「花梨ちゃんは、小児がん…白血病です。」
この一言で、全部が始まった。
「そんな…!!花梨は、花梨は大丈夫なんですよね?!!」
「今のところは…何も言えません…」
「そんな…!!」
ママがおかおをお手々で、かくしてないてる。パパがお手々のつめのある方をおでこに当てて、ガックリしてる。なんでだろう…?花梨ちゃんは分からないよ?なんでそんなにかなしいの?おしえて?ママ、パパ!
これは、私の人生譚だ。
「花梨ちゃん、今日からここで寝るのよ。お利口さんにできる?」
「うん!!花梨ちゃんできるよ!」
「お父さんたち、花梨に会いに来るからな。」
ママとパパはかなしそうなおかおのまま、あたまをなでてくれた。二人はバイバイと言って、どこかへ行ってしまった。本当は一人ぼっち、こわい。
「ママ…パパ…」
よんでも二人はいない。しぜんとなみだが出てきた。なんでだろう??ぜんぜんかなしくないのに…
「ママ…!パパ…!!」
そんなときとても小さな声がきこえた。
「だい、じょう、ぶ…?」
シーンとしたびょうしつにそうひびいた。それはとなりのベッドからきこえた。 そおっとカーテンをあけると、黒いかみの男の子がニコッとわらった。白っぽい、ねずみさん色の目が花梨を見ていた。
「はじめ、まして…僕は、さく。」
「…花梨、です。」
人見知りだからか、うまく話せなかった。でも、さくはわらうことはしなかった。
「よろしく、ね。」
「う、うん。」
さくは6さいだと言った。花梨は「お兄ちゃん」とよぶことにした。
花梨のびょうきはちにわるいやつがいると、先生は言っていた。それをたおすのにびょういんにいるんだって。
「お兄ちゃん」もびょうきだ。「お兄ちゃん」は生まれてからお外に行ったことがないと言っていた。「お兄ちゃん」はときどき、はっぱ色のマスクをつけるときがあった。かたそうで、お口いっぱいにかぶさるマスクだ。マスクの下のお口がうごかないことが多かった。くるしそうだった。
それでも「お兄ちゃん 」は元気なときにはカーテンをあけて、よく話しあいてになってくれた。でもいつもいつもおこえは小さかった。
私もまい日にがいおくすりと、いたい注しゃをやる日びをすごした。お兄ちゃんがとなりにいるから、がんばれた。
あるあさ、びょういんのおねえさんにかみをとかしてもらうと、くしにかみの毛がたくさんくっついた。まい日やるうちにほとんどぬけてしまった。こころなしか体がだるくて、気もちわるい。食べてもはいてしまうようになって、目に見えるほどやせた。こわい。
さいきんはパパもママもいそがしいのか、会えてない。5さいながらに自分がびょうきなのだと自かくした。それもじゅうだいなびょうきなのだとも。
「花梨…」
「お兄ちゃん」が花梨をよんだ。
「なぁに?お兄ちゃん!」
「今日は、元気だね…」
「うん。お兄ちゃんは?」
やさしい声で、元気だよ、と言った。久しぶりに「お兄ちゃん」に会った。しばらく目をつぶってあのマスクをつけていたからだ。
「お兄ちゃん」は色んなことをきいてきた。すきな色とか、すきなこととか。花梨はき色がすきで、お外であそぶのが大すきだった。
ほかにもこんなことをきかれた。
「花梨の、夢は、なんなのかな?」
「夢…」
ゆめ、っと言われてパッとおもいついたのは1つだった。
「お医者さんになりたいな…!」
いくらがんばってもなおならない自分のびょうき。それでも、がんばってなおそうとしてくれる先生が大すきだった。
「お医者さん…」
「うん、いっぱい人助けたいの」
自分みたいな子をたくさんたすけたい。いいね、とさくはほほえんだ。
「お兄ちゃんの夢は?」
花梨が言ったのだから、さくも言うのがどおりだろう。
「僕の…夢…」
生まれたときにはここにいた。
『朔くんは閉塞性細気管支炎です。』
かん字だらけのよく分からないびょうき。 ただそれは、時どきさくにとてつもないいきぐるしさをあたえた。
そんなさくの中にゆめはなかった。死んでしまいたい、それだけだ。
でも、となりに花梨が来てから自分はすこしかわった。ないている花梨を見て、ぼくははじめて人にこえをかけた。
ぼくのゆめ……かんがえたとこもなかった。ゆめ……
「ランドセルを背負って、皆と学校に行きたい…」
りっぱなゆめだった。
「いいねいいね!一緒に夢叶えようね!」
「うん。」
朔はうれしそうにわらった。
その日をさかいに「お兄ちゃん」と会うじかんがへった。
ちょうしがわるいわけではないらしい。
ただひたすら何かやっているのだ。
さびしかったが、声をかけるゆう気もなかったため、そっとしていた。
ゆきのふるきせつになるころだった。
ある日のあさ、まくら元に毛糸であまれたぼうしがおいてあった。
花梨の大すきなき色のぼうしだった。
そのよこにはたどたどしい字で、「めりーくりすます」とかいてあった。
カーテンからのぞいてニコニコしてる「お兄ちゃん」がいた。
その日のひるにはパパママも来てくれ、プレゼントをくれた。
あたらしいパジャマとかわいいクマのぬいぐるみだ。
「お兄ちゃん」もたくさんおしゃべりした。
時かんは風のようにすぎ、バイバイと手をふった後あと、かえっていった。
「このお帽子、お兄ちゃんが作ったの?」
「…う、うん…下手で、ごめんね…」
やはりそうだった、このぼうしは「お兄ちゃん」があんだのだ。
所どころゆるいところがあるがけして下手ではない。
「お兄ちゃん、編み物好きなの?」
「うん…お母さんが、教えて、くれた…僕でも、できるから…」
かたを上下させていきをする「お兄ちゃん」。
きっとたいへんだったはずだ。
「お兄ちゃん」だって何かのびょうきだからここにいるのだ。
かぶってみると、少し大きいもののかぶりごこちがいい。
かみがなくても気にしなくてすむ。
「ありがとう!お兄ちゃん!」
「どう、いたし、まして…」
さくはとっても小さくわらった。
つぎの日、「お兄ちゃん」はねむったままだった。
気のせいならいいけど、「お兄ちゃん」がおきてる時かんがみじかい気がする。
いや、みじかくなっている気がする。
あのマスクを付けて、しずかにいきをする。
ちゃくちゃくと雲の上に行くじゅんびをしているかのように……
自分もこんなにがんばってちりょうしてるのに、なおっている気がしない。
