(……ああいうことにも、慣れなきゃアカンのかしら……)

千代は神社に帰って火照った顔を冷やすために顔を洗った。脳裏に水凪のきれいな顔が焼き付いている。

冷たい指先が、千代の頬に触れた。あの時の感覚を、ひと言で言ってしまうなら、未知の感覚に対する恐れ。

千代には、同じ年頃の娘が経験している色恋の経験が、まったくなかった。だから、自分の心闇のうちに起こる感覚が分からなくて怖いと思うのだろう。知らないことを知るとき、人は無垢と引き換えに、知識を得る。水凪が千代に促しているのはそう言うことだ。

(毎日、お務めしてきたけど、それだけじゃ足りなかったのね……)

水凪の指先の温度を思い出して、恥ずかしさに転げまわることを余儀なくされた千代だった。




「水凪殿は水の気配を隠さへんな」

朝餉の席で、不意に祖母がそう言った。そういえばそうだけど、それがなにか問題だろうか。水の気配がすると、畑の水も潤って、村人が喜んでいる。良いことではないかと、千代は思った。

「そうやな。これで郷がずっと潤えばええ」

そんな風に言われると気になってしまう。でも祖母は、もうええ、と言ったきりお茶を飲んで黙ってしまった。

「……あの、おばあさま」

それでも、呼び掛ければ返事をしてくれる。先を『視て』くれる者が居る安心感から、千代は問うていた。

「水凪様が、私をお嫁にとおっしゃってはるんですが……、神様を『お迎えする』というのは……、その……、そういうこと……なんですか……?」

水凪が現れてから、疑問に思っていたことだ。神さまを『お迎え』する方法は、祖母のやった『口寄せ』の方法だと思っていたし、それ以上に、いくら巫女のお務めを重ねたからといって、人間が神様の嫁になるなどと、おこがましい気がするのだ。それに……。

……、……やっぱり、璃子たちの話のような、恋愛も、してみたかった……。

等と、巫女である身では、言えなかったが、年頃の娘としてそう思ってしまうのは仕方のないことだった。祖母は、やや俯いた千代を前に、ふふ、と皴だらけの顔で微笑んだ。

「神様がそう求められたなら、そうなんやろな」

そう……、なのか……。なんだか……。

そこまで思って、はっとした。

(いけない……。神様に仕える身でありながら、神様の望みを否定するだなんて……)

千代はふるふるっと首を振った。その拍子に襟元から勾玉の首飾りが飛び出る。

「あ」

飛び出た勾玉は朝日を受けて眩しく光った。

(……綺麗、だわ……)

そっと、その勾玉に触れる。この首飾りに触れていると安心する。幼い頃に、いつか千代を迎えに来ると言って郷を離れた、大事な友達が残してくれたもの。子供の頃から身に着けていたこの首飾りはもはや、千代と一心同体の、千代の心の拠り所となっていた。やさしく触れて、その指の先程の冷たさに安心する。

(私は、神さまをお迎えする巫女。それ以上でも、それ以下でもない……)

未来を諦めるよう努めてきて、何度も思ったことを胸の中で呟く。水凪が郷に降りて千代を嫁にと思うなら、それが神さまの欲するところなのだ。千代に意見をする余地はない。千代も、恋ではないが、水凪のことは村人にもやさしくて、良い神様だという印象を持っている。村人の為を思うなら、水凪が求めるとおりにするのが良いのだ。

勾玉に触れる。千代の不安を、拭い去ってくれるような冷たさだった。