:

 文化祭準備が始まって二週間が経った頃、ようやく装飾部門の他の二人が実行委員の仕事にも顔を出すようになった。
 しかし、そのうち一人は、集合場所に来るなり話があるなどと言って作業中の由麻を呼び出し、人気のない廊下まで連れ出した。

「江藤さん、髪黒染めした?」
「ああ……うん」
「何で? バイト先とかが厳しいの?」
「そういうわけでもないんだけど、茶髪にしてる理由がなくなったから」
「あはは、何それ、ウケる~」

 こんなところまで連れ出してきて一体何の話だろうと身構えていると、彼女は少し恥ずかしそうにモジモジしながら本題に移る。

「あのさ、江藤さんって長瀬くんと仲良い? 前に中庭で長瀬くんたちと一緒にいるの見たことあって……」

 何となく、何の用か察した。長瀬グループの女子たちは皆派手で近寄り難いオーラを放っている。それに比べて、由麻は平凡で話しかけやいのだろう。

「長瀬くん、彼女と別れたばっかりでしょ? よかったら、長瀬くんに私の連絡先教えといてほしいんだ」
「自分で伝えた方がいいんじゃないかな」
「だって、長瀬くんの近くっていつも怖い女の子たちが囲んでるし……。江藤さんはあの子たちとも喋ってたでしょ? お願い、江藤さんにしか頼めないの」

 長瀬グループの女子たちは眼光が鋭く、他を寄せ付けない。彼女たちが怖いという気持ちは分かるので、InstagramのIDが書かれた可愛らしいメモ用紙を受け取った。
 積極的にアプローチできるその姿勢は由麻にとって尊敬に値するものだ。由麻は中学時代からずっと片思いし続けているのに何も行動を起こさず、先日フラれたばかりだから。

「渡しておくよ。連絡来るかは、あまり期待しないでね」
「うんっ。江藤さん、ありがとー。てか由麻って呼んでいい?」

 女子の距離の詰め方に少し狼狽えた。こういう子こそ友達作りがうまいのだろうなと、そこも尊敬した。


 長瀬にさっき渡された連絡先のメモの写真を送り付け、『長瀬さんと仲良くしたがっている女の子から預かりました』とメッセージを打った。その後、スマホをスカートのポケットに仕舞って作業を再開しようとした時、思いの外早く返信が来た。

『俺のクラス今体育館でダンスの練習してて終わるの遅くなりそうなんだけど、由麻ちゃん何時に帰る予定?』
『急いでるわけじゃなさそうだったから、明日でもいいよ』
『今日会えるなら今日会いたいんだけど』
『このメモの子に? 伝えとくよ。喜ぶと思う』
『いや、違うわ笑 由麻ちゃんに会いたいの』

 首を傾げた。もしや茜関連でまた何かあったのだろうかと思い、慌てて返信する。

『分かった。実行委員の仕事でどうせ遅くまで残ってるから、終わったら連絡して』

 長瀬も実行委員のはずだが、取りまとめ役は全体の仕事量が少ないこともあり、クラスの方にもうまく顔を出せているのだろう。
 由麻はスマホを再び仕舞い、仕事を再開した。


 他の二人が塾だからと言って帰った後も、由麻は長瀬を待って作業していた。
 完全下校時刻の少し前、長瀬から『今終わった。どこいる?』というメッセージが届く。こんなに練習が長引くとは、五組は余程ダンスに力を入れているらしい。

『三階のエレベーターの前』
『りょーかい』

 そんなやり取りがあった後、ちょっと疲れている様子の長瀬がすぐにこちらに走ってきた。

「お疲れ様」
「いや、由麻ちゃんこそお疲れ様。仕事押し付けられてるって聞いたけど大丈夫か?」
「誰からそんなこと聞いたの? 他の実行委員?」
「宇佐からちらっと」
「……宇佐さん、私の話なんてするんだ」

