:

 週明け、学校中は茜と長瀬が別れたという話題で持ちきりだった。長瀬が独り身になったことに沸き立つ女生徒たち、「長続きしないと思ってたんだよね~」などと知った風に語る生徒たちの声を何度も聞いた。
 茜はずっとインフルエンザで休んでいて今日が久しぶりの登校なので、直接会って話し合ったわけではないだろう。茜から何も聞いておらず、一体何がどうしてそうなったのだろうと少し不安を覚えながら茜と話せる休み時間を待っていた。

「フったんだ」

 一時間目が終わった後、茜がオレンジジュースをストローで飲みながらあっさりと言った。どうやら茜の方から別れを告げたようだ。しかし、それでも疑問は残る。

「……何で? 長瀬くんのこと好きなんでしょ?」
「好きだけど、いっぱい寄りかかって迷惑かけちゃったから。これ以上は一緒にいられないよ」

 切なげに笑う茜を見て、茜の揺るがない決意を感じたので、それ以上何も言わなかった。
 茜は飲み終わったジュースのパックを潰してゴミ箱に捨てて言った。

「あたし、学生寮に入るかも」

 学生寮は、学校の敷地内の駐車場の近くに立っている建物だ。家賃がかなり安く、他県から受験した生徒など実家が遠い生徒が一人暮らしで利用する。

「入れるの? 茜、家結構近いよね。学校から」

 寮は本来、家から距離に応じて遠い者から優先的に取る。自転車で行ける距離に家がある茜では難しいのではないかと思った。しかし、茜は笑ってピースする。

「ちょうど冬に転校する予定の生徒がいて、部屋一つ空くらしいんだよね。もしかしたら入れるかも」

 しかし、部屋が一つ空いたところで、他の家が遠い生徒が申請したら茜は通らなくなってしまう。
 寮に入ることができれば茜は兄からの暴力から逃げられる。でもそんなにうまく行くだろうかと心配になっていると、由麻の心情を察したらしい茜が微笑む。

「言いたいことは分かるよ。現実的じゃないよね。でも、いざとなったら逃げ道があるってだけで救われるんだ。心がね」
「そっか。なら、応援する」
「インフルエンザで休んでた期間ね、熱自体は二日くらいで下がったから暇で、ママと沢山話したんだ。今度録音するから聞いてほしいって言ったら、あたしの本気度が伝わったみたいで色々聞いてくれた。ただうちは片親だから、なかなかママがずっと家にいるってことは難しくて。だからあたしが一人暮らしするのはどうかって話になったの。そうなったら家賃はあたしが払うからってお願いした。マンションよりは寮の方が安いから、今寮を狙ってるって感じ」
「……そうなったら、よかったら、私と同じバイトする? まだ人員募集してるって言ってたよ」
「えー! ほんと!? コーヒー店でバイトとか憧れだったかも~! あたし、バイトとかしたことないからちょっと不安なんだけどね」
「うちは優しい人ばっかりだよ。昼にシフト入れてる人でちょっと怖い人がいるみたいな話は聞いたことあるけど、高校生には優しいらしいし。ドリンクの作り方覚えるのがちょっと大変ってくらいかな」

 茜に少しでも希望を持たせようと、バイト先のコーヒーチェーン店について紹介した。
 そして、茜が一人暮らしを始めた場合家に残される茜の兄のことも気がかりだったので一応聞いてみる。

「お兄さんの薬はどうなるの?」
「お兄ちゃんについては、今担当医の先生とか支援センターに相談してる。あと、お兄ちゃん、一応昼間は職場に行ってるんだけど……あ、職場ってお兄ちゃんくらいの障がい持ってる人が集まって作業する場所ね。そこの人に頼んで薬飲んだか確認してもらおっかなーって話もあるよ。何か、多分お兄ちゃんが攻撃的なのって特にあたしに対してだけなんだよね。職員さんなら話聞いてもらえるかも。何でか分かんないけど。多分、あたしのことは下に見てるんじゃないかな?」

 あはは、と頭を掻きながら冗談っぽく笑う茜は、これまでどれだけの苦しみや痛みに耐え続けてきたのだろう。

「これまで気付いてあげられなくてごめんね」
「あたしが隠してたんだから、由麻が謝ることじゃないでしょ!」

 茜が大袈裟に顔の前で手を横に振って否定する。その様子は何だかいつもより明るくて、少しだけ前向きになれたのかなと思った。

「それより、由麻、実行委員になったんだって? 何かあったら手伝うからね! あたしこう見えて力持ちだし、ダンボールとか運べるよ」

 茜が力こぶを作ってバシバシと叩く。

「それは助かる……。でも誰から聞いたの?」
「長瀬くんから。電話で別れ話して、その後に聞いた」
「どんなタイミングで私の話してるの……。そこはもうちょっとしんみりした感じで思い出話とかした方がいいのでは」
「え~? でも長瀬くん、別にあたしのこと本気で好きなわけじゃないっぽかったしなぁ。友達に戻ったって感じ」
「……友達か。やっぱりそれが一番良いのかもね」

