「なんで?」
「え?」
「だってここは、そういうことをする場所でしょ?」

 慎ちゃんは眉を上げて、すぐに笑顔をつくった。

「変わらないな、陽芽は」

 そんなことない。私は慎ちゃんを失ってからずいぶん変わってしまった。ただただまっすぐに慎ちゃんを追いかけていた、良くも悪くも純粋で無垢だった私はもうどこにもいない。

 しばらく無言のまま見つめ合っていると、慎ちゃんが立ち上がった。
 ソファーの真ん中に座っている私の、あまりスペースのない隣に座った。

「陽芽はいつもそうやっておれの理性ぶっ壊すよな」
「べつにそういうつもりじゃないよ」
「自覚ないなら天然の小悪魔だよ」
「人聞きの悪いこと言わないでよ」

 今度は大きな目を細らせる。
 押し倒されたのか、私が自ら寝たのかはよくわからない。
 慎ちゃんに、抱いてほしかった。

 私がしたいと思えるのは、昔からずっと慎ちゃんだけ。
 慶としたいと思ったことは一度もない。
 セックスなんかずっと大嫌いだった。

 そんなことを考えているうちに、慎ちゃんの顔が見えなくなるまで顔が近づいた。
 けれど私たちの唇が触れ合うことはなかった。
 数秒間の静寂ののち、慎ちゃんの手が今度は私の服にかかる。
 薄手のニットの裾から、ゆっくりと、ためらうように慎ちゃんの手が侵入する。

 熱い手が、私の肌に直接触れる。
 大きな手に触れられると、すごく心地いい。
 なのに。

「──陽芽?」

 どうしてだろう。
 慎ちゃんに抱いてほしいのに。あの頃みたいに笑い合いたいのに。
 どうして涙なんか出てくるんだろう。

「……ごめん」

 理性なのか、本能なのか。
 そんなもの、いっそのこと全部捨ててしまいたいのに。

「いいよ。おれもごめん」
「慎ちゃん、ごめんね……」
「陽芽、もういいから」

 体を起こした慎ちゃんは、私の手を引いてぎゅっと抱きしめた。
 その腕さえも、触れることをためらっているように思えた。

「ごめんなさい──」

 出会った日、声をかけたりしてごめん。好きになったりしてごめん。
 今でも好きで、どうしても好きで、ごめん。

 このまま何も考えずに抱いてもらえたなら、慎ちゃんの体温に溺れることができたなら、どんなに幸せだろう。だけど、どれほどの地獄なのだろう。

 そう思っているのは私だけじゃない。
 慎ちゃんも、ほっとした顔をしていた。