あるく力さえもなくなり、たべてはいてねる、そのくりかえし。
なんでだろう…と何どもかんがえた。
かみさまは花梨ちゃんたちを見てないのかな。
ううん、見えてないだけだ。
きっと…
ある日のよる、となりからピロピロと音がきこえ、目がさめた。
「お兄ちゃん…?」
カーテンで分からないが、「お兄ちゃん」の方から音がする。
ガラガラところがるざつ音とともに、音はとおざかっていった。
おねえさんにきいてみる。
「お兄ちゃんはどこに行ったの?」
こまったかおをしたが、大じょう夫よ、とだけ言ってセカセカと歩いた。
かざと雨がつよい日のよるだった。
「朔は!朔は大丈夫なんですか!!」
「……今はとても危険な状態です。緊急手術をします。」
「お願いします!朔を…助けて…ください……」
くるしい……くるしい…………
ぼく、ついにしぬのかな……
お母さんたちが話してるのをきいたことがある。
ぼくは長くは生きられない、らしい。
くるしいな……
このままもう、しんじゃいたい……
『お兄ちゃん!』
あ、でも……花梨が1人だ……
きっと……泣く……
ぼくは…………
つぎの日も、そのつぎの日も、「お兄ちゃん」はかえってこなかった。
さびしかった。
かえってきたのはあの日から一か月たつころだった。
「花梨…」
花梨をよぶ声はまえよりも小さくかぼそくなっていた。
クリーム色のほほの少しへこみ、あきらかに元気に見えなかった。
でも、「お兄ちゃん」がもどってきてくれてとてもうれしいかった。
『手術は成功です』
あの日ぼくは生きのびた。
たすけてくれた先生にもかんしゃだけど、何より気力はあんがい大事なことにきづいた。
生きられてあと4年、ねばるのをありかもしれない……
ちょうしがわるいのも一時てきなものすぎず、じょじょに気力をとりもどしていった。
そして花梨にもてんきがあらわれた。
「花梨にドナーが!!」
「良かったなぁ、花梨!」
びょうきがなおるらしい。
そのためにしゅじゅつもうけて、ぶじせいこう。
あるくれんしゅうもして、よくたべられるようにもなった。
もうすぐでここから出られるらしい。
「お兄ちゃん!元気?」
「花梨、うん。元気だよ。」
さいきん、声がはっきりきこえるようになった。
「お兄ちゃん」の声はあたたかくて、やわらかくて、安心する。
ふかふかのおふとんだ。
「花梨ちゃんね、病院とお別れなんだって!」
「ほんと?よかったね。」
「うん!嬉しいの!」
うれしいね、と「お兄ちゃん」はわらった。
まどをあけるとさくらの花びらが入ってくる。
「花梨。」
「ん?」
かみについた花びらをとってくれた。
「ありがとう!お兄ちゃん!」
あぁ、「お兄ちゃん」ってよべなくなるのか。
さびしいな…
おひるになるころにパパママが来て、つかっていたベッドはまっさらになった。
「バイバイ…」
もう会えないのかとおもうと、しゅんとした。
「お兄ちゃん」は花梨の目を見て言った。
「……」
「花梨…大丈夫だよ。また会えるよ。」
そしたらまたお話しよう、と「お兄ちゃん」は言った。
「うん…約束だよ?」
「約束、指切りげんまんね。」
バイバイと手をふる「お兄ちゃん」。
「もう、戻ってきちゃダメだよ!」
今までで一ばん大きな「お兄ちゃん」のこえだった。
それきり会うことはなかった。
「花梨!忘れ物してるわよ!」
「えぇ!ありがとう、お母さん!」
いってきます!っと高々と声を上げる。
田んぼの間を自転車でこいで、中学校に向かう。
白血病と言われてから10年、私は中学3年生だ。
あれから大病を患うことも無く、嘘みたいに元気に生活していた。
中3となると受験がどうこうなる時期だが、私は既に決まっていた。
「花梨は頭いいから水壱高校でしょぉ。」
「まぁねぇ。」
水壱高等学校、偏差値70の県内1の進学校だ。
医者になりたい夢はあれから変わってない。
変わってないからこそ、ずっと目指し続けているのだ。
幸い偏差値は足りているし、先生からも「大丈夫だろう」と言われている。
このままもう少し、だった。
「花梨?ねぇ花梨ってば!」
「…!!ご、ごめん。」
「もう、大丈夫?」
この頃体調が良くない。
受験勉強で疲れてるのか、それにしても長続きしている。
万が一を想定して母に相談すると、心配性な彼女は花梨を大学病院に連れて行った。
「うん…
急遽、人間ドック並の検査をすることになった。
先生は神妙そうな顔をした。
「花梨さんは血液がんです。」
あぁ、そうか。
またか、と妙な納得をした。
花梨の人生はまた一変した。
三日後から入院、高校受験なんて言ってられなくなった。
みんなには正直に言った。
可哀想、そんな目で見てくる。
人生が嫌になってない自分からすれば、良い迷惑だ。
父親方ががん家系だったから、まぁいつかはまたなると思っていた。
割り切れている反面やっぱり悔しかった。
意地でも治して、歳が違えど高校に入ってやる。
そんな気持ちでいた。
3日後、4人部屋に私は入院した。
歳が近い子がいると、先生から言われていた。
隣のベッドの男の子、歳は私の1つ上。
男かぁ、苦手。
そんなことを思いながら、挨拶してみようとカーテンを開けた。
「戻ってくるなって言ったはずだけど?」
なんだか聞き覚えがあった。
ただ、その声は「聞き覚えのある声」よりも低く、暖かく小さな声だった。
「こんな所で再会なんて、なんだか縁起悪いな。」
「お兄、ちゃん……?」
久しぶり、と彼は言った。
霜田朔、前回入院した時ベッドが隣だった、「お兄ちゃん」だ。
黒曜石のような漆黒の髪に、アイスグレーの鋭い瞳、陶器のように綺麗な肌は健全だった。
あれから早10年、正直会いたいと思っていた。
涙が頬を濡らした。
「花梨は会う度泣くな。」
「え、あ、……なんでだろ、」
拭っても拭っても、止まりそうにない。
おいで、とのごとく誘われ、彼の手が頬に触れた。
「張り詰めていたんだな。よしよし。」
頭を撫でる「お兄ちゃん」の手は覆うほどに大きくて、骨ばっていた。
「また一緒に頑張ろうな、花梨。」
「うん……」
「お兄ちゃん」は私が退院したあともずっと病院にいたと言った。
「じゃあ、あの夢は……」
「いや、叶ったよ。」
朔の誕生日11月1日に一日だけ学校に行ったと言う。
