入れ違いで入ってきたのは、居酒屋で『あたし人の顔覚えるのけっこう得意だし』と言っていた女の子だった。
「あ、やった、喫煙仲間がいた。モト君だっけ?」
「君はやめて。呼び捨てでいい」
つい語気が強まってしまった。「へ?」と漏らした彼女はさっきまでつぐみと由井が座っていた椅子に腰かけた。
今まで呼び名を気にしたことなどないのに。のんちゃん以外の子にも、モト君と呼ばれたことくらいあるのに。
今はもう、どうしても、のんちゃんの姿がよぎってしまう。
人差し指と中指に熱を感じて視線を落とすと、指に挟んだままだった煙草の火種がフィルターまで到達していた。それを灰皿に捨てて、部屋を出ようか少し迷ってから二本目の煙草をくわえた。
「あのさ」
「え、何? 一緒に抜ける? あたしモト君……じゃなくて、モトすごいタイプだし全然いい──」
「いやごめん、俺は全然タイプじゃない。訊きたいことあって」
「は? 何?」
声が三トーンほど低くなった。そんなあからさまに本性を出さなくても。
申し訳ないとは思うが、本当にタイプじゃないから仕方がない。何より、たとえ好みの顔だったとしても、今は家やホテルに連れ込む気にはなれないだろうな、と我ながら失礼にも程がある思考がよぎった。
「さっきの写真の子、ほんとに見覚えない?」
同じ大学の同期だとしても、全員の顔と名前を把握できるわけじゃない。俺だって三年通っているが、知らない顔など山ほどいる。
だけど、妙な胸騒ぎがする。
「ないってば。なんなの? 行方不明とか?」
「違うけど」
「てか、その子ほんとにうちの大学なの?」
虚を衝かれて、指から煙草が落ちた。
慌てて拾い、彼女に「どういうこと?」と訊ねる。
「ゼミが違ったらどうとか言ってたからスルーしたけど、うちの文学部って北大ほど人数多くないからね。さっきも言ったけど、あたし人の顔覚えるの得意だから、タメで同じ学部だったらだいたい顔わかるよ。しかもあんな可愛い子なら一回見かければ顔覚えるって」
──大学の友達なんかいないよ。
初めて深夜にのんちゃんと出くわした日の光景が脳裏を巡る。
──一人くらいいるでしょ。
──いないんだってば。
ずっと引っかかっていた二つ目の違和感の正体が、やっとわかった。