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「由麻っ! どういうこと!?」


 教室へ戻ると、茜が凄い勢いで由麻に寄ってきた。五時間目が始まるまであと三分ほどある。誤魔化して逃げられる短さではない。


「いつの間に宇佐くんと知り合ったの? 言ってくれても良かったのに。長瀬くんもびっくりしてたよ。宇佐くんが女の子を自分から呼び出すなんて珍しいって」
「私もどういうことかはよく分からないんだけど……」
「何それ、どういうこと!?」


 “どういうこと”が続く不毛な会話である。
 しかし、きちんと経緯を説明して茜に頭がおかしくなったと思われるのも嫌だ。それに、宇佐はおそらく初めて計算外の行動をした由麻だからこそ不思議な力について打ち明けたのだろう。ラプラスの悪魔については、誰にでもペラペラ話していい内容ではないと思われる。


「……同じ本を読んでたから、ちょっと話すようになったの」


 うまい誤魔化し方が分からず、必死に脳内で自分と宇佐の共通点を探した。すると茜は納得したようで、うんうんと頷く。


「何にせよ良かったじゃん! このまま彼女から奪っちゃいなよ」
「いや、それはどうかと」


 大胆な発言をする茜を否定した。
 宇佐のことは、ただ見ているだけで満足だったのだ。それが喋ることすらできるようになった。これ以上を求めるなんて恐れ多いし、彼女に悪い。


「え~……でもさぁ、宇佐くんの彼女、長瀬くんに本気で嫌われてたよ。もしかしてあの噂本当なんじゃない?」


 由麻はその噂が何なのか全く知らないし興味もないが、誰とでも幅広く仲良くなれる長瀬が“嫌い”と明言するのは確かに少し気になる。


「それか、長瀬くんの元カノだったりするのかなぁ? 気になるー! でも聞けないー!」
「……茜、もしかしてちょっと本気で長瀬さんに惚れちゃってる?」


 ゲーム感覚の軽い気持ちで楽しく恋愛をしたがるタイプの茜が頭を抱えて悩んでいる姿は、由麻にとって新鮮だった。


「……そりゃ、こんだけお近付きになっちゃったら、好きにもなっちゃうよ」
「ふーん。へーえ」


 珍しく乙女のような顔をしている茜をからかうように覗き込むと、「もー! 授業始まるからまた後でっ」と逃げるように自分の席に戻られてしまった。



 それからの一ヶ月、夏休みが始まるまでに二度、由麻は宇佐と音楽室で会った。話すのは本の感想や、最近授業でこれを習っているなどの他愛もない話だった。
 夏休み期間中は会わないことになった。夏休みにも午前中授業がある特進クラスの宇佐と違って、由麻は夏休みに学校に来る用事がない。少し残念に思ったが、必要以上に会いたがるのも変だと思って了承した。

 夏休み中は学校近くのコーヒーチェーン店でバイトを始めた。
 高校生向けの求人が貼られていたので応募した。由麻は長期休みで昼夜逆転しがちな人間なので、日中に何か用事を入れた方がいいと思ったのだ。桜ヶ丘大付属の中高生は印象が良いようで、割とすぐに採用された。

 学校が近いとはいえ夏休み中である。同じ学校の人間にはほぼ会わないであろうと思っていたのだが、その予想は初日で覆された。
 お昼過ぎ、ぞろぞろと店内へ入ってきたのは制服を着用した長瀬と、長瀬と仲良さげな見たこともない男子たち。由麻は何故彼らがここにいるんだと暫し考えたが、そういえば長瀬は部活をしていることを思い出した。サッカー部は夏休み中も容赦なく部活がある。だから毎日学校に来ているのだろう。
 学校最寄りで休憩スペースが広く、Wi-Fi完備で涼しいこの店舗は普段から桜ヶ丘の中高生の溜まり場と化している。長瀬御一行も今日はここで屯するらしく、ワイワイ騒ぎながら甘いフラッペコーヒーを注文して休憩スペースまで走っていった。

「あんまデカい声出すなよー。他の客に迷惑だろ」

 ごもっともなことを言ったのは長瀬だった。長瀬は注文されたスコーンを温めている由麻に気付くと、にかっと笑顔になって手を振ってきた。あの爽やかスマイルにやられる女生徒は多いだろう、と客観的な感想を抱きながら会釈する。

「宇佐、おせーよ」

 長瀬が入り口に向かって放った言葉を聞いて思わずそちらに目を向けた。
 気怠げな宇佐が店内に入ってくる。

「暑い……」
「お前ほんと暑いの苦手だよな」
「長瀬たちはよくそんな元気でいられるよね……」

(暑いの苦手なんだ。可愛い)

 宇佐はちょうど手の空いた由麻が担当しているレジへやって来て、悩み抜いた末に「アイスコーヒーで」と言った。由麻がここで働いているところを初めて見たにしては特に驚いていない様子だ。これも予測で分かっていたのかもしれない。
 宇佐は長瀬が選ぶのを待ちながら、何か別の事柄を待つようにスマホをポケットから取り出した。数秒後、それが着信画面に変わる。

「もしもし」

 電話に出たその声は酷く優しく、相手が彼女であることは由麻にも何となく分かった。スマホ片手に早足で一旦店を出ていく宇佐の背中をぼうっと見つめていると、目の前の長瀬が「なぁ、聞いてる? 由麻ちゃん。俺このフラッペがいいんだけど」と言ってきた。
 はっとして注文をバーコードを読み取って注文を受け付けると、長瀬がくっくっと笑う。


「由麻ちゃん、分かりやすすぎ」
「……ごめん」


 決済しながら小さな声で謝った。


「宇佐と電話できる彼女のこと羨ましい? 由麻ちゃんにも宇佐の連絡先教えてやろっか?」
「いいよ。そういうの宇佐さんは嫌がるんでしょ」
「まぁそうだけど。あいつ彼女以外の女の連絡先全部消してるしなぁ」


 言ってみただけ、と長瀬が悪戯っ子のように笑う。随分悪質な悪戯だ。


「そうしねーと彼女が不安定になるんだって」
「宇佐さんは相手の嫌がることをしない優しい人なんだね。ますます好きになる」


 宇佐が彼女以外の連絡先を持っていないことを意外には思わない。宇佐はおそらく、彼女に尽くすタイプだ。それは見ていればすぐ分かる。
 すると、長瀬はまた笑った。


「由麻ちゃんっておもしれーよね。ここ、彼女の悪口言うとこなのに」
「前から思ってたんだけど、長瀬さんは実は性格悪いよね」


 正直な感想を述べると、長瀬が今度はぶはっと噴き出した。余程ツボに入ったのだろう、スマホを持つ手が震えている。
 他人の悪口を誘導する人間を性格が悪いと言わずしてなんと言うのだ。事実を述べただけなのに、と由麻は思いつつ、後ろの客も待っているので「次の方どうぞ」とさっさと長瀬を退けた。




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 勤務時間が終わり、他の店員と交代することになった。裏で制服から私服に着替え、鞄を持って外に出る。
 すると、そこに宇佐がいた。びっくりしてガラス越しに店内を確認するが、長瀬たちの集団はまだテーブルで話し合っている。


「……長瀬さんのところ行かないの?」
「あんたと喋りたかった」


 由麻を見ずにそう言った宇佐は、スマホをポケットに仕舞う。由麻のバイトが終わる時間は予測できていたのだろう。