茜が家に入っていくのを見届けてから、車はまた走り出した。

「茜ちゃん、何だか久しぶりな気がしたわ。中学の時はよくうちに来てたよね」
「そうだね。高校生になってからは外で遊ぶようになったから……」

 赤信号で止まり、母が次の住所をタップする。カーナビが示しているのはこの辺りでは有名な、比較的高級な住宅街だ。

「あらあ、この辺? ええっと、宇佐くんだっけ。お金持ちなのねえ。親御さん何してるの?」

 母が感心したように言う。親が何をしているかなんてプライベートな情報を聞くのは悪い気がして、慌てて「お母さん」と軽く注意した。
 しかし後ろの宇佐は気にしていないようであっさりと答える。

「母は勤務医です」
「あら、お医者さん。お忙しいでしょう。お父さんは?」
「父はいません。母子家庭なんです。三年前、両親が離婚しました」
「あらあら、そうなの。離婚率って何だかんだ結構高いらしいしねえ」
「ちょっとお母さん、人の家のこといきなり聞くのは失礼だよ」
「いいよ、由麻。由麻と由麻のお母さんになら知られてもいい」

 しんっと一瞬車内が静まる。宇佐にそんなつもりはないのだろうが、その言葉は本当に思わせぶりに聞こえて、顔が熱くなっていくのを感じた。

(夜で良かった……)

 車内は暗い。赤くなった顔をミラー越しに見られなくて済む。隣の母がニヤニヤしている気配を感じながら、黙って車に乗っていた。

『百メートル先、右です』

 宇佐の家に近づくにつれて、カーナビの機械音がする。車が右に曲がり、宇佐の家が見えてきたその時――母が「きゃあっ」と高い悲鳴を上げた。
 車のライトに照らされたその先、髪の長い女性が宇佐の家の前に立っていたのだ。こんな時間に人が道路に突っ立っているのは珍しい。髪の長さも相まって何だか恐ろしく見えた。

「な、なんだ。人か。びっくりした~。お母さん昨日ホラー動画観たばっかなのよね。あはは」

 母は自分を落ち着かせるように笑った後、道に車を止める。目の前に立っている女性の顔がゆっくりとこちらに向いた。
 その顔を見て驚いた。――宇佐の彼女である、香夜だ。暗がりで見ると何だか痩せこけて見える。その目に生気がないように感じられて、由麻はごくりと唾を飲み込む。
 ミラー越しに見る宇佐は無表情だった。

「……宇佐さん、香夜さんと待ち合わせしてたの? ごめん、遅くなって」
「いや。待ち合わせはしてないよ。待ち伏せされてたって方が正しいかな。まあ、いつものことだから」

 宇佐は淡々と言って車を出ていこうとする。
 いつものことだから特に驚いていないのか、予測していたから驚いていないのか。口ぶりからして、おそらくその両方だ。

「――宇佐さん、大丈夫?」

 思わず振り向いてそう聞いてしまった。
 出ていこうとしていた宇佐の手が止まる。そして、その顔がゆっくりと由麻の方に向けられた。数秒の沈黙が走る。
 ふと、しばらく動かずにいた宇佐の顔が、窓の外を見て強張った。そちらを見れば、さっきまで前方に立っていた香夜が窓から宇佐を覗き込んでいる。
 香夜の口が動いた。車内なので外の音が聞こえづらいが、唇の動きとわずかに聞こえる声で何と言っているのか理解できた。

――……「その人たち、誰?」だ。

 暗いせいか香夜の表情が不気味に見える。美しい分、この世の者ではないようにも感じられるのだ。
 宇佐が「送っていただきありがとうございました」と少し早口で言い、車のドアを開ける。そのドアは勢いよく閉められた。

 その後、母の車がゆっくりと走り始めた。

「……あの子、宇佐くんのお姉さん? すごい美人ね」
「あの人は、宇佐さんの彼女」
「え? ……あー……ああ、そうなんだ。あんたも悲しい恋してるのね」
「恋とかじゃ、ないよ」

 バックミラー越しに、降りていった宇佐と香夜を見る。道の真ん中で、宇佐が香夜を強く抱き締めていた。

「……宇佐さんは、ただの友達」

 友達でなければならない。だってあの人は、あんなに愛しそうに香夜に触れる。あんなに、彼女のことが好きなんだから。