由麻は他クラスの教室に入ることに抵抗があったが、茜が憧れの長瀬に誘われてうっとりしているので、水を差すのはよくないと思い黙って付いていった。

 五組の教室は涼しかった。もう二週間ほど学校では暑い思いをしながら過ごしていたので、教室のクーラーってこんなに涼しかったっけ、と思った。
 昼休み中は食堂へ行く生徒が多いためか教室はスカスカだ。由麻たちは長瀬の前の席にお邪魔させてもらった。
 由麻は長瀬の顔を初めてこんなに近くで見た気がした。明るい茶髪で髪色は目立つが、眉はきりっとしていてかっこよく、文句なしに顔が整っている。
 長瀬と仲良くしている女子二人に目をつけられたくなくて控えめにしている由麻とは違い、茜は積極的に長瀬に話しかけている。

「長瀬くんってすごい人気だよね!」
「んなことねぇよ? でもあんがと~」
「かっこいいって噂されてるよ。一年生の間でも話題になってたよ? モテるでしょ~」
「んー、でもガチ恋多いのはやっぱ宇佐じゃねぇ?」

 単語帳を見ていたところ、唐突に宇佐の名前が出てきたので由麻は何となく顔を上げてしまった。由麻が動いたのを見て、茜は「ガチ恋勢、ここにも一人」とニヤニヤしながらからかってくる。
 すると、ずっと茜と話していた長瀬が由麻の方に視線を向けてきた。

「由麻ちゃん、宇佐のこと好きなの?」

 誤魔化すか否か逡巡したが、嘘をつくのが心苦しく、頷いて肯定した。

「うん。言わないでね」

 由麻は宇佐から認識されていないので言われたところで問題はないのだが、一応釘を刺す。

「あいつはやめといた方がいいぜ」

 長瀬が即座に忠告してきたのが意外だった。人の恋バナは無条件に盛り上げてきそうな男であるためだ。

「彼女にべた惚れだもん。報われねーよ」

 ――そんなことは言われなくても分かっている。
 宇佐と彼女が一緒にいるところを何度か見たことがある。いつ見ても、宇佐は酷く愛しそうな目で彼女を見つめていた。友達といる時にはしない表情、仕草、触れ方で彼女に触れる。愛しくてたまらないという様子で。

「ま、俺はあいつの彼女嫌いだけど」

 軽い感じで付け足された言葉も、これまた意外だった。人に対してはっきり嫌いだというタイプだとは思っていなかった。長瀬は誰にでも優しいような印象がある。
 とはいえ、ちゃんと喋ったのは今回が初めてである。由麻の抱く長瀬へのイメージはかなりの偏見だったのかもしれない。

「宇佐さんが彼女にべた惚れなことくらい、知ってる。ずっと見てたから」

 淡々と返し、再び単語帳に視線を下ろした。知っていることだから、今更言われたところで別に何の感情も抱かない。

「そうそう、この子、中等部の頃から宇佐くんのこと好きなんだよ。宇佐くんが読書家だから図書室で本読み始めたらしくて。そのうち由麻も難しそうな本読むようになって、あたしは付いていけなくなっちゃった。あたし漫画しか読まないし」

 あまり初対面の相手に愛想よくできない由麻をフォローするかのように、茜が説明を付け足す。

「はは、由麻ちゃん、おもしれーね」

 長瀬がこちらの名前を出してくるので、無視するのもよくないと思い、英単語を覚えたかったがもう一度顔を上げる。
 コミュニケーション能力は茜ほどない。こういう時、なんと答えるのが正解か分からなかった。ありがとうございます? いや、違うか……などと考えて口ごもっていると、先に長瀬が口を開いた。

「由麻ちゃんが読んでる本、今度持ってきてよ」
「……本に興味がなければ面白くないと思うけど」

 長瀬は家に籠もって本を読むというよりも、毎日外へ出て友達と遊ぶタイプだろう。これもまた偏見かもしれないが。

「俺もそんなに普段本読むタイプじゃねーけどさ。弟が二人いて、もうすぐ夏休みだから課題図書? みたいなん読んでて。弟が頑張って読書してんのに兄の俺が読んでねぇのもな~って」

 由麻のような部屋に籠もって本を読むような根暗タイプにこんな風に優しくできる陽キャラも珍しいように思った。バカにされるのではと警戒していた分気分がよくなり、好意的に聞き返す。

「どんなジャンルが好き?」
「ジャンル? う~ん……俺も普段スポーツ漫画しか読まねぇからなぁ……でも、最近授業でやってる『こころ』は全文読んでみてーかも。教科書だと省略されてるし」
「ああ、文庫本持ってるよ。今度貸そうか?」
「マジ? ありがと~」

 隣の席に座っている長瀬を好きな女子二人からの視線が痛い気がして、それ以上話すのはやめた。

 しかし、そんな視線など気にもしていない様子の茜は、

「え、長瀬くんスポーツ漫画読むのぉ!? あたしも読む!」

 とその後も無遠慮に話しかけ続けていた。



 :

 その日の夜、塾が終わった後電車に乗って家に帰りながらスマホをいじっていると、Instagramにフォローリクエストが届いていた。

 Yoshiharu Nagase ――長瀬のアカウントからだ。

 どこからアカウントを見つけたのだろう、と不思議に思いながらフォローを返す。共通の友達に茜がいた。茜が長瀬を探してフォローし、由麻のアカウントも教えたという形なのだろう。

 長瀬のアカウントはイメージ通りキラキラしていた。友達と行った海やバーベキューの写真、家族との旅行写真なども載っている。
 その中に、長瀬グループのいつものメンバーが全員写っている写真があったのでアップしてみる。そこまではっきりした写真ではないが、肉を焼いている宇佐がいた。

(〝友達〟っていいなぁ)

 友達であればこのように一緒に出かけたり、間近でどんな表情をしているのか見られたりするのだ。由麻は長瀬グループの面々を羨ましく思った。