小学六年生で、やっと。
賑やかな教室、話しかけてくれた友達や先生。
「また会おうね」と別れたらしい。
「普通の日常があんなに暖かいとは思ってなかったから、楽しかった。」
その時に会った「菖蒲」くんは今でもお見舞いに来てくれるらしい。
ガラガラ、とドアが開く音。
「あれ、朔が女の子と話してるぅ!」
「声が大きいぞ、菖蒲。」
ガチッとした長身の男子、菖蒲が来たらしい。
「何、もしかして彼女?!」
「なわけあるか。花梨だ、前話しただろ?また隣の病床になったんだ。」
「あぁ!なるほどなぁ!」
チラッとこっちを見ては「ほぉん」と意味深気に言う。
「え、可愛くね?」
花梨には聞こえないくらいの声で菖蒲が言った。
「は、?」
「だから、可愛いよなって。」
「ノーコメントで。」
なんだよぉ、と茶化してくるがフル無視。
「えぇっと、何を話して…」
「ん?花梨ちゃんがかわ」
「おいおい!」
えぇ…不満そうな菖蒲の顔。
それに呆れる朔。
「ふふふっ!」
無意識に笑えた。
三人で話すのは楽しかった。
菖蒲は毎週水・日に来た。
病院なのになんだか楽しかった。
中学校ではみんなの顔色を伺っていたからかもしれない。
気楽に過ごしていた。
一方、闘病はやはり辛い。
抗がん剤の副作用で髪はまたも抜け落ち、腹の底からムカムカし吐き戻してしまう。
移植したというのに…
「健全な骨髄に変わりなかったんです。でも、貴女の体内でまた異常をきたし、がんになってしまったんです。」
先生は答えた。
仕方ないことなのか、私はがんと一生向き合っていくことを強いられたようだ。
しょぼんとしたまま病床に戻った。
「どうした、花梨。」
暖かい陽だまりのような声。
彼の声が聞こえた瞬間、重い気持ちが飛んだ。
自然と笑みを浮かべられる。
「ううん!大丈夫そう!」
「そうか。」
目を細めて口角を上げる、優しい視線で心がいっぱいだ。
それから三ヶ月、私は通院制の治療に切り替え、病院を出た。
高校は浪人を選択し、水壱高校を目指し続けた。
いつか、彼が檻から出られるようにと…
勉強、勉強、勉強…
無事に高校に合格してからも、それなりの青春、闘病、恋愛皆無、主軸は勉強だった。
けして楽じゃなくても頑張れた。
「お兄ちゃん」のためだから…
闘病生活3年目、高校2年生の時だ。
ある程度大学を決め、受験勉強がてら塾の帰り、母から手紙を貰った。
宛名は「霜田一久」。
聞き覚えのある名字に焦りと戸惑いを感じた。
中には手紙が一枚。
声に出して読んでみる。
「息子 霜田朔につきまして 20〇〇年11月8日永眠致しましたので謹んで皆様にお知らせいたします 故人への生前中のご厚誼には深く感謝申し上げます
尚 葬儀は下記のとおり行います
通夜式 11月18日 18時より
葬儀式告別式 11月19日 11時より
葬儀会場 セレモニーホール△△(住所 〇〇市… 電話 0123ー45ー6789)
喪主 霜田 一久(父)
20〇〇年11月10日
霜田 一久」
声が震えて、上手く出ない。
「お兄ちゃん」が、朔が…死んだ???
そんな…え、??
退院してからも、通院の度に顔を見せていた。
相変わらず小さい声、それでも毎回楽しそうに話していた。
また明日治療に通院する予定で、お見舞いに行くはずだったのに…
この前行った時だって、「またね」と行って帰ったのに…
私が医者になった時、「治療してもらうんだ」と言っていたのに…
「お兄ちゃん…朔ぅ…!!!なんで…なんでぇぇ!!嫌だよぉ!逝かないでよぉ!!まだ話してないこと、あるのに…『またね』って言ったじゃん!!私が治療するんだよぉ!嘘つきなんだぁ…うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
すぐ飲みこむことはできなかった。
私の中に渦巻く「何か」がモヤモヤして気持ち悪い。
ひたすら吐き出したくて、嗚咽を漏らす。
その日は一晩中泣いた。
11月18日、私は母に連れられ隣県に来ていた。
大きくもなく小さくもない、一軒家だ。
私たちを迎えてくれたのは、一久さんと紅葉さん。
朔の両親だという。
ダメだ、また涙が出てきそうだった。
「あ、花梨ちゃん…」
外の様子を見に出てきたのは、菖蒲だった。
「菖蒲さんも…来てたんですね…」
「まぁ、案内が来ちまったからな…」
曰く、菖蒲は朔を看取ったらしい。
中に入ってお供えした後、聞かされた。
「ほんと、静かだったよ。」
また、朝を迎えるために眠るみたいに…
その姿はとても美しい。
「花梨ちゃん。朔の友達になってくれてありがとう。」
紅葉さんは感謝を口にした。
「え、?」
「きっと、花梨ちゃんがいなければ、朔はこんなに長生きしなかった。」
付け足すように一久さんが言を吐く。
話された事実。
朔は生まれてすぐ、「10歳まで生きるのが限界」、と宣告された。
彼自身、諦めていた。
行動が表していた。
欲を見せず、言われた事をこなす。
死を待つ人形だ。
ただ、花梨に会ってから、朔は変わった。
帽子を作りたいと、学校に通いたいと、生きたいと、言った。
目に光が入った、と一久さんは言った。
いきいきとした朔は、一時期は快方に向かった。
ただやはりというべきか、あくまで「一時期」でしかなかった。
10歳を超え、病気の進行は遅くなった。
しかし、大きくなった体に自身で取り込める酸素量じゃ足りない。
重ねて体力不足、低い免疫の数値、未発達の臓器……
いつ亡くなってもおかしくなかった。
「宣言されていた10歳が過ぎていたから、仕方なかったんだよ。」
有効的な治療法がなく、19歳まで生きた朔は、豊麗な人だった。
否、豊麗な人だ。
垂れ流していた涙を初めて拭った。
「朔は私の中でずっと生きてる…」
ほんと好きなんだな。
話の中でそう思っていた。
俺は朔を看取った一人だ。
彼の両親が来る前、病室に一人彼を見守っていた。
「やっと…死ねるな……」
「…………」
怖いくらいに小さな声。
ただ、おかしいくらいにはっきりと澄んだ朔の声だった。
「やっと…死ねるのに…死にたく…ない……」
彼は涙を流した。
死にたくない、と連呼した。
「また…花梨が…来…て…話す…て…やくそく……し…て…」
