山菜と地元名物の肉料理を堪能し、見事な露天風呂で疲れを癒やした後、つかの間のひとときをすみれと過ごすことになった。
とはいっても、特に会話があるわけではない。すみれは心配していたスマホの電波が届いているのを確認するなり、今日の出来事をSNSにまとめている。いつの間にか撮っていた写真をアップしていたらしく、時折コメントに鼻歌まじりに返信している様子は、見ていてやっぱり飽きがこなかった。
――さてと
すみれが没頭している間、僕も今日一日の出来事を手帳にワードとしてまとめていく。この時点で忘却は始まっているから、全てを詳細に記すことはできないけど、いつもより多めとなったワードに、つい一人笑みがこぼれてしまった。
――最後の仕上げに
一通り作業が終わると、すみれの小さなバックに手を伸ばした。バックの中には花柄のかわいい封筒と白い封筒が二つあった。考えるに、白い封筒のどちらかが僕のチケットだろう。僕は実物を見ていないと思い出すことができないから、記憶を思い出すきっかけの一つになるようにチケットを確認しておくことにした。
「ちょ、なにしてんの!」
封筒に手をかけた瞬間、畳に寝転んでいたすみれが叫び声を上げた。なにごとかと固まった僕に対し、すみれは一瞬でバックひったくった。
「なにって、明日のチケットを確認しようとしただけなんだけど」
「あのね、女の子のバックを勝手に開けるのは、最後に食べようと残していたショートケーキのイチゴを横取りするより重罪なんだから!」
顔を赤くして声を荒げるすみれが、今まで一番の勢いで睨んでくる。相変わらずのたとえは置いとくとして、すみれの瞳に睨まれるとどうしても胸が苦しくなって言葉に詰まる自分がいた。
「悪かったよ。最後に食べるショートケーキのイチゴがそんなに大事なことだとは思わなかったよ」
「馬鹿にしてる?」
「半分」
「ぶっとばす!」
つい笑って答えた僕に、すみれが右拳を振り上げて威嚇してくる。慌てなだめに入るも、すみれの怒りは僕の背中に放たれることになった。
「それより、スマホの作業は終わったの?」
「もう、白々しく話を変えるのは相変わらずなんだから」
さらにもう一発おみまいしようとしていたすみれだったけど、僕のなだめがきいたのか、壮大なため息と共にこぶしを力なくおろした。
「ま、今回は反応のコメントもよかったから、これくらいで許してやる」
「それは助かるよ。すみれの友達に感謝しないとね」
恐る恐る距離をとりながらそう口にした瞬間、一瞬ですみれの表情が曇るのがわかった。
「わたし、友達いないんだけど」
「え?」
「だから、リア友はゼロ更新中って言ってるの。ま、別にこうしてネットのやりとりはできてるから別にいいんだけどね。顔も名前もわからないから、リアルより気もつかわなくていいし、みんな優しいしから楽でいいしね」
わずかにトーンの落ちたすみれの声が微かにふるえていた。そこには、つよがりではなくつよがろうとあがいているすみれの本音があるような気がした。
「でも、寂しくはない?」
「別に。リアルでさ、馬鹿みたいに必死になるのも疲れちゃったし、どうあがいてもわたしの運命は変わんないしね。それは泰孝も同じでしょ?」
「まあ、どうだろうね」
不意に同意を求められ、返す言葉を見つけられずに濁すしかなかった。僕の場合とすみれの場合とでは、比較するのはおかしいだろう。言葉の端から友人関係に苦労しているのはわかるし、なにより両親を失っているのが大きかった。
それに対し、僕はというと家族に恵まれているし、なにより記憶障害によってある意味不幸を簡単に忘れられる幸せを持っていると言えるだろう。
結局、それ以上は会話もないまま、明かりをつけたままでと言い残してすみれは布団に入っていった。
――疲れていたのかな?