 意外に思いながら、今日女子から渡されたメモを長瀬に渡す。

「さっき私に会いたいって言ってたけど、何か話したいことでもあった?」
「や、別に用事とかはねぇけど、最近全然話せてねぇな~寂しいな~と思って?」

 由麻が長瀬と交流を持っていたのは、茜がいたからだ。茜と長瀬が別れた今、徐々に疎遠になっていくのは目に見えている。

「そりゃそうでしょう。他クラスなんだし」
「冷てぇ~。俺ら友達になろって約束したじゃん」

 長瀬がけらけらと笑う。そして、珍しそうに由麻の髪に触れてきた。

「由麻ちゃん、黒染めした?」
「うん。変?」
「んーん。俺はそっちのが好き」
「……そっか。そう言ってもらえると救われるな」

 由麻は自分の黒髪を触りながら自嘲した。

「一年生の時、宇佐さんの彼女がギャルだっていう噂があって」
「ギャル? あいつそういうのは嫌いっしょ」
「うん、ただの噂。その前は清楚系の大和撫子で校長の娘っていう噂もあった」
「はは、何それ。全然ちげーじゃん」
「うん、違う。馬鹿だよね。そんな噂真に受けて人生で初めて髪を染めたんだ」

 髪を染めて睫毛をバサバサにしたらギャルになれるなどと思っていた。だが由麻の顔の作りはギャルにはとても向いていない。似合わないと思って、ギャル風のメイクをするのはやめた。しかし一度染めた髪だけは、時間が経つとプリンになるのが恥ずかしくて、今まで染め続け、茶髪をキープしてきた。

「本当……馬鹿みたい」

 結局由麻は、期待を捨てきれていなかった。
 弁えているふりをして、本当は宇佐ともっと仲良くなりたかったのだ。でも――それももう、望んじゃいけない。
 心にけじめを付けるために、髪を黒に戻した。宇佐に恋をして明るく染めた髪を。

 ――突然、長瀬の力強い手が由麻の腕を引っ張った。いつの間にか、由麻は長瀬の腕の中にいた。抱き寄せられたと気付くのに数秒かかった。

「……長瀬さん?」
「一途すぎるわ。由麻ちゃん」
「……こういうのいいよ。また悪い癖が出てるよ、長瀬さん」

 元気がない人に過剰に尽くそうとしてしまう長瀬を注意したが、長瀬の腕の力は少しも緩まない。

「約束破ってい?」
「何の約束?」
「友達になるって約束。友達になるって言ったしなと思って、ずっと抑えてたんだけど」

 長瀬が、信じられないことを言った。

「俺、由麻ちゃんのこと好き」

 由麻は妙に冷静だった。そんなことあり得ないと思ったからだ。

「それって同情?」
「ちげーよ」
「元気ないからって、そうやって茜とも付き合ったんでしょ」
「違う。本当に由麻ちゃんのことが好き」
「何で私? もっと可愛い子から何度も告白されてきたくせに」
「由麻ちゃんは他の女の子とはちげーよ。芯があって、物怖じしなくて、いざとなったら他人からの目とかも気にしない勇気があるだろ。俺由麻ちゃんのそーいうとこ、結構憧れてんだけど」
「憧れは恋ではないよ」
「俺の気持ち否定すんの? 宇佐しか好きになったことねぇ恋愛初心者のくせに」
「…………」
「ちなみに俺も初恋だよ」

 男子に告白されたことなど初めてで、どういうリアクションを取っていいか分からずにいると、ようやく長瀬が由麻から離れた。

「俺、本気だから。俺とのこと、ちょっとは考えてみて」
「考えられない」
「即答かよ。どんだけ宇佐好きなんだよ。嫉妬するわ」
「宇佐さんを好きでいることは、もうやめるつもりだけど。やめたからって長瀬さんを好きになるとは思えない」
「何で? 俺と宇佐って何が違う?」
「全部」