 由麻はぽつりと呟いた。
 何度も脳内で繰り返される、抱き合う宇佐と香夜の姿。一緒にいるところはこれまで何度も見てきたが、あんな姿はさすがに初めて見た。ダメージが未だに続いている。

(いっそ、宇佐さんへの恋心を忘れてしまいたい。本物の友達になれたらいい。そのためには、私が恋心を捨てなきゃ)

 恋がこんなに心がひりつき痛むものだと、由麻は初めて知った。遠くから見ていた時はもっと、穏やかで温かい気持ちだったはずのそれは、宇佐に近付くごとに凶暴になり、由麻の心臓を切り刻んでくる。
 恋心を隠し通して、友達として傍にいられたら幸せだと思っていた。でも今幸せなんてことは全然なく、むしろ苦しくなっていっている。

「……由麻は、宇佐くんと何かあったの?」
「…………」
「一緒にカラオケに迎えに来るくらいだから、あたし、宇佐くんと付き合ったのかなってちょっと思ったんだけど……もしかしてそうでもない?」
「うん。あの人は私なんか好きにならないよ」

 はっきり言い切った時、次の授業の担当教員が教室に入ってきたため、茜との会話は中断された。


 :

 放課後は文化祭実行委員の集まりがあった。会議室に各クラスの実行委員が収集され、主に役割分担についての会議が始まる。マンモス校なだけあって、各クラス一名ずつとはいえ実行委員全体の数は多い。前の方の席に長瀬の姿も見えた。
 生徒会長が指揮を取り、文化祭実行委員長と副委員長が決まっていった。委員長が決まった後は委員長が前に出て進行を任せられていた。
 パンフレット作りや食品や飲料の販売、搬入など各部門数名ずつ役割が決まっていく。由麻は校内全体の飾り付けを担当する装飾部門の一人になった。
 装飾部門は仕事量が多い割に、全員で三人しかいない。会議が終了した後、装飾部門の他の二人に声をかけたが、渋い反応を返された。

「あ~……ごめんね、江藤さん。これからクラスの方の仕事あるからさ」
「後は適当にグループLINEで話そ~。あ、江藤さん、時間余ってるなら門の前の飾り作り始めといてよ。倉庫にダンボールあるらしいよ」

 おそらく向こうも望まず実行委員に選ばれた子たちで、装飾部門の仕事に対してそこまで乗り気ではないようだ。二人がさっさと自分のクラスに戻っていってしまったので、由麻は仕方なく一人で倉庫へ向かった。
 どこのクラスも文化祭の出し物の準備を始めているらしく、放課後にも拘らず廊下は各クラスの生徒たちで賑わっている。

(仕事を押し付けられてしまったような……。でも、一人の方が気が楽だし、黙って作業できるのは有り難いかな)

 喋ったこともない相手と変に気を使い合いながら会話をするのは苦痛だ。こちらの方が都合が良かったかもしれない。
 由麻は邪魔にならないようダンボールを運び出し、あまり使われていないエスカレーターの前の広いスペースで作業した。床に新聞紙をひき、その上にダンボールを置く。スマホで装飾の柄を検索して柄を決め、絵の具を用意して塗り潰していく。
 集中していた分あっという間に時間が立ち、気付けば完全下校時刻のアナウンスが流れていた。あれだけ廊下に残っていた生徒たちももう疎らだ。由麻はダンボールを乾かすためそのまま放置して下校した。

 装飾部門の二人と作ったグループLINEは、その日の夜になっても動きがなかった。由麻は門の装飾の進捗を確認してもらうため、寝る前に今日進んだ分の写真を送った。
 返ってきたのは、『いいね!』という内容のスタンプだけだ。
 しばらくして、もう一人からも連絡が来た。

『江藤さん、ありがとう! あとほんとごめんなんだけど、ウチ自分のクラスの劇の主役になっちゃってて、明日も放課後装飾の方行けないかも』

 『分かった』と返信しようとしていると、最初に反応をくれた子からまたメッセージが送られてきた。

『実は私も……。明日はクラスの方の買い出しがあるんだよね。江藤さん、明日もお願いしていい? 来週以降はちゃんと手伝うから、ごめん!』

 由麻は少しもやっとしたが、結局了承の返信を送ってスマホを閉じた。
 クラスの委員長が気を使って仕事を減らしてくれているため、由麻はクラスの出し物の方はそこまでやることがない。しかし、彼女たちの場合は違うのだろう。仕方がない。そう自分を納得させて、目を瞑って眠りについた。