「行っちゃだめ」
「は? なんでだよ」
「べつに慶が行かなくたっていいじゃん」
「何言ってんだよおまえ。意味わかんねえ」

 本格的に喧嘩が始まり、いよいよ俺を含めた傍観者たちの気まずさは絶頂に達した。
 慶とのんちゃんはお互い一歩も引かず、静かに睨み合いが続く。やがて慶はのんちゃんから目を逸らして舌打ちし、「行くわ」と言ってその場を離れた。

 会場は今か今かと花火を心待ちにしている団体の声で賑わっている。静寂とは程遠いはずなのに、俺たちだけ見えない壁に囲まれているみたいだった。打ち上げ開始予定時刻を五分過ぎているのに空は濃紺のまま。
 人混みに紛れていく慶の背中をしばし見つめていたのんちゃんは、ぱっと俺たちの方を向いて、

「あはは、ごめんごめん。変な空気にしちゃったね」

 眉を下げて笑った。

「だってさー、せっかくの浴衣デートだよ? ずっと前から楽しみにしてて、準備に三時間もかかったのにさー、ひどくない? さすがにちょっとむかついちゃった。ほんとごめんね」

 呪いが解けたかのように、全身を強張らせていた俺の体から力が抜けていく。同時に口から「あ、ああ」と間の抜けた音が漏れた。

 やや遅れて我に返ったみんなは、空気を和ませようとしたのだろうのんちゃんからのバトンを繋ぐように「のんちゃん浴衣すげえ似合ってるよ!」「慶もったいねえなー」などと矢継ぎ早に言った。
 そしてやっと念願の花火が打ち上がり、「たーまやー!」などと必死にふざける須賀たちを見ながらのんちゃんはけたけたと笑う。

 ずっと黙していた俺に気づいたのか、あるいはなんとなくなのか、不意にこっちを向いたのんちゃんと目が合った。
「あのさ」と口を衝いて出たが、特に話題があるわけではなかった。頭をフル回転させ、続く台詞を考える。

「このあとカラオケで飲み会する予定だから、のんちゃんもおいでよ。デートだって聞いてたし慶は誘ってなかったんだけど、俺から連絡しとく」

 のんちゃんは頷くことなく、俺の動揺を見透かすように目を細める。

「ううん、今日は帰るよ。ありがとう」
「家に一人でいても暇でしょ。それに、せっかく浴衣着たのにもったいないじゃん。他の奴らもバイト終わったら来るから見せてあげなよ。みんな浴衣女子見たいって騒いでたし、喜ぶと思うよ」

 なぜ俺はここまで強引に誘っているのか。
 言いようのない心臓のざわつきを抑え込むため、「ね、行こうよ」と無理やり笑みを作る。

「……うん。ありがとう」

 力なく笑ったのんちゃんの頬に、まつげの影が落ちた。