だんだんカタコトになる言の葉。
「また…」
「うん。」
「しょうう…おくは……ここおの……なかえ…生き続けるよ。」
その後、彼の両親は来てすぐ、彼は息を引き取った。
口だけこう、「あ」「い」「ん」と言ったのを覚えている。
「あぁ、そうそう。」
そう言って、紅葉さんが出したのは、黄色いマフラー。
編み目の揃った、きれいな物だった。
「これ。朔が貴女にって。」
「え、?」
どうも温かそうだ。
そういえば朔に言ったことがあったな。
『外寒くなってきたのに、ずっと使ってたマフラー破けちゃってぇ。』
『ドンマイだな。……』
ふと思い出す日常の一部に、胸が苦しくなった。
覚えててくれたんだ。
なんとも言えない、平凡でかつ平和な会話だったはずだ。
ほんとに……もう……
「ダメだってぇ」
笑みを含んで泣いた。
本当にダメだ…
なんとも言えない、この呪いが気持ち悪くて仕方ない。
大好きなのに、大嫌いだ。
「花梨ちゃん…おこがましいかもしれないけれど一つだけ。」
どんなに楽しい毎日でも、大きくなって結婚して家庭を持っても、心の底何処かでいいから朔を忘れないで。
それを最後に私は家を出た。
「朔、元気してるといいな。」
「……」
首に巻いたマフラーに顔を埋めて、小さく「うん」とだけ言った。
その日そのままお通夜に参加した。
「お兄ちゃん…ありがとう。」
棺桶の中に眠る朔は、本当に美しかった。
城の中に独り眠り続ける茨姫……
なんて儚いのだろう…
朔の遺体には綺麗な宵闇色のスーツがかけられていた。
どうやら「20歳になったらか着たい」と言っていたらしい。
着ている姿が目に浮かぶ。
あぁ、よく似合うなぁ…
あの日からまた10年が経った。
私は無事に高校から大学の医学部と卒業して、医者として働いていた。
がんの方は寛解にはいかずとも、まともに生活できるくらいには回復していた。
そして今日は、私たちの結婚式だ。
「うわぁ。そのドレス、朔好きそう。」
「だから選んだんだもん。可愛いでしょ?」
相手は菖蒲、まぁ偶然よりか必然に強い気がする。
そのドレスとは、お色直しのドレス。
満月の美しい夜空のような…そんな藍色のドレスだ。
散々両親らには反対されたが、フル無視してこのドレスにした。
朔の好きな色だから。
「だろうな。」
「うん…見てほしかったなぁ。」
生憎外では雨が降っていて、少し部屋が湿っぽい。
「見てるよ。だって、あいつ花梨大好きだし。」
「あっ…ふふ。そうだよね。私もお兄ちゃん大好き!」
「おいおい!新婚早々不倫かよぉ。」
自然と笑みが溢れる。
披露宴が始まって、ワイワイガヤガヤと賑やかになってきた頃。
「さぁ、ここでお二人の共通のご友人からメッセージを頂戴したいと思います。」
私達は驚くに驚いた。
そんなコーナー設けていなかったからだ。
共通の友人?
大学も学部の違う私たちに、共通の友人は少なかった。
名前が思い浮かぶも、彼らが前に出る様子はなかった。
「右前のスクリーンにご注目!!」
自然と目をやる。
『こんにちは、霜田朔です。皆さん、はじめまして。そして、花梨、菖蒲、結婚おめでとう。』
幻覚でも見てるのかと思った。
でも、いくら目を擦っても、頬を抓っても、朔がいた。
『なんとなく、直感的に「二人は結婚するんじゃないか」って思ってました。この動画を見ているということは、勘が当たったようですね。ちなみにこの動画の前にもう二本ほど撮っています。』
朔らしいというか、「お兄ちゃん」らしいというか。
朔は穏やかに話した。
『ふたりとも元気ですから、きっと家庭も賑やかでしょうね。今、花梨は18ですから、結婚はもう10年後くらいか。まぁ、僕も会場にいると思います。きっと…これを見たら恥ずかしくなって退場しちゃうかもしれないですね。』
しばらく聞いていなかった「暖かい声」。
天日干しした布団をそのまま掛けられた。
柔らかい暖かさが私たちを包む。
『いやでも、悔しいですね。まさか花梨を菖蒲に取られるとは。僕ももう少しアプローチしておきゃよかった。なんなら「ちょっと待ったぁ!」って会場に入ってみたいですね。なんて!』
会場にぱっと笑いが起きる。
そんなハプニングがあっても楽しかったかもしれない。
『そういえば、二人はまだマフラーと手袋を使ってますか?もうなかなか古くなってしまっているでしょう。花梨には黄色のマフラー、菖蒲には紫色の手袋。あれ、作るの大変だったんです。大切に使ってくださいね。』
自然とポロポロ涙が流れる。
でも、全く悲しくない。
『どれどれ、そろそろ花梨が泣く頃かな。』
見事に言い当てられ、クスッと笑った。
「泣いてるよ、全く!!」
聞こえてるかな。
いや、絶対に聞こえてる。
朔は今日ここに来ているから。
『きっと、花梨のことだから、藍色のドレスでも着てるかな。それで菖蒲笑ってそう。…やっぱり、行きたかったなぁ。』
小さく細かく震えた声。
初めて、泣いた「お兄ちゃん」を見た。
『まぁ、できないから動画を撮ってるんですけどね。…とにかく、二人ともお幸せに。僕は天国から二人を見守ることにします。菖蒲、花梨を泣かせたら来世、いや来々世まで呪うからな?友人挨拶は以上です。20〇〇年11月7日、霜田朔より。』
あぁ、そっか…
どうやら、彼はしたいことやって、星になったようだ。
スッと腑に落ちた。
動画には「次の日、霜田朔は急遽容態が悪化し永眠いたしました。」
最後にそう流れた。
シーンとした会場の中、菖蒲はドアを勢いよく開けた。
「朔の馬鹿野郎ぉぉ!!」
空へ大声で叫んだと思えば、泣き出したのだ。
それも大号泣。
全くやめてほしいものだ。
出づらい声に抗って、私も空へ叫んでみた。
「朔、このドレス見て!可愛いでしょう!!お兄ちゃんの好きな藍色だよ!!」
綺麗な青空には大きな七色の橋はかかっていた。
「はいはーい、新婚さーん!?そのまま、キスおねがいしまーす!」
カメラマンがそういうと、泣きじゃくった赤い目がこちらを見る。
「かりぃん…」
「はいはい、そろそろ泣き止んだら?」
クスッと笑い一つ、互いの唇を重ねた。
その写真が一番美しくて、思い出のある物となった。
豊麗な君へ
お誕生日おめでとう。
超突然ですが、問題です。
デデン!!
私たちの結婚記念日はいつでしょう?
