「じゃあお言葉に甘えようかな」

 からかわれたままなのも癪なので、のんちゃんに向けて手を伸ばした。だけどのんちゃんは一切の動揺を見せることなく、煽るように俺の目をじっと見つめる。

 本気で襲ってやろうか。

 合意の上どころか誘ってきたのはのんちゃんだ。友達の彼女に手を出すなど言語道断だが、俺にのんちゃんを押しつけている慶にだって大いに責任がある。むしろよくぞ今まで耐えたと褒めてほしいくらいだ。
 俺にだって性欲くらい人並みにある。俺は断じて──とまでは言えないが、そんなに悪くないと思う。

 というか、普通に。
 俺にだって我慢の限界くらいある。

 ──避妊は絶対しろよ?

 するに決まってんだろ馬鹿野郎。

 床から立ち上がり、勢いに任せてのんちゃんにまたがった。横を向いていたのんちゃんが仰向けに戻る。上目で俺を見つめる彼女の頬に触れた。
 この瞬間、俺は初めて慶に秘密ができた。
 彼女を完全なる性的対象として認識し、物理的な境界線をも越えてしまったのだ。

 頬に添えていた手を、ゆっくりと頭に移動させる。
 細く柔らかい髪の感触が、俺の性欲に拍車をかけた。
 顔を近付けても、のんちゃんは顔を背けるどころかじっと俺を見つめる。
 数秒間、沈黙が落ちる。

「──止めてよ」

 呟いて、のんちゃんから離れた。
 ソファーに戻ってお茶を喉に流し込む。

 ちょっとだけ、いやかなり本気で襲ってやろうと思ったのに、結局こうなってしまうのが俺だなと思った。極限状態でも理性を保てる人格者なのだと自分を褒めてやりたいところだが、今回ばかりは情けなさが勝っている気もする。

 境界線とは何段階もある。同じ高さを何度も超えることは容易いが、さらに上の線を越えることは容易ではない。
 俺の葛藤を知ってか知らずか、のんちゃんは「ふふ」と小さく笑っておもむろに起き上がった。

「本気で襲ったりしないだろうなって思ってたから」
「何それ」
「モト君はそういうことしないよね。なんでも理屈で考えて、理性が勝っちゃうタイプ」
「友達の彼女に手ぇ出さないのは当たり前でしょ」
「面倒だからだよね」

 図星を指されて言葉に詰まった。