横になったすみれから、すぐにかすかな寝息が聞こえてくる。あっけらかんとして明るい性格なのに、その背負ってしまった不幸を考えると、すみれの背中が小さく見えてしかたなかった。
「……、ママ」
慣れない明るさに微睡んでいたところで、不意にすみれのかすれた声が聞こえてきた。なにごとかと半身起き上がったけど、それ以上は動くことも声をかけることもできなかった。
「……、パパ」
一拍のすすり泣く声のあと、すみれが小さな肩をふるわせながら声をもらした。その壊れそうな背中からは、とても昼間のあっけらかんとした姿は想像できなかった。
「大丈夫、ここにいるよ」
薄いタオルケットをかけてやりながら、嘘でもいいからと声をかける。なぜそんなことを言ったのかは、自分でもわからなかった。
ただ、なんでもいいから声をかけないと、このまますみれが消えてしまいそうに思うくらい、なにかを背負ってしまったすみれの背中が儚く思えてしかたがなかった。
とはいっても、特に会話があるわけではない。すみれは心配していたスマホの電波が届いているのを確認するなり、今日の出来事をSNSにまとめている。いつの間にか撮っていた写真をアップしていたらしく、時折コメントに鼻歌まじりに返信している様子は、見ていてやっぱり飽きがこなかった。
――さてと
すみれが没頭している間、僕も今日一日の出来事を手帳にワードとしてまとめていく。この時点で忘却は始まっているから、全てを詳細に記すことはできないけど、いつもより多めとなったワードに、つい一人笑みがこぼれてしまった。
――最後の仕上げに
一通り作業が終わると、すみれの小さなバックに手を伸ばした。バックの中には花柄のかわいい封筒と白い封筒が二つあった。考えるに、白い封筒のどちらかが僕のチケットだろう。僕は実物を見ていないと思い出すことができないから、記憶を思い出すきっかけの一つになるようにチケットを確認しておくことにした。
「ちょ、なにしてんの!」
封筒に手をかけた瞬間、畳に寝転んでいたすみれが叫び声を上げた。なにごとかと固まった僕に対し、すみれは一瞬でバックひったくった。
「なにって、明日のチケットを確認しようとしただけなんだけど」
「あのね、女の子のバックを勝手に開けるのは、最後に食べようと残していたショートケーキのイチゴを横取りするより重罪なんだから!」
顔を赤くして声を荒げるすみれが、今まで一番の勢いで睨んでくる。相変わらずのたとえは置いとくとして、すみれの瞳に睨まれるとどうしても胸が苦しくなって言葉に詰まる自分がいた。
「悪かったよ。最後に食べるショートケーキのイチゴがそんなに大事なことだとは思わなかったよ」
「馬鹿にしてる?」
「半分」
「ぶっとばす!」
つい笑って答えた僕に、すみれが右拳を振り上げて威嚇してくる。慌てなだめに入るも、すみれの怒りは僕の背中に放たれることになった。
「それより、スマホの作業は終わったの?」
「もう、白々しく話を変えるのは相変わらずなんだから」
さらにもう一発おみまいしようとしていたすみれだったけど、僕のなだめがきいたのか、壮大なため息と共にこぶしを力なくおろした。
「ま、今回は反応のコメントもよかったから、これくらいで許してやる」
「それは助かるよ。すみれの友達に感謝しないとね」
恐る恐る距離をとりながらそう口にした瞬間、一瞬ですみれの表情が曇るのがわかった。
「わたし、友達いないんだけど」
「え?」
「だから、リア友はゼロ更新中って言ってるの。ま、別にこうしてネットのやりとりはできてるから別にいいんだけどね。顔も名前もわからないから、リアルより気もつかわなくていいし、みんな優しいしから楽でいいしね」
わずかにトーンの落ちたすみれの声が微かにふるえていた。そこには、つよがりではなくつよがろうとあがいているすみれの本音があるような気がした。
「でも、寂しくはない?」
「別に。リアルでさ、馬鹿みたいに必死になるのも疲れちゃったし、どうあがいてもわたしの運命は変わんないしね。それは泰孝も同じでしょ?」
「まあ、どうだろうね」
不意に同意を求められ、返す言葉を見つけられずに濁すしかなかった。僕の場合とすみれの場合とでは、比較するのはおかしいだろう。言葉の端から友人関係に苦労しているのはわかるし、なにより両親を失っているのが大きかった。
それに対し、僕はというと家族に恵まれているし、なにより記憶障害によってある意味不幸を簡単に忘れられる幸せを持っていると言えるだろう。
結局、それ以上は会話もないまま、明かりをつけたままでと言い残してすみれは布団に入っていった。
――疲れていたのかな?
横になったすみれから、すぐにかすかな寝息が聞こえてくる。あっけらかんとして明るい性格なのに、その背負ってしまった不幸を考えると、すみれの背中が小さく見えてしかたなかった。
「……、ママ」
慣れない明るさに微睡んでいたところで、不意にすみれのかすれた声が聞こえてきた。なにごとかと半身起き上がったけど、それ以上は動くことも声をかけることもできなかった。
「……、パパ」
一拍のすすり泣く声のあと、すみれが小さな肩をふるわせながら声をもらした。その壊れそうな背中からは、とても昼間のあっけらかんとした姿は想像できなかった。
「大丈夫、ここにいるよ」
薄いタオルケットをかけてやりながら、嘘でもいいからと声をかける。なぜそんなことを言ったのかは、自分でもわからなかった。
ただ、なんでもいいから声をかけないと、このまますみれが消えてしまいそうに思うくらい、なにかを背負ってしまったすみれの背中が儚く思えてしかたがなかった。