答えは……君の誕生日。
この一言で、全部が始まった。
「そんな…!!花梨は、花梨は大丈夫なんですよね?!!」
「今のところは…何も言えません…」
「そんな…!!」
ママがおかおをお手々で、かくしてないてる。パパがお手々のつめのある方をおでこに当てて、ガックリしてる。なんでだろう…?花梨ちゃんは分からないよ?なんでそんなにかなしいの?おしえて?ママ、パパ!
これは、私の人生譚だ。
「花梨ちゃん、今日からここで寝るのよ。お利口さんにできる?」
「うん!!花梨ちゃんできるよ!」
「お父さんたち、花梨に会いに来るからな。」
ママとパパはかなしそうなおかおのまま、あたまをなでてくれた。二人はバイバイと言って、どこかへ行ってしまった。本当は一人ぼっち、こわい。
「ママ…パパ…」
よんでも二人はいない。しぜんとなみだが出てきた。なんでだろう??ぜんぜんかなしくないのに…
「ママ…!パパ…!!」
そんなときとても小さな声がきこえた。
「だい、じょう、ぶ…?」
シーンとしたびょうしつにそうひびいた。それはとなりのベッドからきこえた。 そおっとカーテンをあけると、黒いかみの男の子がニコッとわらった。白っぽい、ねずみさん色の目が花梨を見ていた。
「はじめ、まして…僕は、さく。」
「…花梨、です。」
人見知りだからか、うまく話せなかった。でも、さくはわらうことはしなかった。
「よろしく、ね。」
「う、うん。」
さくは6さいだと言った。花梨は「お兄ちゃん」とよぶことにした。
花梨のびょうきはちにわるいやつがいると、先生は言っていた。それをたおすのにびょういんにいるんだって。
「お兄ちゃん」もびょうきだ。「お兄ちゃん」は生まれてからお外に行ったことがないと言っていた。「お兄ちゃん」はときどき、はっぱ色のマスクをつけるときがあった。かたそうで、お口いっぱいにかぶさるマスクだ。マスクの下のお口がうごかないことが多かった。くるしそうだった。
それでも「お兄ちゃん 」は元気なときにはカーテンをあけて、よく話しあいてになってくれた。でもいつもいつもおこえは小さかった。
私もまい日にがいおくすりと、いたい注しゃをやる日びをすごした。お兄ちゃんがとなりにいるから、がんばれた。
あるあさ、びょういんのおねえさんにかみをとかしてもらうと、くしにかみの毛がたくさんくっついた。まい日やるうちにほとんどぬけてしまった。こころなしか体がだるくて、気もちわるい。食べてもはいてしまうようになって、目に見えるほどやせた。こわい。
さいきんはパパもママもいそがしいのか、会えてない。5さいながらに自分がびょうきなのだと自かくした。それもじゅうだいなびょうきなのだとも。
「花梨…」
「お兄ちゃん」が花梨をよんだ。
「なぁに?お兄ちゃん!」
「今日は、元気だね…」
「うん。お兄ちゃんは?」
やさしい声で、元気だよ、と言った。久しぶりに「お兄ちゃん」に会った。しばらく目をつぶってあのマスクをつけていたからだ。
「お兄ちゃん」は色んなことをきいてきた。すきな色とか、すきなこととか。花梨はき色がすきで、お外であそぶのが大すきだった。
ほかにもこんなことをきかれた。
「花梨の、夢は、なんなのかな?」
「夢…」
ゆめ、っと言われてパッとおもいついたのは1つだった。
「お医者さんになりたいな…!」
いくらがんばってもなおならない自分のびょうき。それでも、がんばってなおそうとしてくれる先生が大すきだった。
「お医者さん…」
「うん、いっぱい人助けたいの」
自分みたいな子をたくさんたすけたい。いいね、とさくはほほえんだ。
「お兄ちゃんの夢は?」
花梨が言ったのだから、さくも言うのがどおりだろう。
「僕の…夢…」
生まれたときにはここにいた。
『朔くんは閉塞性細気管支炎です。』
かん字だらけのよく分からないびょうき。 ただそれは、時どきさくにとてつもないいきぐるしさをあたえた。
そんなさくの中にゆめはなかった。死んでしまいたい、それだけだ。
でも、となりに花梨が来てから自分はすこしかわった。ないている花梨を見て、ぼくははじめて人にこえをかけた。
ぼくのゆめ……かんがえたとこもなかった。ゆめ……
「ランドセルを背負って、皆と学校に行きたい…」
りっぱなゆめだった。
「いいねいいね!一緒に夢叶えようね!」
「うん。」
朔はうれしそうにわらった。
その日をさかいに「お兄ちゃん」と会うじかんがへった。
ちょうしがわるいわけではないらしい。
ただひたすら何かやっているのだ。
さびしかったが、声をかけるゆう気もなかったため、そっとしていた。
ゆきのふるきせつになるころだった。
ある日のあさ、まくら元に毛糸であまれたぼうしがおいてあった。
花梨の大すきなき色のぼうしだった。
そのよこにはたどたどしい字で、「めりーくりすます」とかいてあった。
カーテンからのぞいてニコニコしてる「お兄ちゃん」がいた。
その日のひるにはパパママも来てくれ、プレゼントをくれた。
あたらしいパジャマとかわいいクマのぬいぐるみだ。
「お兄ちゃん」もたくさんおしゃべりした。
時かんは風のようにすぎ、バイバイと手をふった後あと、かえっていった。
「このお帽子、お兄ちゃんが作ったの?」
「…う、うん…下手で、ごめんね…」
やはりそうだった、このぼうしは「お兄ちゃん」があんだのだ。
所どころゆるいところがあるがけして下手ではない。
「お兄ちゃん、編み物好きなの?」
「うん…お母さんが、教えて、くれた…僕でも、できるから…」
かたを上下させていきをする「お兄ちゃん」。
きっとたいへんだったはずだ。
「お兄ちゃん」だって何かのびょうきだからここにいるのだ。
かぶってみると、少し大きいもののかぶりごこちがいい。
かみがなくても気にしなくてすむ。
「ありがとう!お兄ちゃん!」
「どう、いたし、まして…」
さくはとっても小さくわらった。
つぎの日、「お兄ちゃん」はねむったままだった。
気のせいならいいけど、「お兄ちゃん」がおきてる時かんがみじかい気がする。
いや、みじかくなっている気がする。
あのマスクを付けて、しずかにいきをする。
ちゃくちゃくと雲の上に行くじゅんびをしているかのように……
自分もこんなにがんばってちりょうしてるのに、なおっている気がしない。
