{プロローグ}
恋と殺人は似ている。
正確には片想いと、計画殺人である。
四六時中、その人のことを考え、他の事が十分にできない。
こんなことになってほしい、あんなふうになったらと妄想する度、頬が紅潮する。
唾が溢れ、それをこくんと飲み込む。
首筋をつーっと汗が伝う。
まるで滑らかな、妖しい昆虫のように。這って。
愛と憎悪は反対などではなく、同類なのだ。
私がその人を思う時、この二つの感情が交差する。
嗚呼深く触れたい、その人にのまれたい。
しかし同時に、その人を見れば憎しみを思い出す。
あなたは息をしていいはずない…
あなたはあの子を堕として…
そうでしょう…


第1章
<1>
「謎解きイベント?」
彼は受話器を右から左耳に当て変え、訊き返す。
「ええ、本物の探偵さんがいらっしゃって下さったら盛り上がると思うのです。」
電話相手は國近佳芳(くにちかかほ)という女性だった。
若く高い声で、如何でしょう?と彼に訊く。
彼は一色亮紀、事務所を構える探偵である。
この一色探偵事務所はオフィス街のレンガ造りのビルの2階にある。
鏡の様に陽の光を反射する背の高いビルが立ち並ぶ中、茶色くちびっ子な建物は逆に目立つ。
1階には喫茶、3階にはトランプやマーダーミステリーゲームなどを置くカードショップが入っている。
4階にも部屋はあり、時折人が出入りするが、何があるのか一色は詳しく知らなかった。
そして事務所は現在、彼だけで活動している。
その為仕事は足りないくらいが丁度いいのだが、幸福か不幸かそうもいかず。
昔は素性の知れない少年Xがやってきては仕事を持ってきて、よく2人で夜も朝も張り込みや尾行をした。
が、今やその少年も青年になっている年頃で、もう此処には居ない。
まれに情報屋や、同業者を頼る事はあるが、頻度が高くなるのは好ましくない。
他人に渡すボーナスが余裕ぶってあると言える状況ではないのだ。
正直金がない。
そう。ここには金も時間も余裕も、そして、お電話ありがとうございますこちら一色探偵事務所でございます、とワンコールで電話をとってくれる美女もいない。
ないものばかりの事務所だ、あるのは彼の頭脳だけ。
そんな彼に仕事の名前を被った、休暇が出るらしい。
謎解きイベントなど、本職である一色にとっては可愛いお遊びである。
「ええ、いいでしょう。日程と時刻をお教え願えますか?」
受話器を右肩と頬の間に挟んで、机の引き出しからスケジュール帳を取り出す。
ペンを抜き取って、6月の予定欄を開いた。
「…お受けしていただけるのですね、感謝です。場所はN県のK市で行います。
日にちは19日から22日の3泊4日です。19日当日、11時に駅にお迎えにあがります。詳細はまたご連絡差し上げますね。」
「承知しました、予定は合います。…大変失礼ですが、事務所と自宅は都内です。その…交通費というのは…」
「無論、こちらでご準備させていただきます。ご心配には及びませんわ。」
助かる。
「すみませんね、ありがとうございます。それで他にどれくらいの方が参加されるんでしょうか。」
19日の枠に11時と書き込み、22日まで横線をしゃっと引いてN県と記載する。
「今のところ私と主人、女性が2名と男性が2名です。お1人女性の方が検討中となっております。
一色さんも合わせたら7人にはなるでしょう。」
イベントなどと言うのだからそれなりに人数はありそうだと思っていたが、それくらいでよかったと息を吐いた。
探偵だからといって、プレッシャーをかけられるのは御免だった。
「わかりました。あと10日ですね。準備をします。」
「ええ、主人も私も楽しみに待っています。みんなパズルとかゲームとか色々解くのが好きなんですよ。」
一色は本当はそんなかっこいいものじゃないと言いたかった。
探偵なんて、と言うか彼なんて舞い込む仕事は浮気調査が最も多い。
たまに人探しだ。臨床犯罪学者火村英生も湯川学准教授も現実には居ない。
「そうですか、それは嬉しいですね。私も役に立てばいいのですが。」
飲み込む以外ない、これは依頼であって仕事だ。
「では、またお電話ください。番号を訊いてもいいですか。」
「ええ。」
國近夫人の電話番号をメモして、礼を言い電話を切った。
「…さてと、今の仕事を終わらせなければ。」