 期待を持たせるのは長瀬のためにもならないと思い、きっぱり言う。しかし、長瀬は何故か楽しげに笑みを深めた。

「じゃ、俺は俺の良さで勝負するわ。宇佐の代わりになるのもやだし」

 こつんと拳を軽くおでこに当てられた。
 この後クラスでの用事があるのか、腕時計を見て慌てて「あ、俺一旦教室戻んなきゃ」と言った長瀬は、走り去りながら振り返って最後に一言告げてきた。

「俺、マジで黒髪の由麻ちゃんの方が好きだから。宇佐のために変えんなよ」

 ドキッとした。でも、ただいきなりのことが続いて動揺しているだけだ。今抱いているのが宇佐の時とは明らかに違う感情であることを由麻は分かっている。

(気持ちは有り難いけど……)

 宇佐以外の誰かを好きになる自分を想像できなかった。


 :

 次の日になると、何だか長瀬からの告白が夢だったかのように思えてきた。おかげで平常心で学校生活を送ることができた。
 文化祭準備は、装飾部門の他の二人がようやく本気を出し始めてくれたため順調だ。この調子なら急がなくてもいいというところまで来た。他の二人が「今日はここまででよくない?」と言って帰っていったので、由麻も久しぶりに暗くなる前に帰ろうと思い立ち、装飾を置いて教室に戻った。
 そこで、茜に捕まった。

「あ、由麻じゃん! 一緒に帰ろ~」

 茜の隣には五組のリコがいる。これから下校するところらしい。
 由麻は机に置きっぱなしにしていた鞄を持って茜とリコに合流した。

「今から一緒に晩ごはん食べようって話になってるんだけどさ、由麻もどう? お母さん帰ってくるの遅いんでしょ?」

 断るほどの理由もないので、こくりと頷いて了承した。


 学校帰りに寄れる距離にあり、少し高めのワンプレートご飯が食べられるお洒落なカフェに来た由麻は、お喋りな茜とリコの会話を黙って聞き続けた。
 そんな時ふと、リコが急に由麻の知らない情報を口にする。

「最近彼氏からの返信遅いんだよね」
「……彼氏できたの?」

 驚いて問いかけると、リコがちょっと照れたように笑った。

「リコ、サッカー部の先輩と付き合い始めたんだよ」

 リコの代わりに横から補足したのは茜だった。お相手は、リコが夏から気になっていた例の先輩らしい。

「そうなんだ。おめでとう」

 やはり、由麻は周りの恋愛関係の変化の目まぐるしさに付いていけないように感じた。この間まで長瀬が好きと言っていたリコは新しい人と恋仲になり、この間まで長瀬と付き合っていた茜は既に別れている。止まっているのは由麻だけのようである。

「あいつ煮えきらないから、わたしの方から告ったんだよね」
「ね。聞いた時びっくりした~。あたし、リコからは後夜祭のあの伝説のタイミングで告る予定って聞いてたから、計画より早くない!? と思って」
「伝説のタイミング……?」

 知らないワードが出てきたため首を傾げる。茜とリコに驚いたような目で見られた。

「由麻ってばほんと、恋愛の話題には疎いんだから~。桜ヶ丘大付属には、後夜祭のキャンプファイヤー中に告白したら必ず成就するって伝説があるんだよ。そうじゃなくても憧れない!? 後夜祭の雰囲気の中で告白したがってる生徒、今年もいっぱいいるだろうなあ。早い生徒だともうこの時期から好きな人の後夜祭の時間取ろうと動いてるんだって」
「ふーん……」

 中等部から桜ヶ丘大付属にいて知らなかった自分を恥ずかしく思った。
 ワンプレートご飯が三人分次々とテーブルに運ばれてくる。由麻がナイフとフォークを持ってハンバーグを切ろうとすると、茜がすぐさま止めてくる。

「あ、待って由麻、だめだよ、写真撮る前に食べたら」

 茜は写真アプリを開き、ぱしゃりぱしゃりと何枚かご飯の写真を撮った後、「はい、チーズ」と三人全員映る写真を撮る。由麻は写真慣れしていないのでどういう顔をしていいか迷ったが、とりあえず口角を上げた。