あるく力さえもなくなり、たべてはいてねる、そのくりかえし。
なんでだろう…と何どもかんがえた。
かみさまは花梨ちゃんたちを見てないのかな。
ううん、見えてないだけだ。
きっと…
ある日のよる、となりからピロピロと音がきこえ、目がさめた。
「お兄ちゃん…?」
カーテンで分からないが、「お兄ちゃん」の方から音がする。
ガラガラところがるざつ音とともに、音はとおざかっていった。
おねえさんにきいてみる。
「お兄ちゃんはどこに行ったの?」
こまったかおをしたが、大じょう夫よ、とだけ言ってセカセカと歩いた。
かざと雨がつよい日のよるだった。
「朔は!朔は大丈夫なんですか!!」
「……今はとても危険な状態です。緊急手術をします。」
「お願いします!朔を…助けて…ください……」
くるしい……くるしい…………
ぼく、ついにしぬのかな……
お母さんたちが話してるのをきいたことがある。
ぼくは長くは生きられない、らしい。
くるしいな……
このままもう、しんじゃいたい……
『お兄ちゃん!』
あ、でも……花梨が1人だ……
きっと……泣く……
ぼくは…………
つぎの日も、そのつぎの日も、「お兄ちゃん」はかえってこなかった。
さびしかった。
かえってきたのはあの日から一か月たつころだった。
「花梨…」
花梨をよぶ声はまえよりも小さくかぼそくなっていた。
クリーム色のほほの少しへこみ、あきらかに元気に見えなかった。
でも、「お兄ちゃん」がもどってきてくれてとてもうれしいかった。
『手術は成功です』
あの日ぼくは生きのびた。
たすけてくれた先生にもかんしゃだけど、何より気力はあんがい大事なことにきづいた。
生きられてあと4年、ねばるのをありかもしれない……
ちょうしがわるいのも一時てきなものすぎず、じょじょに気力をとりもどしていった。
そして花梨にもてんきがあらわれた。
「花梨にドナーが!!」
「良かったなぁ、花梨!」
びょうきがなおるらしい。
そのためにしゅじゅつもうけて、ぶじせいこう。
あるくれんしゅうもして、よくたべられるようにもなった。
もうすぐでここから出られるらしい。
「お兄ちゃん!元気?」
「花梨、うん。元気だよ。」
さいきん、声がはっきりきこえるようになった。
「お兄ちゃん」の声はあたたかくて、やわらかくて、安心する。
ふかふかのおふとんだ。
「花梨ちゃんね、病院とお別れなんだって!」
「ほんと?よかったね。」
「うん!嬉しいの!」
うれしいね、と「お兄ちゃん」はわらった。
まどをあけるとさくらの花びらが入ってくる。
「花梨。」
「ん?」
かみについた花びらをとってくれた。
「ありがとう!お兄ちゃん!」
あぁ、「お兄ちゃん」ってよべなくなるのか。
さびしいな…
おひるになるころにパパママが来て、つかっていたベッドはまっさらになった。
「バイバイ…」
もう会えないのかとおもうと、しゅんとした。
「お兄ちゃん」は花梨の目を見て言った。
「……」
「花梨…大丈夫だよ。また会えるよ。」
そしたらまたお話しよう、と「お兄ちゃん」は言った。
「うん…約束だよ?」
「約束、指切りげんまんね。」
バイバイと手をふる「お兄ちゃん」。
「もう、戻ってきちゃダメだよ!」
今までで一ばん大きな「お兄ちゃん」のこえだった。
それきり会うことはなかった。
「花梨!忘れ物してるわよ!」
「えぇ!ありがとう、お母さん!」
いってきます!っと高々と声を上げる。
田んぼの間を自転車でこいで、中学校に向かう。
白血病と言われてから10年、私は中学3年生だ。
あれから大病を患うことも無く、嘘みたいに元気に生活していた。
中3となると受験がどうこうなる時期だが、私は既に決まっていた。
「花梨は頭いいから水壱高校でしょぉ。」
「まぁねぇ。」
水壱高等学校、偏差値70の県内1の進学校だ。
医者になりたい夢はあれから変わってない。
変わってないからこそ、ずっと目指し続けているのだ。
幸い偏差値は足りているし、先生からも「大丈夫だろう」と言われている。
このままもう少し、だった。
「花梨?ねぇ花梨ってば!」
「…!!ご、ごめん。」
「もう、大丈夫?」
この頃体調が良くない。
受験勉強で疲れてるのか、それにしても長続きしている。
万が一を想定して母に相談すると、心配性な彼女は花梨を大学病院に連れて行った。
「うん…
急遽、人間ドック並の検査をすることになった。
先生は神妙そうな顔をした。
「花梨さんは血液がんです。」
あぁ、そうか。
またか、と妙な納得をした。
花梨の人生はまた一変した。
三日後から入院、高校受験なんて言ってられなくなった。
みんなには正直に言った。
可哀想、そんな目で見てくる。
人生が嫌になってない自分からすれば、良い迷惑だ。
父親方ががん家系だったから、まぁいつかはまたなると思っていた。
割り切れている反面やっぱり悔しかった。
意地でも治して、歳が違えど高校に入ってやる。
そんな気持ちでいた。
3日後、4人部屋に私は入院した。
歳が近い子がいると、先生から言われていた。
隣のベッドの男の子、歳は私の1つ上。
男かぁ、苦手。
そんなことを思いながら、挨拶してみようとカーテンを開けた。
「戻ってくるなって言ったはずだけど?」
なんだか聞き覚えがあった。
ただ、その声は「聞き覚えのある声」よりも低く、暖かく小さな声だった。
「こんな所で再会なんて、なんだか縁起悪いな。」
「お兄、ちゃん……?」
久しぶり、と彼は言った。
霜田朔、前回入院した時ベッドが隣だった、「お兄ちゃん」だ。
黒曜石のような漆黒の髪に、アイスグレーの鋭い瞳、陶器のように綺麗な肌は健全だった。
あれから早10年、正直会いたいと思っていた。
涙が頬を濡らした。
「花梨は会う度泣くな。」
「え、あ、……なんでだろ、」
拭っても拭っても、止まりそうにない。
おいで、とのごとく誘われ、彼の手が頬に触れた。
「張り詰めていたんだな。よしよし。」
頭を撫でる「お兄ちゃん」の手は覆うほどに大きくて、骨ばっていた。
「また一緒に頑張ろうな、花梨。」
「うん……」
「お兄ちゃん」は私が退院したあともずっと病院にいたと言った。
「じゃあ、あの夢は……」
「いや、叶ったよ。」
朔の誕生日11月1日に一日だけ学校に行ったと言う。
