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 結局週明けになっても、装飾部門の他の二人が実行委員の仕事を手伝うことはなかった。
 装飾は、極論を言えばなくてもいいものだ。あとはどこまで拘るかの問題である。一番重要である門の飾りを先週完成させられたおかげでそれほどの焦りはない。
 由麻は今日も一人で淡々と装飾の作成を続けている。倉庫の上に置かれている飾り用のペーパーフラワーを取ろうとした時、上からダンボールが落ちてきてぶつかった。

「痛……」

 顔を擦ってしまったようで頬の辺りから血が出た。まずは落ちたダンボールを拾おうと屈んだ時、ダンボールに人影が映る。
 顔を上げると、――そこには宇佐が立っていた。
 宇佐とはあの夜から一度も会っていなかった。由麻の方から避けてしまっている状態であるため、少し気まずい。

「久しぶり」

 宇佐が由麻を見下ろして無表情のまま言う。

「文化祭準備、忙しかった?」
「……うん。実行委員になっちゃって」
「だから来なかったの?」
「え?」
「音楽室。待ってたのに」

 二週間に一度、音楽室で会おうという約束。そういえば昨日だった。準備が忙しかったのもあるが、宇佐のことを考えないようにしていたこともあり、忘れてしまっていた。
 宇佐が屈んで由麻と視線を合わせる。彼は何故か拗ねたような顔をしていた。

「……ごめん。待ってたなら、電話くれたらよかったのに」

 小さな声で謝罪した。

「それに、宇佐さんなら私が来ないことくらい予測で分かったんじゃないの」
「由麻のことは分からない」

 落ちたダンボールを由麻の代わりに拾った宇佐が、それを上の棚に戻しながら言う。
 宇佐は、予測では来なくても、もしかしたら来るかもしれないと思って由麻を待っていたのだ。
 申し訳なく思いながら立ち上がる。すると、隣から注意された。

「言った方がいいよ。ちゃんと仕事やれって」

 装飾部門の他の二人の話だとすぐに分かった。

「由麻だけが頑張る必要ないでしょ」
「でも、私はクラスの方の仕事少ないし……。できる人がやるべきでしょ、こういうのは」
「両立できないなら文化祭実行委員なんかそもそも引き受けるべきじゃないんだよ」

 宇佐の声が少し低くなった。まるで怒っているような声音だ。

(……私のことで怒ってくれてる?)

 違う。自惚れるな。もうこの恋心は忘れると決めたんだ。そうじゃないと――いちいち期待して心が揺れて、どんどん苦しくなってしまう。
 必死に気持ちを抑えようとしていたその時、由麻の頬に宇佐が触れた。

「怪我してる。保健室行こ」
「……っ」

 宇佐への恋心が溢れた。同時に宇佐と香夜が抱き合っている姿がまた頭に浮かんで、酷く胸が痛くなる。その痛みに耐えられず、ぽろぽろと目から涙が溢れた。
 宇佐が目を見開く。由麻は必死に頭で言い訳を考えた。しかし咄嗟には何も思い付かず、目を制服の袖で拭きながら俯く。何か、何か言わないと。何でもないと言わなければ。この恋心だけは悟られちゃいけない。
 ――……〝友達〟なんだから。

「……辛かった? 俺と一緒にいるの」

 宇佐が、由麻の頬に重ねていた手を下げる。

「ごめん。由麻のことはよく外すから、恥ずかしい俺の勘違いだったら悪いなと思って、何も言えてなかった」

 顔を上げた。視界が滲んで宇佐の表情がよく見えない。

「俺、あんたのことは好きにならないよ」

 宇佐は由麻に向かってはっきり言った。
 由麻は、ラプラスの悪魔を舐めていたのだ。

(何が、〝隠し通す〟? 把握されていないわけがない。宇佐さんには、何でも分かっちゃうのに)

「俺の未来は決まってる。俺はあの人以外好きにならない。この先も由麻の気持ちに応えられない。期待させてたらごめん」

 宇佐はずっと前から由麻の気持ちを知っていたらしい。

「由麻が自分から〝友達〟って言ってくれたから、その言葉に甘えてた。由麻が俺といて苦しいなら、この関係はもうやめる」
「……私、頑張るから。これから頑張ろうと思ってた。ちゃんと宇佐さんへの気持ちを忘れて、本物の友達になろうとしてたところだったの。そのためにちゃんと気持ちを整理して、それから宇佐さんと会おうって――」
「由麻が辛いならもう会わない。元々俺が言い出した話だったし、無神経だったね。付き合わせてごめん」
「宇佐さんと話せない方が辛い!」

 由麻が声を荒らげたことに驚いたのか、立ち去ろうとしていた宇佐の動きが止まった。

「苦しくてもいいから友達でいたい」
「……何でそんなに、俺なんかのこと好きなの」
「宇佐さんのおかげで変われたから」

 即答した。
 活字なんて好きじゃなかった。趣味だってなかった。そんな由麻に宇佐は、小説と触れる機会を与えてくれた。

「俺は、何もしてないよ」
「そうだよ。一方的な恥ずかしい片思いだよ。私の方から見てただけの、ストーカーだよ。宇佐さんが読んでた本読み始めてからおかしくなっちゃった。本なんか好きでもなかったのに宇佐さんを追うみたいに読んで、いつの間にか自分でも気になった本を手に取るようになって……いつか宇佐さんと本の話できたらって憧れてたの。だから、友達になれて凄く嬉しかった」
「…………」
「私、絶対にこれ以上望まないから。宇佐さんに何か求めることなんてしないし、宇佐さんと香夜さんの邪魔をすることだって絶対しない。今はまだ難しいかもしれないけど、時間をかけて宇佐さんと本当の友達になれるようにする。だから――」
「俺は由麻のことを絶対に好きにならないし、徹底的に友達として接する。それでもいい?」

 宇佐が、由麻の言葉を遮るように言った。
 俯きがちだった顔を再び上げる。

「今、由麻が本当に俺の友達になる未来が視えたから。これからも会うことにする」
「……いいの?」
「由麻は凄いね。好きな相手に何も望まないなんて、そう簡単にできることじゃない。大抵人は、相手から与えられるものに対して恋をするものだよ」

 ペーパーフラワーを両手に抱えた宇佐は、倉庫の外へと歩き出す。由麻は慌ててそれを追った。

「そのペーパーフラワー、私がこれから使うんだけど……」
「持っていってあげてるんだよ。俺暇だし、一緒に作業しよう。どうせ他の二人、今日も来ないよ」

 そういえば、特進クラスの二年生は希望を出さない限り文化祭の出し物はなしなのだった。勉学に励む真面目な生徒が多いクラスなので、今年も出し物はしないのだろう。
 由麻と宇佐は人気のない廊下で黙々と装飾を作っていった。
 何だか心が軽くなって、以前よりもずっと宇佐といるのが楽になった。隠し続けていた恋心を伝えられたこと、これから変わることを条件に許されたことが大きいのだろう。胸の痛みはもうなかった。