驚いた。
一色は驚いた。
アイスコーヒー片手に、待ち合わせ場所で他の参加者を待っていれば先刻の女性がこちらに向かってくるではないか。
深い夜色の髪を靡かせ、薄紫のワンピースを揺らし少し駆けてやってくる。
彼女も気づいたようで、目を合わせばぺこっと軽く頭を下げる。
微笑みかけて、一色はそれに応じた。
「どうも。」
「先程はありがとうございました。」
やはり澄んだ綺麗な声だ。聴いていて気持ちがいい。
「いえいえ、またこうやってお会いできて嬉しく思います。」
彼女はちょっと口角を上げて、ぎこちない笑顔を見せた。
なんだかあどけない魅力を垣間見た気がして、一色の目を釘付けにした。
やがて彼女以外の人物もぽつぽつ現れはじめた、その中の1人に見覚えがある。
スマホの画面が割れた金髪の青年だ。
まさかこんな所で対面し、行動を共にするとは。
もう1人は眼鏡を掛けた、黒髪の男性。かっちりとしたスーツに身を包んで、隙が見えない。
年上にも見えるが、それは眼鏡のせいで貫禄あるように見えるだけだろう。案外同い年かもしれない。
國近夫妻は赤い高級車の前に並んで立って、集まった者たちの様子を眺めていた。
「はい、揃ったようですね。今この時刻でお迎えするのはここに既にいらっしゃる、四名の方々です。
会場に着くまで時間があります。お話は車内でしましょう。」
夫、そして社長の京司は柔らかな表情、優しい声で告げた。
さ、どうぞと荷物をトランクに積むよう誘導する。
「今回は女性の方がいらっしゃって嬉しいです!2人の美女はもう館に来てくれているの。」
「そうなんですね、私も同性の方がおられると聞いて嬉しかったです。」
妻の佳芳は彼女に話しかける。
互いに笑顔を浮かべ、会話する様はまるで蝶が舞うように美麗であった。
彼女もそうだが、佳芳も唸るほどの美人である。
陽に照らされる栗色の髪やクラシックな服装はさながら妖精のそれである。
「さ、佳芳。運転はもういいから、助手席で皆さんにご説明してくれるか。」
「はぁい、わかったわ。」
キャリーケース等々をトランクに積み入れ、車内に乗り込む。
隣には眼鏡の男性だった。
「失礼します。」
「ええ、どうぞ。」
座席に腰を下ろすも、背筋は伸びたままで本当に隙のなさを感じさせた。
前にはスマホ割れちゃった君。対極線になる右斜め前に彼女は座っていた。
一番前には京司と佳芳だ。
訊くと隣の彼は28歳だそうだ、一色の一つ下であった。
「とうどうさん、ですか。」
「はい、東に食堂の堂で東堂です。アカウント名はいつきです。」
仕事は、と尋ねると記者だと答えた。
取材で様々な所を飛び回るのが常なので、長い移動や遠くから出向くのは慣れているのだと話した。
「すみません、山の中ですので暫くかかります。」
いつきこと東堂の話を聞いて案じたのだろう、京司が声をかけた。
「いえいえ、楽しいですよ。苦でもない。」
一色は東堂の言葉にええ、と頷く。
「それで、一色さんは探偵をされているとか。」
「ええええ!すげえっすね。探偵ってどんな感じすか?」
スマホ割れちゃった君がぐるんと振り返り、口を挟んだ。
「普通ですよ。特に面白い事は何も。」
心底一色は彼のことをよく思っていなかった。
サービスエリアで女性に文句を言い、そしてさっきから彼女との距離が異様に近い。
初対面の男女とは思えぬ接し方に、相手は困惑しているではないか。
「そんなこと仰らず、プライベートなどはどうなんですか?」
プライベート。
一色は頭の中でもう一度言い直す、プライベート。
毎日のほとんどの時間を仕事に使っているため、プライベートと職務の境目が曖昧だ。
「…うーん、たまに飲みに行くくらいですかね。」
バーにはよく寄る、嘘ではなかった。
しかしただ酒を飲んで店主と話して帰るだけで、これもまた面白みも珍しさもないが。
「あはっ、違いますよ。恋愛です、恋。」
東堂が言い終わってから、スマホ割れちゃった君は大爆笑した。
「あはははっっっ、はー、たんてーさん!プライベートなんて恋愛に決まってない!?天然すか!面白いっすね〜〜!」
初めて人に天然と言われた。心外である。
「最近は、別に。」
「あれ、そうなんですか。一色さん素敵なのに、気づいてないだけじゃないですかねぇ。」
それはない。
「そう言う東堂さんは如何なんです?」
ふふっと意味深に笑って、そっぽを向く東堂。
「この前別れましてね、それっきりです。」
その笑顔は本心を隠しているようにも、事実にも、一色を欺くための嘘とも取れる言葉だった。
「俺は転々としてるかなー。ね、ウノちゃんはど?」
スマホ割れちゃった君が言う。そして今後この呼称は長いので止めにする、以下金髪君。
「ウノ…?」
東堂が首を傾げる。
「あ、すみません。私です。杜若ウノと申します。ウノは兎に乃木坂の乃で兎乃です。」
「珍しい苗字ですね、お名前も特徴的だ。」
杜若とはアヤメ科アヤメ属の植物のことで、紫の美しい花を咲かせる。
菖蒲と非常に似ていて、”いずれ菖蒲か杜若”と言う言葉もあるほどだ。
「ええ、卯年生まれなので。」
そうだったか。
「へー、卯年なんだ!俺ネズミ〜!」
金髪君はちゅっちゅっと戯けて見せる。後から知ったことだが、彼は”ぐー”というニックネームを使っているらしい。
兎乃はくすくす笑って口を開いた。
「私も特に…」
濁らせ方に少々疑問を抱いた。もしかしたら失恋中なのかもしれない。
これ以上突っ込むのは止そうと一色は決めた。
「さて、佳芳さん。説明というのは。」
「ああ、そうでしたごめんなさい!皆さんのお話が面白くって…」
そう言い、佳芳は振り向いた。
「お話しいたしますねっ!」
花が咲くような笑顔に車内が明るくなった。