小学六年生で、やっと。
賑やかな教室、話しかけてくれた友達や先生。
「また会おうね」と別れたらしい。
「普通の日常があんなに暖かいとは思ってなかったから、楽しかった。」
その時に会った「菖蒲」くんは今でもお見舞いに来てくれるらしい。
ガラガラ、とドアが開く音。
「あれ、朔が女の子と話してるぅ!」
「声が大きいぞ、菖蒲。」
ガチッとした長身の男子、菖蒲が来たらしい。
「何、もしかして彼女?!」
「なわけあるか。花梨だ、前話しただろ?また隣の病床になったんだ。」
「あぁ!なるほどなぁ!」
チラッとこっちを見ては「ほぉん」と意味深気に言う。
「え、可愛くね?」
花梨には聞こえないくらいの声で菖蒲が言った。
「は、?」
「だから、可愛いよなって。」
「ノーコメントで。」
なんだよぉ、と茶化してくるがフル無視。
「えぇっと、何を話して…」
「ん?花梨ちゃんがかわ」
「おいおい!」
えぇ…不満そうな菖蒲の顔。
それに呆れる朔。
「ふふふっ!」
無意識に笑えた。
三人で話すのは楽しかった。
菖蒲は毎週水・日に来た。
病院なのになんだか楽しかった。
中学校ではみんなの顔色を伺っていたからかもしれない。
気楽に過ごしていた。
一方、闘病はやはり辛い。
抗がん剤の副作用で髪はまたも抜け落ち、腹の底からムカムカし吐き戻してしまう。
移植したというのに…
「健全な骨髄に変わりなかったんです。でも、貴女の体内でまた異常をきたし、がんになってしまったんです。」
先生は答えた。
仕方ないことなのか、私はがんと一生向き合っていくことを強いられたようだ。
しょぼんとしたまま病床に戻った。
「どうした、花梨。」
暖かい陽だまりのような声。
彼の声が聞こえた瞬間、重い気持ちが飛んだ。
自然と笑みを浮かべられる。
「ううん!大丈夫そう!」
「そうか。」
目を細めて口角を上げる、優しい視線で心がいっぱいだ。
それから三ヶ月、私は通院制の治療に切り替え、病院を出た。
高校は浪人を選択し、水壱高校を目指し続けた。
いつか、彼が檻から出られるようにと…
勉強、勉強、勉強…
無事に高校に合格してからも、それなりの青春、闘病、恋愛皆無、主軸は勉強だった。
けして楽じゃなくても頑張れた。
「お兄ちゃん」のためだから…
闘病生活3年目、高校2年生の時だ。
ある程度大学を決め、受験勉強がてら塾の帰り、母から手紙を貰った。
宛名は「霜田一久」。
聞き覚えのある名字に焦りと戸惑いを感じた。
中には手紙が一枚。
声に出して読んでみる。
「息子 霜田朔につきまして 20〇〇年11月8日永眠致しましたので謹んで皆様にお知らせいたします 故人への生前中のご厚誼には深く感謝申し上げます
尚 葬儀は下記のとおり行います
通夜式 11月18日 18時より
葬儀式告別式 11月19日 11時より
葬儀会場 セレモニーホール△△(住所 〇〇市… 電話 0123ー45ー6789)
喪主 霜田 一久(父)
20〇〇年11月10日
霜田 一久」
声が震えて、上手く出ない。
「お兄ちゃん」が、朔が…死んだ???
そんな…え、??
退院してからも、通院の度に顔を見せていた。
相変わらず小さい声、それでも毎回楽しそうに話していた。
また明日治療に通院する予定で、お見舞いに行くはずだったのに…
この前行った時だって、「またね」と行って帰ったのに…
私が医者になった時、「治療してもらうんだ」と言っていたのに…
「お兄ちゃん…朔ぅ…!!!なんで…なんでぇぇ!!嫌だよぉ!逝かないでよぉ!!まだ話してないこと、あるのに…『またね』って言ったじゃん!!私が治療するんだよぉ!嘘つきなんだぁ…うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
すぐ飲みこむことはできなかった。
私の中に渦巻く「何か」がモヤモヤして気持ち悪い。
ひたすら吐き出したくて、嗚咽を漏らす。
その日は一晩中泣いた。
11月18日、私は母に連れられ隣県に来ていた。
大きくもなく小さくもない、一軒家だ。
私たちを迎えてくれたのは、一久さんと紅葉さん。
朔の両親だという。
ダメだ、また涙が出てきそうだった。
「あ、花梨ちゃん…」
外の様子を見に出てきたのは、菖蒲だった。
「菖蒲さんも…来てたんですね…」
「まぁ、案内が来ちまったからな…」
曰く、菖蒲は朔を看取ったらしい。
中に入ってお供えした後、聞かされた。
「ほんと、静かだったよ。」
また、朝を迎えるために眠るみたいに…
その姿はとても美しい。
「花梨ちゃん。朔の友達になってくれてありがとう。」
紅葉さんは感謝を口にした。
「え、?」
「きっと、花梨ちゃんがいなければ、朔はこんなに長生きしなかった。」
付け足すように一久さんが言を吐く。
話された事実。
朔は生まれてすぐ、「10歳まで生きるのが限界」、と宣告された。
彼自身、諦めていた。
行動が表していた。
欲を見せず、言われた事をこなす。
死を待つ人形だ。
ただ、花梨に会ってから、朔は変わった。
帽子を作りたいと、学校に通いたいと、生きたいと、言った。
目に光が入った、と一久さんは言った。
いきいきとした朔は、一時期は快方に向かった。
ただやはりというべきか、あくまで「一時期」でしかなかった。
10歳を超え、病気の進行は遅くなった。
しかし、大きくなった体に自身で取り込める酸素量じゃ足りない。
重ねて体力不足、低い免疫の数値、未発達の臓器……
いつ亡くなってもおかしくなかった。
「宣言されていた10歳が過ぎていたから、仕方なかったんだよ。」
有効的な治療法がなく、19歳まで生きた朔は、豊麗な人だった。
否、豊麗な人だ。
垂れ流していた涙を初めて拭った。
「朔は私の中でずっと生きてる…」
ほんと好きなんだな。
話の中でそう思っていた。
俺は朔を看取った一人だ。
彼の両親が来る前、病室に一人彼を見守っていた。
「やっと…死ねるな……」
「…………」
怖いくらいに小さな声。
ただ、おかしいくらいにはっきりと澄んだ朔の声だった。
「やっと…死ねるのに…死にたく…ない……」
彼は涙を流した。
死にたくない、と連呼した。
「また…花梨が…来…て…話す…て…やくそく……し…て…」
だんだんカタコトになる言の葉。
