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翌週、吉春と由麻についての噂はエスカレートしていた。実は既に付き合ってるとか、デートしているのを見ただとか、事実とは異なる内容まで噂されている。吉春と茜が付き合った時も一瞬で校内の話題はそれ一色になっていたため、この展開を予想していなかったわけではない。
予想外だったのは――由麻の容姿のこともちらほらと話題になるようになったことだ。
「江藤先輩さ……最近可愛くなったよね」
「分かる! やっぱ長瀬先輩の影響かな?」
「いやでも長瀬先輩が仲良くしてる女子の中だと特別美人ってわけでもなくない? いや、可愛いけどさ」
「長瀬先輩付近の女子って皆レベル高いもんね。あの辺とはずっと付き合わなかったのに、急に吉澤先輩と付き合いだしたり、江藤先輩と付き合いだしたり、謎」
「長瀬先輩は性格を見るってことじゃないの。ヤバい、心までイケメン」
「うちのクラスの男子とは大違いだね。あいつら女子の見た目で格付けランキング作ってたよ」
「はぁ~? ウチらの格付けする前に自分の顔鏡で見ろっつーの」
トイレの個室から、手洗い場を占領する後輩たちのそんな会話も聞いてしまった。リコが高校生間のルッキズムは激しいと言っていたことを思い出し、なるほど確かにと少し複雑に感じながら、後輩たちが手洗い場から去るのを座ったままずっと待っていた。
由麻の見た目の印象は客観的に見ても変わったらしい。それが決定的に分かったのは、ミスコンの実行委員から誘われた時だ。
「江藤さん、ミスコン出ない?」
「…………は?」
耳を疑った。
「人数足りてないんだよ〜。今年は結構、そういう目立つこと嫌う子が多くてさ。この時期にここまで人数集まらないことはそんなにないはずなんだけど……」
「ああ……人数合わせ的な……」
「や、それだけじゃなくて! 江藤さん、最近お洒落じゃん? 垢抜けたっていうか。上位取れると思うんだよね~」
上位はさすがに難しいと思うが、お世辞でも嬉しかった。
ミスコンと言われて最初に思い浮かぶのは、ミスコン一位に輝いていた香夜の笑顔だ。さすがにあれほどの美貌はない。でも、同じ土俵に誘われるのは初めてだ。
「……分かった。他にやる人いなかったら、やるよ」
遠慮がちに引き受けた。目立つのが嫌いな由麻が、変わろうとした瞬間だった。
吉春には何だかんだ言いくるめられており、文化祭は一緒に回ることになっている。いつまでも由麻が優柔不断な態度を取っていると、茜にまでその話が伝わったらしく、茜から「行きなって! あたしリコと回るから!」と強く勧められた。茜は由麻に新しい恋をさせたくて仕方がないらしい。曲がりなりにも吉春が好きだったのに、こういう時は心置きなく由麻を応援してくれるのだから良い子だ。茜が以前吉春と付き合っていたことから、他の生徒の間では由麻と茜の不仲説なども出ているようだが、実際は何の心配もなかった。
文化祭は今週末。装飾が完成に近付いてくると、装飾部門の他の二人は再び全くこちらに来なくなった。どうせ間に合うと思っているのか、クラスの方へ行ってばかりだ。グループチャットに確認のお願いのメッセージと写真を送っても、適当にスタンプが返ってくるだけなので、装飾に関してはほぼ由麻の独断で進めている。
今日も一人で進行することになる――と思ったが、装飾部門の一人が珍しく準備の場までやってきた。手伝いに来てくれたのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
「連絡来なかったんだけど」
由麻を見るなり、彼女はそう吐き捨てた。
「……連絡?」
「長瀬くんからの連絡!」
そして、由麻が塗っていたダンボールの乾いた部分を踏みつける。上履きの痕が付いてしまい、由麻は絶句した。
そういえば、この子の連絡先を吉春に渡していたのだった。とはいえ由麻は渡しただけで、その後どうするかは吉春の自由である。
「由麻が私のメモ渡さなかったんじゃないの? 最近長瀬くんと仲良いからって、調子乗って。自分と長瀬くんの仲邪魔されたくなかったんでしょ」
あらぬ疑いをかけられたため、慌てて立ち上がって反論する。
「渡したよ。連絡来なかったなら吉春が忘れてるんだと思う」
「記憶力いい長瀬くんが忘れるわけないじゃん。私のメモ捨てて笑ってたんでしょ。由麻なんかに渡さなきゃよかった」
彼女の怒りは収まらず、由麻の用意している装飾にまで飛び火した。
