兎乃は前と見た目が変わっていた。
濃い青に染まった髪と、会社では着ることの許されなかった動きにくいワンピース。
その長い髪はまとめず下ろし、さらさらと微かな風にも揺れる。
何より今、彼女は笑顔だった。
しかし純粋で無邪気な顔でなく、にやりとした勝ち誇ったような笑み。
前のような仕事や会社と言った彼女にとっての”呪縛”はそこにはなかった。
これからは好きな格好をし、気に入るものだけ受け入れて、楽しいことだけして。
なんて、居れるものだろうか、無理だ。また職探しをしなければならない。
仕事のことを考えるとまた心が暴れそうだ。
まとわりつく思考を首を振って除け、バスの指定座席に腰を下ろした。
隣には30代くらいの、茶髪の女性が座って、スマホを眺めていた。
長い髪がスマホの画面と彼女を囲う、檻のように見えて気味が悪い。
足元に手持ちのバッグを置き、乗客を確認するドライバーの声を意味もなく聞いていた。
キャリーケースはもうすでに、トランクに積んでもらった。
前日まで行かないだろうとばかり考えていたが、兎乃は謎解きイベントなるものに足を運ぶことを決めて、今そこに向かう高速バスに乗り込んだところであった。
謎解きイベントを開催するのはあるネット上サークルの運営メンバーであって、そのサークルというのは”謎解き”を活動の内容としたものだ。
一言で言ってしまえば謎解きサークルだ。
メンバーは5人、10人と言った小規模なものではない。
SNSなどでも公式アカウントを構え、つい最近会員メンバーが四桁に上がって今注目されている。
参加メンバーは若者が多いが、プロアマ問わず楽しめる謎解きが人気を呼びゲームやアプリ化も期待されているサークル、今やプロジェクトだった。
定例会や、運営メンバー参加メンバー共に繋がりも盛んな為実際に顔を合わせ、交流を楽しむのも一つの活動内容だった。
今回もその一つだった。
彼女は初めて参加する。
場所や内容は事前に説明されたとは言え、どんなところに泊まりどんなことをして過ごすのか、事細かなことまではわからなかった。
一体この滞在期間で、一体何があるのだろうと考えながら窓の外を眺めた。
コンクリートの地面は初夏の爽やかな日差しに照らされている。
何故だろうかまるで、誕生日の前日みたいな愛らしい喜びが、そこから感じ取れた。
乗客もドライバーも静かになりもうすぐ、バスは発車しようといていた。
「あの、貴女。」
1人の空間を遮るように、後ろから声が入り込んできた。
「あっ、は、はい。私でしょうか…?」
体ごと後ろを振り返る。
「ええ。こちら落ちてましたが、貴女のものですか?」
手に持っていたのは白地に花の刺繍が施されたハンカチだった。
兎乃のものである。
彼はグレーがかった茶髪を七三に分けていて、いいスーツを着こなしている男性であった。
「ごめんなさい、そうです。拾っていただいて、ありがとうございます。」
目を合わせず、軽く頭を下げて礼を言った。
少し甘やかなコロンの香りが兎乃の鼻をかすめる。
ハンカチを受け取ると、男性は目を少しばかり細めて微笑み、上体を戻した。
彼の顔立ちがやけによかったことをくるくると考えながら、ハンカチをポケットにしまう。
そこまで見る時間もなかったが、鼻筋が通っていてはっきり脳裏に描けるほど印象的な瞳をしていた。
いけない、だめだ。
兎乃はそこまで考えて自分の思考を無理矢理止める。
前の会社のあの奴もそうだった。
自分が騙された、恋愛なんかにうつつを抜かしたために。
もう、名前も思い出したくない。
あいつも外見ばかりいい男だった。また同じ轍をふむ訳にはいかない。こうゆうことはなるべく考えないようにしないと。
私はもしかしなくても、もしかしてもちょろっこいのかなぁと兎乃は悲しくなった。
ここまですぐ男性に引っかかるのは、寂しいからなんだろう。
自己嫌悪を通り越して、憐れみを覚えた。
なんて自分はつまらない人間なんだろうか。
全く、可哀想だな。
こんな状態で、あいつに復讐ができるだろうか。
いや、できない。変わらなければ。
何か、ドラマや映画のような劇的な事が自分の元に降りかかってこないだろうか…
そこには無論、彼女を守る彼が居るのだ。
と、そこまで考えて、兎乃は思考を強制的に戻した。
ほら、また。
まただ。妄想すれば、必ずそこに理想的で素敵な男性が住んでいる。
もはや悲しみなんて感じず、あるのは全く…私はと呆れることだけだった。
自分に呆れるだなんて、寂しい。
兎乃は静かに目を瞑った。
愚かな自分の思考を断ち切るために、きゅっと目を瞑った。
視界を拒めば、音が研いだナイフのように輝きを帯びて兎乃の耳に入り込んできた。
人間の吐息、呟き、衣服の擦れる音、車内のアナウンス、このバスや他の車両の走行音。
最初のうちは、彼女を眠気から引き止めるものだったが、段々それが遠のいた。
兎乃は可憐な寝顔を晒して、しばしの間眠りこけた。