「また…」
「うん。」
「しょうう…おくは……ここおの……なかえ…生き続けるよ。」
その後、彼の両親は来てすぐ、彼は息を引き取った。
口だけこう、「あ」「い」「ん」と言ったのを覚えている。
「あぁ、そうそう。」
そう言って、紅葉さんが出したのは、黄色いマフラー。
編み目の揃った、きれいな物だった。
「これ。朔が貴女にって。」
「え、?」
どうも温かそうだ。
そういえば朔に言ったことがあったな。
『外寒くなってきたのに、ずっと使ってたマフラー破けちゃってぇ。』
『ドンマイだな。……』
ふと思い出す日常の一部に、胸が苦しくなった。
覚えててくれたんだ。
なんとも言えない、平凡でかつ平和な会話だったはずだ。
ほんとに……もう……
「ダメだってぇ」
笑みを含んで泣いた。
本当にダメだ…
なんとも言えない、この呪いが気持ち悪くて仕方ない。
大好きなのに、大嫌いだ。
「花梨ちゃん…おこがましいかもしれないけれど一つだけ。」
どんなに楽しい毎日でも、大きくなって結婚して家庭を持っても、心の底何処かでいいから朔を忘れないで。
それを最後に私は家を出た。
「朔、元気してるといいな。」
「……」
首に巻いたマフラーに顔を埋めて、小さく「うん」とだけ言った。
その日そのままお通夜に参加した。
「お兄ちゃん…ありがとう。」
棺桶の中に眠る朔は、本当に美しかった。
城の中に独り眠り続ける茨姫……
なんて儚いのだろう…
朔の遺体には綺麗な宵闇色のスーツがかけられていた。
どうやら「20歳になったらか着たい」と言っていたらしい。
着ている姿が目に浮かぶ。
あぁ、よく似合うなぁ…
あの日からまた10年が経った。
私は無事に高校から大学の医学部と卒業して、医者として働いていた。
がんの方は寛解にはいかずとも、まともに生活できるくらいには回復していた。
そして今日は、私たちの結婚式だ。
「うわぁ。そのドレス、朔好きそう。」
「だから選んだんだもん。可愛いでしょ?」
相手は菖蒲、まぁ偶然よりか必然に強い気がする。
そのドレスとは、お色直しのドレス。
満月の美しい夜空のような…そんな藍色のドレスだ。
散々両親らには反対されたが、フル無視してこのドレスにした。
朔の好きな色だから。
「だろうな。」
「うん…見てほしかったなぁ。」
生憎外では雨が降っていて、少し部屋が湿っぽい。
「見てるよ。だって、あいつ花梨大好きだし。」
「あっ…ふふ。そうだよね。私もお兄ちゃん大好き!」
「おいおい!新婚早々不倫かよぉ。」
自然と笑みが溢れる。
披露宴が始まって、ワイワイガヤガヤと賑やかになってきた頃。
「さぁ、ここでお二人の共通のご友人からメッセージを頂戴したいと思います。」
私達は驚くに驚いた。
そんなコーナー設けていなかったからだ。
共通の友人?
大学も学部の違う私たちに、共通の友人は少なかった。
名前が思い浮かぶも、彼らが前に出る様子はなかった。
「右前のスクリーンにご注目!!」
自然と目をやる。
『こんにちは、霜田朔です。皆さん、はじめまして。そして、花梨、菖蒲、結婚おめでとう。』
幻覚でも見てるのかと思った。
でも、いくら目を擦っても、頬を抓っても、朔がいた。
『なんとなく、直感的に「二人は結婚するんじゃないか」って思ってました。この動画を見ているということは、勘が当たったようですね。ちなみにこの動画の前にもう二本ほど撮っています。』
朔らしいというか、「お兄ちゃん」らしいというか。
朔は穏やかに話した。
『ふたりとも元気ですから、きっと家庭も賑やかでしょうね。今、花梨は18ですから、結婚はもう10年後くらいか。まぁ、僕も会場にいると思います。きっと…これを見たら恥ずかしくなって退場しちゃうかもしれないですね。』
しばらく聞いていなかった「暖かい声」。
天日干しした布団をそのまま掛けられた。
柔らかい暖かさが私たちを包む。
『いやでも、悔しいですね。まさか花梨を菖蒲に取られるとは。僕ももう少しアプローチしておきゃよかった。なんなら「ちょっと待ったぁ!」って会場に入ってみたいですね。なんて!』
会場にぱっと笑いが起きる。
そんなハプニングがあっても楽しかったかもしれない。
『そういえば、二人はまだマフラーと手袋を使ってますか?もうなかなか古くなってしまっているでしょう。花梨には黄色のマフラー、菖蒲には紫色の手袋。あれ、作るの大変だったんです。大切に使ってくださいね。』
自然とポロポロ涙が流れる。
でも、全く悲しくない。
『どれどれ、そろそろ花梨が泣く頃かな。』
見事に言い当てられ、クスッと笑った。
「泣いてるよ、全く!!」
聞こえてるかな。
いや、絶対に聞こえてる。
朔は今日ここに来ているから。
『きっと、花梨のことだから、藍色のドレスでも着てるかな。それで菖蒲笑ってそう。…やっぱり、行きたかったなぁ。』
小さく細かく震えた声。
初めて、泣いた「お兄ちゃん」を見た。
『まぁ、できないから動画を撮ってるんですけどね。…とにかく、二人ともお幸せに。僕は天国から二人を見守ることにします。菖蒲、花梨を泣かせたら来世、いや来々世まで呪うからな?友人挨拶は以上です。20〇〇年11月7日、霜田朔より。』
あぁ、そっか…
どうやら、彼はしたいことやって、星になったようだ。
スッと腑に落ちた。
動画には「次の日、霜田朔は急遽容態が悪化し永眠いたしました。」
最後にそう流れた。
シーンとした会場の中、菖蒲はドアを勢いよく開けた。
「朔の馬鹿野郎ぉぉ!!」
空へ大声で叫んだと思えば、泣き出したのだ。
それも大号泣。
全くやめてほしいものだ。
出づらい声に抗って、私も空へ叫んでみた。
「朔、このドレス見て!可愛いでしょう!!お兄ちゃんの好きな藍色だよ!!」
綺麗な青空には大きな七色の橋はかかっていた。
「はいはーい、新婚さーん!?そのまま、キスおねがいしまーす!」
カメラマンがそういうと、泣きじゃくった赤い目がこちらを見る。
「かりぃん…」
「はいはい、そろそろ泣き止んだら?」
クスッと笑い一つ、互いの唇を重ねた。
その写真が一番美しくて、思い出のある物となった。
豊麗な君へ
お誕生日おめでとう。
超突然ですが、問題です。
デデン!!
私たちの結婚記念日はいつでしょう?
答えは……君の誕生日。