顔が真っ赤だぞ」
「誰のせいだと思っておられるのですか!」
「俺は見たまま、思ったままのことしか言わん」
「そ、それは! ううう。もう少し何かに包んでください」
「そういう周りくどい言い方は好きではないからな」
皇帝陛下がこんな感じでいいのかしら。いいえ、そうね。皇帝陛下だから、許されるのか。長身で線は細いのに、どこか力強い。
赤みがかった黒い瞳は私など比較にならないほど鋭く、それでいて私に微笑む姿を見ていると、どこまでが本気でどこまでが嘘なのか分からなくなってくる。
「他にもあるが、それは追々でいいさ。俺にとっては特に重要なことではない。むしろまずは蓮花の女官たちは俺の手の者で揃え、護衛を強化する。みすみす伏魔殿の餌食になんぞさせぬさ」
「……ありがとうございます」
「あとは宦官としているこの空燕も、基本的にはそなたを護る者とさせよう」
「宦官としている?」
「あああ。オレは宦官ではないんですよ、皇后さま」
「その呼び名はちょっと……。って、宦官ではないっていうのはどういうことなのですか?」
空燕は顎でクイっと、陛下を指す。基本的にこの後宮へ出入りできる男性は宦官だけ。浮気とか不義を防ぐために、ずっとそうなってきていたはず。
「空燕は元々俺の腹心であり、将軍だ。まぁ、その顔を知る者はみんな今頃あの世だからな。ちょうどいいから、宦官を演じさせている」
「えええ。えええ。演じって」
「ちゃんとまだ付いてるし、コトが片付けば元の部署に戻すつもりだ」
なんていうか、なんていうのか……無茶苦茶ね。腹心である将軍を宦官に仕立てあげるだなんて。通りで武骨だし、宦官って感じではないとは思ったのよ。
だって見た目もクマみたいだし。
「空燕様になにをさせようとなさっているのですか?」
「なに、簡単さ。そなたに頼むのと同じで、後宮の膿を出し、俺の世に必要のない者たちを排除する」
「後宮の……膿」
「皇后の下となる四妃は、家臣たちに選ばせる。元より前の政権の者たちは皆排除したものの、まだ俺の世に不満を持つ者は多いだろう」
「それをあぶり出すおつもりなのですね」
「俺と皇后に従わない者は皆、排除する。そして妃になるのはいいが、冷宮でも良いと思う者だけが娘を差し出すように言っておいてくれ」
「かしこまりました」
思った以上に責任は重大で、きっとやることは山のようにある気がする。でも陛下……暁明の言いかけた言葉も気になるし、それ以上に私は――
「引き受けてくれるか蓮花」
「賜りました暁明様」
今までただ何もない日々だった。使命や運命や人の期待も。だから一度くらい、誰かの何かのために生きてみるのも悪くない。
むしろどこか、この先の騒動を思い浮かべ、楽しみになってきた自分がいた。