「てかさ、この飾りも、勝手に決めないでよ。いつも色とか配置とか勝手に決定して進めてるよね」
「それは、あなた達がなかなか来ないから……私が決めた方が早いと思って」
「はぁ? 私のせいにするわけ!? こっちだってクラス準備忙しい中来てやってんじゃん! 由麻は暇かもしんないけど、私は忙しいんだよ!」
ダンダンとダンボールを踏み付けられ、悲しい気持ちになった。昨日一生懸命塗って乾かしていたそこに、足跡が付く。人の努力を何だと、と怒りが芽生え、言い返そうとした――その時、聞き慣れた誰かの声がした。
「――長瀬はあんたみたいな女好みじゃないから、どのみち無理でしょ」
廊下の向こうから、宇佐が歩いてくる。
宇佐はダンボールの上に置かれた女子生徒の足を冷たい目で見つめた後、その視線を彼女の顔に移行させる。
「装飾部門が三人揃った回数って、数えるほどしかないんじゃない? いつも由麻に仕事任せてばっかりで、由麻がいないとここまで完成してなかったくせに、よく偉そうに物を言えるよね」
「それは……」
「分かってるよ。あんたはクラスのリーダー格の女子の金魚の糞だから、クラスの仕事を断れないんだよね? 実行委員の方行きますなんて、許してもらえないんだよね。形だけ仲良くしてる女子たちといまいち馴染めてなくて、休日は仲間はずれにされてて、くだらないスクールカーストをキープするのに必死なんだよね? 自分より地味な女子とは付き合いたくなから、今のグループを捨てて他のグループに入る勇気もないんだよね? そこで、学校の有名人の長瀬と仲良くなれば同じグループ内での自分の地位も上げられるって思ったんだよね? なのに、最近彼女と別れてくれたはずの長瀬は今度は由麻と噂され始めて、何もかもうまくいかないストレスを由麻にぶつけるしかなくなったんだよね?」
宇佐に次々と状況を言い当てられた彼女は、不気味なものでも見るかのような目をして青ざめる。
「な……何で三組のこと……同じクラスでもないくせに……」
「俺何でも分かっちゃうからなぁ」
宇佐の笑顔を初めて怖いと思った。
「あんたがクラスの女子について愚痴ってるSNSの裏垢も知ってるよ」
「……っ!」
女子生徒の顔が真っ赤になる。
「あの愚痴スクショしてコピーしてばら撒かれたくなかったら、由麻が作った装飾、踏むのやめてくれる? ――足、退けろよ」
ハッとしてダンボールから足を退けた彼女は、「な、何なのよ!」と怯えた表情で逃げるように走り去っていった。あの様子だと、愚痴アカウントについては誰にも教えていなかったのだろう。隠しているはずのことを宇佐に知られていて驚いたのだ。
プライバシーなどあってないようなもの。ラプラスの悪魔は恐ろしい……と彼女に対して僅かながら同情していると、宇佐が由麻に向かってふにゃりと笑った。
「今度は間に合った」
宇佐は、由麻が悪口を言われる未来を予測して、駆け付けてくれたのだ。以前までならこういうことをされたら期待してしまっていただろう。しかし、今は違う。純粋に友達としての感謝の念を抱けるようになった。「ありがとう」と小さくお礼を言うと、宇佐がじっと由麻を見つめてくる。
「髪切った?」
「うん。予測してた?」
「ううん。ちょっとびっくりした。予測してなかった」
「宇佐さんは長い方が好きでしょ」
「何でそう思うの?」
「香夜さん、髪長いから」
「俺は短い方が好きだよ」
きゅうっと胸が締め付けられる。そんなことを言われてしまったら、ずっとショートでいてしまうかもしれない。もうそういうのはやめると決めたのに。
その時、由麻のスマホが震えた。画面にメッセージの通知が映される。
「吉春からだ」
「……〝吉春〟、ね」
宇佐の眉がぴくりと動く。
「予測できてたけど、実際に聞くとまた違うな」
返信をしようとした由麻の手首を宇佐が掴んできた。
「由麻からその名前出てくるの、面白くないかも」
――どういう意味、と聞ける勇気がない。
黙って宇佐の次の言葉を待っていると、宇佐が由麻の手首を掴んだまま僅かに引っ張った。
「由麻。俺の話、聞いてくれる?」
「……どうしたの」
「音楽室行こ。久しぶりに」
「でも、準備残ってるし」
「俺の予測では、今日サボっても由麻はちゃんと前日までに余裕を持って終わらせられるよ。今は俺のことを優先してほしい」
好きな人――好きだった人にそんな言い方をされたら、逆らえない。
「俺さ、先週由麻に言われてから、色々考えちゃった。それで、由麻に聞いてもらいたいと思ったんだ。香夜と、俺のこと」
宇佐が少し切なげに笑った。