その後茜と別れ、一人で廊下を飾っていると、五組の教室から長瀬が出てきた。「お。由麻ちゃんじゃん」なんて軽い口調で言って近付いてくるものだから、何だか身構えてしまう。あの告白以降、直接は話していない。

「お疲れ。手伝ってやろっか?」
「……いいよ」
「由麻ちゃんの身長じゃ高いところには付けられないっしょ」

 断っているのに、長瀬は由麻の手からペーパーフラワーを奪っていとも簡単に壁に付けていく。これから足台を持ってこようとしていたところだったので正直助かる。

「なー由麻ちゃん」

 長瀬が花をくっつけながら由麻の方を見ずに話しかけてきた。

「文化祭、俺と一緒に回ろ」
「私、実行委員だから当日も何かしら役割割り振られると思う。忙しくてあんまり回れないよ」
「俺も実行委員だし。その気になったら同じ仕事引き受けて一緒に動けんじゃね?」

 長瀬と二人で回っていたら嫌でも全校生徒、主に女子から注目されるだろう。少し抵抗がある。

「それが無理だったら、後夜祭だけでも一緒にいよ。俺、後夜祭のキャンプファイヤー、由麻ちゃんと見たいんだけど」
「…………」

 カフェで茜たちが言っていたことを思い出す。

――……『後夜祭のキャンプファイヤー中に告白したら必ず成就するって伝説があるんだよ』

 長瀬がそんな伝説を信じているかは分からない。けれど、長瀬が由麻を誘ってくるのには特別な意味があるように感じられて気まずくなった。

「あと俺モテるからさ」
「急に自慢?」
「自慢じゃねぇよ。事実、最近めっちゃ女子に後夜祭誘われんだよな。どう言って断っていいか分かんねぇから、好きな子と過ごすってもう言っちゃった」
「好きな子って……よく恥ずかしげもなく言えるね」
「だめ?」
「だめっていうか……私、そこまで面白い人間じゃないし。一緒にいても多分長瀬さんはつまんないよ」
「その〝長瀬さん〟ってのやめねぇ?」

 長瀬が突然手を止めて、ずいっと由麻に顔を近付けた。

「吉春って呼んでよ」

 その表情が高校生にしては大人っぽく、一瞬ドキッとした。

「私、基本人のこと下の名前で呼ばないから」
「茜のことは茜って呼んでんじゃん」
「…………」

 それもそうか、と納得させられてしまう。
 長瀬グループのリコやその他のギャルたちも長瀬のことは吉春と呼んでいる。それを考慮すると、そう不自然なことではないのかもしれない。

「じゃあ……吉春で」

 ぼそりと呟くと、吉春はにやりと笑った。


 それから、吉春は校内でも堂々と頻繁に由麻に声をかけるようになった。
 同時に学校内では吉春に好きな人がいるという噂が広まり、その好きな人が由麻なのではないかという疑惑も広がっていった。




 :

 週末は、リコに連れられて美容室に行った。リコのお母さんは何と美容師らしく、お金を払って似合う髪型を考えてもらった。リコの母は由麻を見るなり、「この子絶対ショートの方が似合うよ」と断言してきた。感じの良いふくよかなおばさんで、良い匂いがした。

「どうしよっかなあ。トップにボリュームもたせて……この子の場合は前髪はあった方が可愛いね。任せて、とびきり可愛くするから!」

 茜の家の一階の美容室で髪をバッサリ切ってもらった。毛量も調整してもらって、都会的で可愛い感じに仕上がった。
 その後は、二階にあるリコの部屋でメイク指導が行われた。

「ベースメイクは絶対これだと思うんだよね。日焼け止め効果もあるし、これ、マジでテカらないから」
「わたしもこれ使ってる。涙ボクロも強調するよ!」
「眉毛描いたら結構印象変わるよね~」
「わたしリップ濃すぎて先生に注意されたから、リップは派手すぎない色がいいかもね。こっちは休日用にしよ」
「これ結構コーラルっぽいね。可愛い~あたしも買お」

 次々とリコから指示があり、言われた通りにメイクする。元々コスメ好きの茜は由麻が買った化粧品を並べて楽しそうにしていた。

「アイメイクどうしよっかな。わたし、ラメ入ってるやつ使って注意されたことあるんだよね」
「リコ、注意されすぎでしょ」
「ギリギリのライン攻めて先生の許容範囲探ってんの」

 桜ヶ丘大付属高校の校則は緩い方だ。しかし、派手すぎるとやはり注意されるらしい。これまで先生に注意されたことなどない真面目な生徒である由麻は少し怖くなってきたが、リコと茜にここまでしてもらっては引き下がれない。

「いいじゃんいいじゃん! 雰囲気大分変わった!」

 フルメイクした由麻を見て、リコは上機嫌で手を叩く。

「カラコン入れたらもっといいと思うんだけどな」
「ごめん……目に異物入れるの怖くて……」
「まぁ、無理にやるもんでもないね。十分垢抜けたと思うし」

 リコからは派手すぎないカラーコンタクトを買うように薦められていたが、生まれて一度もコンタクトを入れたことがないためかなりの抵抗があった。リコも無理にさせるようなことはなく、由麻の意思を尊重してくれた。

 一通りメイク講座が終わった後は、リコの母が持ってきてくれたドーナツを食べた。ジュースのペットボトルもいくつか運ばれ、好きなものを選んでコップに注ぐ。

「あたし、最近お金貯めてるんだ。やっぱり寮は無理そうだから、一人暮らしのための資金結構必要なんだよね。これまでママが買ってきたコンビニ弁当食べてたんだけど、最近それ断って自炊してるんだよ。あたし偉くない?」
「お兄さんの暴力は落ち着いてるの?」
「衝動的な暴力は意外と落ち着いてきてる。でも、いつまた再発するか分かんないから怖いんだよね。料理してる時もヒヤヒヤしちゃって。早く一人暮らししたぁい」
「重いわ〜茜の家庭」

 リコも茜の話は聞いているらしく、ドーナツをもぐもぐ食べながら物凄く軽い感想を言っていた。
 茜は由麻や長瀬以外にも家庭のことを話せるようになったらしい。皆前に進んでいる。うまくいかないことだって今後いくつもあるかもしれないのに、それでも希望を持って強く生きているのだ。

(私も、さっさと前向きにならないといけない)

 由麻の検索履歴は、宇佐に触れられたあの日から、『恋 終わらせ方』『長年の恋 忘れ方』『恋心を消す方法』などの内容で埋まっているのだった。