KKはうまくやっていた。

 わたしは彼を柿澤さん、と呼んでいたが、心のなかではずっとKKと呼び続けていた。崇さんがフェイスブック内で彼をKKと呼んでいたからだ。と言っても『KKに協力を頼んでいる』の一言以降あらたな投稿は無かったが。
 KKがどううまくやったかというと、まず真人と上手に遊ぶことができた。自称三十歳(崇さんが生きていたら同い年だ)の独身男性としては不自然なほど子供との接し方が自然だった。
 初めてKKと会った日から、わたしは真人を連れていた。
 会おうと提案された場所は、家から車で少し走ったところの屋内遊戯施設だ。ショッピングセンター内にあり、有料で遊べる。すでに真夏となっていて、室外での遊びは遠慮願いたい状況だった。わたしはKKの提案に少々驚きつつも乗った。
 提案された施設は、まだよちよちの真人を連れて崇さんと一緒に行った場所だった。悪くない場所だった。ふわふわドームに一緒に入って、ボールプールの中で過剰にはしゃぐ崇さんは、いかにも優しい若い父親として動画に残っている。
 彼が恥ずかしがるだろうから、と画面の端に小さく映すにとどめてしまったのは、失敗だった。真人のアップばかりが映るのが、もどかしい。真人は生きているが、崇さんは死人だ。死人が生きていたときの情報の方が、意味があるに決まっている。
 一瞬でも崇さんのアップが映っていれば、大きな口を開けてはしゃぐ崇さんの目の奥がのぞけるはずだ。そこにもしかして何もない洞穴が空いているかもしれない、と、動画を再生するたびに考える。停止。拡大。解像度は下がり、目は潰れてしまう。わたしが見ていた崇さんの解像度もこんなものだったのかもしれない。だっていま思えば、あのはしゃぎ方は彼らしくなかったような気がする。結婚式の写真でも、ひきつった笑顔で映るくらい彼はシャイだったのだから。
 KKはふわふわドームのなかのボールプールで、崇さんみたいにはしゃいでみせた。一年近く成長した真人の反応は、皮肉なことに、当時の崇さんに対するものよりも良かった。子供にとっての一年は、大人のそれとは比べ物にならないのだと思い知る。KKの投げるボールにきゃあきゃあ言って喜んだ。

「おにいちゃんボール! もっとボール!」

 せがむ真人に、KKは奇声を上げてボールを投げて見せた。
 こっそりアップにして映すと、その目は空洞ではなくて、薄い茶色の瞳が生者の特権とばかりに輝いていた。
 なんだこいつ。
 なんで崇さんが見るはずの真人の成長を見て、色素の薄い瞳を輝かせてんだ。崇さんは真っ黒の目をしていて、目頭にきれいな切れ込みがあって、目尻も切れ長でキュッと上がっていて、幅の広い二重で、そこだけでも完璧だったのだ。
 それをなんだ。このKKはどんぐりみたいな丸い目頭に曖昧な目尻、二重の幅の広さは同じくらいだけれどまるで眠いみたいにしか見えない目をして、そこに生者の光なんかたたえやがって。代理人のくせに。
 そんな風に苛立ちが募る。
 でも真人のことを思えば、思い切り遊んでくれる大人と遊べるというのは良いことなんだろう。そう思い直すことにした。ここに再訪出来たのもKKのおかげだ。崇さんとの思い出の残る施設に、わたし一人で真人を連れてくるなんてそんな惨めなことは出来そうもなかった。周りは父親の居る家族か、母親同士のママ友グループかしか居ないのに、そこに未亡人のわたしが入る隙などありようもなかった。代理人KKのおかげで、真人は再びこの遊戯施設で遊ぶことが出来たのだから。
 それに、わたしは真人と遊ぶ気力なんかなかった。仕方ないじゃない。誰にともなく言い訳するときに、わたしの体には怒りが満ちている。言い訳をしなくてはいられない状況に陥っている状況に。これは崇さんへの怒りでは断じてないはずだ。状況は状況で、その原因まで考えるほどわたしの頭は働いていないし、働いていたとしてもわたしが崇さんに怒りなど抱くはずがなかった。
 だから真人と遊んでくれるKKは、うまくやっていると言ってよかった。
 遊戯施設が入っている商業施設には、他にも小さな水族館があった。