「由麻、笑い方不気味じゃない!?」
「……そう?」
「あはは、由麻ちゃんやばい。おもしろい」

 リコには何故かウケていて、写真を見てぷるぷると震えているようだった。

「もう一枚撮ろ!」

 結局、角度を変えて何枚も写真を撮った後、ようやくご飯を食べられるようになった。
 食べている最中の話題はほとんどリコの惚気で、茜はそれをキャーキャーはしゃぎながら聞いている。サッカー部の先輩とは夏からずっとメッセージのやり取りをしていて、二学期が始まってからは時々一緒に帰っていたらしい。向こうはリコが元々長瀬を好きだったことを知っていて、たまにヤキモチをやくのだとか。困った風に話しているが、幸せそうに見えた。
 サラダを食べながら微笑ましく思っていると、急に茜の視線がこちらに向けられる。

「由麻は何かないの? 宇佐くんと」
「……別に、何もないよ。フラれたくらい」
「え!?」
「えええ!?」

 茜とリコが目を見開いて身を乗り出してくる。

「え、嘘、ごめん、そうとは知らず、わたし自分のことばっかり……」

 さっきまで幸せオーラを放っていたことに罪悪感を覚えたのか、リコがゴニョゴニョと焦っている。

「別にいいよ。自分の状況が良くないからって、人の幸せを嫌だとは思わないから」
「……なんか、由麻ちゃん、そういうとこ凄いよね」
「そーだよ! 由麻は凄いよ。由麻ならすぐ別の良い人できるって。由麻の良さを理解できない宇佐くんが変わってるだけ! いないの? 他にいいなーって思う人」

 他と言われて、昨日告白されたばかりだからか長瀬の顔が浮かんでしまった。しかし、目の前にいるのは元々長瀬が好きだった女子二人だ。この場ではとても言えないと思い口を噤んだ――が、茜が真剣な表情で聞いてくる。

「……もしかして由麻、長瀬くんに告られた?」

 まさか茜に言い当てられるとは予測しておらず、ぎくりとして否定するタイミングを逃した。その絶妙な間を肯定と捉えたのか、茜が「え~っ! 長瀬くん、結局告ったんだ!」と騒ぎ出す。

「あたし、電話で別れ話した時に、長瀬くんの気持ち聞いたんだよ。あたしのことほんとは好きじゃなかったでしょって。そしたら、うんって言われて、ほんとは最近由麻のことが気になってたって打ち明けられて……」

 茜は平気そうに語っているが、想い人の好きな人が自分の友達だったのは複雑なのではないだろうかと思い、気まずくなった。しかし、茜は由麻の不安を吹き飛ばすかのような勢いで食いついてくる。

「あたし……っていうかあたし達に引け目感じなくていいんだからね。その辺の変な女じゃ納得いかないけど、由麻ならいいやって思えるし。あたし由麻と長瀬くんが付き合うならそれはそれで――」
「いや、付き合わないよ。私、まだ宇佐さんへの気持ちを整理できてないし」

 由麻の発言を聞いた途端、リコの声が低くなった。

「……は?」
「ちょ、リコ、顔怖いって。リコは先輩と付き合ってんでしょ?」

 明らかに不機嫌なリコを見て茜が慌てている。

「そりゃ、今は吉春のこと好きじゃないけどさ。元々ずっと好きだったし。あの吉春だよ? 吉春に告白されて、その態度はどーなのって思うんだけど。学校一のイケメンに告られたのに自分のこと見向きもしない男に時間使おうとしてるってこと?」

 信じられない、とリコは頭を押さえて天を仰ぎ、キッと由麻を睨み付けた。

「由麻ちゃんはもっと打算的になりなよ。一途なだけの恋が美しいって、それ少女漫画の世界だけだから!」