濃い青に染まった髪と、会社では着ることの許されなかった動きにくいワンピース。
その長い髪はまとめず下ろし、さらさらと微かな風にも揺れる。
何より今、彼女は笑顔だった。
しかし純粋で無邪気な顔でなく、にやりとした勝ち誇ったような笑み。
前のような仕事や会社と言った彼女にとっての”呪縛”はそこにはなかった。
これからは好きな格好をし、気に入るものだけ受け入れて、楽しいことだけして。
なんて、居れるものだろうか、無理だ。また職探しをしなければならない。
仕事のことを考えるとまた心が暴れそうだ。
まとわりつく思考を首を振って除け、バスの指定座席に腰を下ろした。
隣には30代くらいの、茶髪の女性が座って、スマホを眺めていた。
長い髪がスマホの画面と彼女を囲う、檻のように見えて気味が悪い。
足元に手持ちのバッグを置き、乗客を確認するドライバーの声を意味もなく聞いていた。
キャリーケースはもうすでに、トランクに積んでもらった。
前日まで行かないだろうとばかり考えていたが、兎乃は謎解きイベントなるものに足を運ぶことを決めて、今そこに向かう高速バスに乗り込んだところであった。
謎解きイベントを開催するのはあるネット上サークルの運営メンバーであって、そのサークルというのは”謎解き”を活動の内容としたものだ。
一言で言ってしまえば謎解きサークルだ。
メンバーは5人、10人と言った小規模なものではない。
SNSなどでも公式アカウントを構え、つい最近会員メンバーが四桁に上がって今注目されている。
参加メンバーは若者が多いが、プロアマ問わず楽しめる謎解きが人気を呼びゲームやアプリ化も期待されているサークル、今やプロジェクトだった。
定例会や、運営メンバー参加メンバー共に繋がりも盛んな為実際に顔を合わせ、交流を楽しむのも一つの活動内容だった。
今回もその一つだった。
彼女は初めて参加する。
場所や内容は事前に説明されたとは言え、どんなところに泊まりどんなことをして過ごすのか、事細かなことまではわからなかった。
一体この滞在期間で、一体何があるのだろうと考えながら窓の外を眺めた。
コンクリートの地面は初夏の爽やかな日差しに照らされている。
何故だろうかまるで、誕生日の前日みたいな愛らしい喜びが、そこから感じ取れた。
乗客もドライバーも静かになりもうすぐ、バスは発車しようといていた。
「あの、貴女。」
1人の空間を遮るように、後ろから声が入り込んできた。
「あっ、は、はい。私でしょうか…?」
体ごと後ろを振り返る。
「ええ。こちら落ちてましたが、貴女のものですか?」
手に持っていたのは白地に花の刺繍が施されたハンカチだった。
兎乃のものである。
彼はグレーがかった茶髪を七三に分けていて、いいスーツを着こなしている男性であった。
「ごめんなさい、そうです。拾っていただいて、ありがとうございます。」
目を合わせず、軽く頭を下げて礼を言った。
少し甘やかなコロンの香りが兎乃の鼻をかすめる。
ハンカチを受け取ると、男性は目を少しばかり細めて微笑み、上体を戻した。
彼の顔立ちがやけによかったことをくるくると考えながら、ハンカチをポケットにしまう。
そこまで見る時間もなかったが、鼻筋が通っていてはっきり脳裏に描けるほど印象的な瞳をしていた。
いけない、だめだ。
兎乃はそこまで考えて自分の思考を無理矢理止める。
前の会社のあの奴もそうだった。
自分が騙された、恋愛なんかにうつつを抜かしたために。
もう、名前も思い出したくない。
あいつも外見ばかりいい男だった。また同じ轍をふむ訳にはいかない。こうゆうことはなるべく考えないようにしないと。
私はもしかしなくても、もしかしてもちょろっこいのかなぁと兎乃は悲しくなった。
ここまですぐ男性に引っかかるのは、寂しいからなんだろう。
自己嫌悪を通り越して、憐れみを覚えた。
なんて自分はつまらない人間なんだろうか。
全く、可哀想だな。
こんな状態で、あいつに復讐ができるだろうか。
いや、できない。変わらなければ。
何か、ドラマや映画のような劇的な事が自分の元に降りかかってこないだろうか…
そこには無論、彼女を守る彼が居るのだ。
と、そこまで考えて、兎乃は思考を強制的に戻した。
ほら、また。
まただ。妄想すれば、必ずそこに理想的で素敵な男性が住んでいる。
もはや悲しみなんて感じず、あるのは全く…私はと呆れることだけだった。
自分に呆れるだなんて、寂しい。
兎乃は静かに目を瞑った。
愚かな自分の思考を断ち切るために、きゅっと目を瞑った。
視界を拒めば、音が研いだナイフのように輝きを帯びて兎乃の耳に入り込んできた。
人間の吐息、呟き、衣服の擦れる音、車内のアナウンス、このバスや他の車両の走行音。
最初のうちは、彼女を眠気から引き止めるものだったが、段々それが遠のいた。
兎乃は可憐な寝顔を晒して、しばしの間眠りこけた。