「真人はおさかな好きだよね。水族館も行ってみる?」

 施設内の飲食スペースで、買ってきた豆パンを与えながら真人にたずねた。
 崇さんとわたしは、日本国内の色々な水族館に行った。まだ真人が生まれて間もない頃から。死ぬ前月に行った登別旅行でも、マリンパークニクスに行った。そんなことを考えながら、わたしは真人にそう聞いたのだ。

「ここの水族館はショボいから、また今度小樽にでも行こうよ。真人くんもそれがいいよねえ?」

 真人の隣で幼児用の紙パックジュースにストローを刺していたKKが、そんなことを言った。KKの言葉にわたしは、真人が行儀悪く握り潰していた豆パンを取り上げようとしていた手を止めた。手のみではない。呼吸を含めた全身の動きが一瞬止まったのだ。

「なんて言いました?」

「真人くんもそれが――」

「その前ですよ」

「小樽にでも行こうって。ここの水族館はショボいんですよ」

 先のKKの言葉は、崇さんの言葉と全く一緒だった。その前のわたしの言葉も、その時とほぼ一緒だ。何が起こっているんだろう。
 結局崇さんの言う小樽行きは決行されなかったわけだけれど、その埋め合わせみたいにしてKKと小樽に行かなくてはいけないんだろうか。

「あなた、崇さんのどういう知り合いなんですか? 崇さんからどこまで聞いてるんですか? どうして崇さんの電話番号から連絡が出来るんですか?」

 崇さんのフェイスブックからわたしだけに向けて指示があったことで、わたしはすっかりフェイスブックの中で崇さんが意志を持って動いていると思いこむようになっていた。KKにまつわる疑問も、全て頭のなかから抜けた。崇さんが言うのだからそれでいいのだと納得していた。
 けれど、KKにどこまで代理人として許していいのかという問題を、考えずにはいられなくなった。自然、KKがどのようにして崇さんの電話番号から連絡を取ってきていたのかということにも疑問は及ぶ。
 真人が豆パンをきゅうきゅうに丸めて、テーブルの上にならべはじめた。一つ、二つ、三つ。同じ大きさになるように慎重にこねられたパンが、等間隔にならべられていく。

 KKは「上手に出来てるね」と真人の作品を眺めて呟く。愛おしげに。まるで本物の父親みたいに。真人が示し始めている、発達の兆候に気づかないところなんかも、本当に本物の父親っぽい。崇さんも同じように言ったかもしれない。ああでも彼は生真面目だから、食べ物で遊んではいけない、が先に来そうだ。
 どうかな崇さん。またフェイスブックを通じてわたしにメッセージを送ってよ。会いに来てくれるんでしょ。その準備がKKなんでしょ。

「柿澤さん、質問に答えてくれないんですか? 崇さんの電話番号はどうやって?」

 等間隔に並べられた豆パンの丸を、一つ外してわたしの前に置く。真人は不満げに唸り声を上げると、取り返そうと体を乗り出した。乗り出した体の下敷きになって、他の豆パンの丸が潰れる。真人の手の届かないところに、わたしの目の前にある豆パンの丸を動かしていく。
 右に手を伸ばせば左へ、左に手を伸ばせば右へ。最後には上に。真人の顔が真っ赤に染まる。

「そのへんにしてあげなよ」

 真人の癇癪の気配を感じ取って、KKが言った。

「じゃあ答えてくださいよ」

 真人の癇癪を盾にとって迫ると、KKがどんぐり目を大げさにすがめて見せた。酸っぱいものを突っ込まれたみたいに、顎に皺が寄って唇が突き出される。
 
「最近スマホを乗り換えまして、番号を新規に取得したんですよ。佐野崇さんの電話番号だと美香さんは言いますけど、あれは自分の番号です。そこで佐野崇さんと縁が出来てしまった」

「おかしいじゃないですか」

 言いながら真人に丸くまとめられた豆パンを返してやる。
 真人の喉がキィィという高音を発し始めたからだ。

「崇さんの番号は崇さんが死んで携帯を解約してからじゃないと、あなたのものになりませんよ。あなたは崇さんと、いつ、どこで、知り合ったんですか」