付き合い始めてからおれたちはお互いの呼び名を変えた。陽芽はおれのことを『慎ちゃん』と呼びたいと言い、だったらおれも『陽芽』と名前で呼びたいと言った。
おれは「ちゃん付けはちょっと」と言い、陽芽は「名前が好きじゃない」とお互い拒否したが、押し問答の末に「二人だけの呼び名もいいか」ということで着地した。
おれたちが急速に惹かれ合ったのは、お互いの家庭環境が少し似ていたこともあるかもしれない。
おれは父子家庭、陽芽は母子家庭で育った。おれの親はおれが幼い頃に離婚し、父親に引き取られた。陽芽の母親は未婚で陽芽を産んだらしく、父親のことを一切知らないそうだった。
おれはおれの両親の離婚理由、そして陽芽はなぜ母親が未婚で陽芽を産んだのか、何も知らなかった。
おれの父親は小さいながらも会社を経営していて、陽芽の母親は陽芽いわく「普通に事務系だと思う」らしい。帰りは遅く休日出勤は当たり前で、おれも陽芽もずっと一人で過ごしてきた。
今なら、親はおれたちを育てるため必死に働いてくれていたのだとわかる。だけど子どもの頃はただただ寂しくて、孤独で、己の境遇を嘆き、そして少しだけ親を恨むことしかできなかった。
家に帰っても誰もいない。ただいま、と呟いてみても、返ってくるのは静寂だけ。
孤独を気取るつもりはないが、その寂しさを理解し合えるのは似た境遇で育った者同士だけであることは間違いなかった。
「だからかなあ。おれ結婚願望強くて。早く結婚して子どもつくって、普通に幸せに暮らしたい」
誰にも、過去の彼女たちにも言ったことのない密かな夢を口にすると、陽芽はしばしぽかんとして、ぱっと笑った。
「私が叶えてあげる」
「え?」
「慎ちゃんと結婚して子ども産んで、私が慎ちゃんを幸せにしてあげる!」
子どもじみたその台詞がどれだけ嬉しかったか、きっと陽芽は知らないだろう。
「うん、ありがとう。約束な」
本気だった。おれが想像する未来には、もう陽芽しかいなかった。
あの頃のおれたちは、ちょっと恥ずかしいくらいの、どこにでもいる普通のカップルだった。