青年の傷はかなり深かった。右足がざっくりと切れており、他にも腕と背中に幾つかの切れた傷と打撲、腹の横にも打撲痕があった。この傷でよくまあ峠を越えてこられたと感心する。
「他に痛みのある所はあらへんですか?」
瀬楽が帰った後、薬草の汁を傷口に絞り、布を宛がう。青年は平静な顔をして、大丈夫だ、と言った。千代は青年の声に聞き入っていた。硬い響きの中に甘さを感じる。息を抜くような喋り方は、きっと疲れているから。千代の手当てが済んでしまうと、青年--千臣(ちおみ)と名乗った――が口を開く。
「怪我が治るまでの間、村の何処かに逗留できないだろうか? 足は効かないが、腕は打ち身くらいだ。逗留の間、村で役立てることがあれば何でもする」
確かにこの怪我で直ぐに郷から出ていけ、というのも酷な話である。千臣の真剣なまなざしを受けて、千代は逡巡して部屋の入り口から手当の様子を見ていた水凪に伺いを立てた。
「水凪様。どうでしょう、我が家でお過ごしいただくというのは……。この離れなら、普段私たちは使っておりませんし、他の家だと、あとは光裳の家くらい大きくないと、大人の方おひとりが逗留されるのには不便かと。光裳の家には璃子が居ります。同じ女ですが、私は巫女ですし、璃子の許に男の方がいらっしゃるよりええような気がします」
千代がそう言うと、水凪は千代の身を案じてか、少し考えて、そうしたら良かろう、と許可を出してくれた。
「ただし、千臣と言ったな。千代は俺の嫁になる巫女だ。不埒なことは許さんぞ」
そう凄んで見せる水凪は千代から見たらとても怖く思えたのに、千臣は静かな表情で水凪を見つめている。
「なにか文句があるのか。俺はこの郷を統べる神ぞ。本来ならば、お前を千代の傍になど置かぬものを、こうして慈悲の心で逗留を許した俺に感謝こそすれ、不遜な態度をとるとは何事か。不敬である」
神さまが人間に対して本気で怒ったら、天地が荒れて人がばたばたと死んでいくのだろうけど、そういう気配を見せない水凪は、人に対してやさしい神さまなのだろうなと思う。不敬である、などと言っておいて、その実、直接的な体罰すらないのは、怪我を慮ってのことだろうか。千臣もそこまでわかったらしく、水凪に対してこうべを垂れ、失礼した、と謝罪した。
「未婚が求められる巫女を嫁にするというのが不思議だったのだ」
「婚姻と共に巫女を辞めれば良い。それに、郷が必要とすれば千代もまた巫女として立つことが出来るだろう。神であるこの俺が許すのだからな」
確かに巫女は神に仕えるものだから、水凪が許せばそういうことも可能なのだろう。千臣も理解したらしく、なるほど、では厄介になる、と頷いた。