そんな経緯で僕は今、念願の連続殺人鬼リリー・ヴァリーと対峙している。
人間なら握手や記念撮影を求めるような興奮状態。
しかし残念ながら、僕は彼女を治療…もとい尋問する立場だ。

「メグの居場所を、僕にこっそり教えてくれませんか?」

椅子から身を乗り出し、右手を口元に添えて囁く仕草をして見せる。
リリーの容姿は天然物だが、僕のボディスキンは人工的に、完璧な美貌を模しているそうだ。この仕草は、その容姿を最大限に活かすモーションだとプログラムされている。
名称は「あざとい」だ。

「………。」

リリーはバイタルを変動させず、じっと僕を見つめている。
深海の奥底に呑まれていくような感覚があり、僕の脊椎支柱の辺りに微弱な電流が走る。

僕はフィードにメッセージを送る。
外部で連絡を待つ局員へ向けて。

《リリーの口枷を外します。》
《舌を噛み切らないか?》
《予兆があればその前に止めます。》

僕は椅子から立ち上がり、リリーの口を封じていた拘束具を外した。
はぁ、という微かな溜め息が漏れ、彼女は自由になった唇で、抑揚の無い声を発する。

「ありがとう、ブリキちゃん。」

驚いた。想像よりもだいぶハスキーな声質だったから。
喉を痛めている?生まれ付きか?

「…ブリキ?
僕の機体の主成分は形状記憶合金、チタン、それにシリコンです。」

「子どもの頃遊んだ玩具に似てる。
だからブリキちゃん。」

確かに僕の内部骨格は金属製だが、外観となるボディスキンは、本物の人間に近い質感のはず。

「では、僕のことはブリキと呼んでくださって結構です。」

彼女の目には、僕の骨格が透けて見えているとでも言うのだろうか?

「リリー、貴女の死刑は予定通り2日後に執行されます。残念ですが、それは避けられません。
ですから…メグ・エバンズのことは僕に任せてくれませんか?
貴女にとっても心残りでしょう?」

「……。」

リリーは何の目的でメグを誘拐したのか。
データベースを参照した限りでは、リリーとメグの間には特筆すべき関係性は見つからなかった。つまりは赤の他人。おまけに親子ほども年齢が離れている。

「メグは、貴女の特別な人ですか?
昔お世話になった恩師とか?」

リリーは10年もの間、国内各地を転々として殺人を繰り返していた。
渡り歩いた先で出会った人間を無差別に選んでいるのかと思われたが、それにしては被害者全員が元犯罪者というのは妙だ。
さらに状況を不可解にさせたのは、小さな町の(いち)女性教諭に過ぎないメグ・エバンズには一度も逮捕歴が無いという事実だった。

だから、考えられるパターンは2つ。

「貴女は、メグから酷い仕打ちを受けたんですか?」

リリーが本当に無作為に標的を選んだか。
メグ・エバンズに、実はデータベースにも載っていない犯罪歴があるか。

「………。」

この問いは有効打だったらしく、リリーは体を小さく揺らし、落ち着かない様子だ。

「…可哀想に。貴女は何も悪くありませんよ。
悪いのは、貴女を追い詰める人間です。
でも信じて。僕だけは貴女の味方ですよ。」

僕は搭載されている電子音声からノイズを完璧に排除し、人間の耳に心地良いとされる音域を発する。

リリーの目から透明な水が一粒、ぽろりと零れ落ちた。

僕は脳内で拳を握った。
掴んだ。この糸を逃したくない。

「貴女がしたことは一方的な殺戮じゃない。
何もおかしいことはありません。」

「………そうだね…。」

リリーは弱々しい声を上げる。
けれど僕の慰めの言葉を聞いた後は、安堵の色が強くなる。
僕のことを、味方だと思い始めている証拠だ。

犯罪者の心に入り込む鉄則は、どんな境遇であっても相手に親身になることだ。
リリーに殺害された85人の犠牲者達。無論、法に裁かれるのはリリーだが、彼女に心を開かせるには、どこまでも彼女に寄り添う必要がある。

こんなこと、生身の人間にはきっと出来ない。

「リリー。メグには法的処罰が必要です。
僕達ならそれが最も効率良く行える。
メグを明け渡してもらえますか?」

音域を変えず、リリーを宥める。
これで事が運べば上々。

しかし、リリーは元の冷たい無表情に戻ってしまった。

「それは駄目。
だって、私は彼女を愛しているのだから。」

「…?
大丈夫、僕は医療アンドロイドです。
ちゃんとメグに寄り添います。」

言葉の選択を誤った?
いや、それよりも、“愛してる”って?

「君は機械でしょう、ブリキちゃん。
なら、無理だよ。分かるはずない。」

せっかく開きかけた心の扉に、再び有刺鉄線がきつく巻き付けられていく錯覚をした。
リリーの低い唸り声。まずい、このままでは嫌われてしまう。

「リリー?
僕に話してくれませんか?
メグは貴女に何をしたの?
貴女の苦しみを少しでも、僕に分けてくれませんか?」

「……なぜ?機械に何が理解できるの。」

リリーの目が僕を睨む。

これはまずいぞ。僕はやってしまったらしい。
下手に誤魔化したところで後々自分の首を絞めるだけ。それならいっそ正直に白状してしまおう。


「僕は貴女が好きなんです。」


予想外の言葉に、不意打ちを食らったリリーは大きく目を見開いた。

一応断っておくと、僕の発言に嘘は無い。
犯罪者情報を読み漁る中で、最も僕の知的好奇心を刺激したのがリリーだった。
他の犯罪者に比べてあまりに少なすぎる情報量。その断片からいくら推察を重ねても、僕には彼女が分からなかった。

「ずっと貴女のデータを見漁っていました。日に18時間です。
それでも生身には敵わない。僕は生身の貴女をもっと知りたいし、2日後に貴女が死んでしまうなんて信じたくありません。
貴女のことをもっと深く愛してみたいのです。」

これは最早、人間で言う「愛」と呼んでも差し支えないはずだ。

「僕に、愛を教えてくれませんか?」

「………。」

流れる沈黙の空気。
外部との通信が遮断されていて助かった。
こんな馬鹿げた発言、もし課長に聞かれたら「AIの故障だ」と騒がれて初期化されていたかもしれない。

リリーはしばらく同じ表情で固まっていたが、やがてその目は緩やかに細められた。