「誰ですか?」
「二ヶ月くらい前にカフェで会ったじゃん」
「覚えてません」

 彼は目をぱちくりさせて「え、まじ?」と言った。まじだ。
 私のバイト先であるカフェのことだろうけれど、一日に何人ものお客様と接しているのだから、二ヶ月も前に会った人をいちいち覚えているわけがない。──のだけど。

 このやけに自信満々の口調と表情に心当たりがあり、不覚にも「ああ」と声に出してしまった。知らないふりを続けてあしらえばよかったのに、後悔先に立たずだ。
 彼は「思い出した?」と笑いながら私の隣に座った。

「学部は? のん、なんとなく文系っぽいよな。文学部とか?」
「は?」
「よっしゃ、わかった。勉強教えるよ」
「はあ?」

 何言ってんだこいつ。
 私は何もわかっていないし、余計なお世話だ。

「結構です」
「オレ北大生だよ」
「え?」
「獣医学部」
「え⁉︎ すごっ」
「受けたかったんだけどさすがに無理で、現実的に工学部」
「はあ?」
「やった。すげえ食いついた」

 彼が嬉しそうに笑うから、私もつられて笑ってしまったのだった。

 今思えば──。
 北大、帰省、図書館、勉強。いくつかのキーワードが揃った瞬間に感じた懐かしさと胸の痛みのせいで、思わず気が緩んでしまったのだろう。

 慶は地元がこっちで、初めてカフェで会った日は冬休み、そして今は春休みで帰省中だと言った。宣言通り最初の一週間は勉強を教えてくれて(受験勉強ではなくテスト勉強だったけど)、誘われるがままに外で会うようになった。
 そして、初対面のときから一向に衰えることのない勢いのまま猛アタックを受け続け、慶が札幌に帰る三日前に付き合い始めた。

 強引なところはあれども最初はすごく優しかった。
 ロマンチストらしい慶は『のんは運命の相手』が口癖で、『一生大事にする』だとか『絶対幸せにする』だとか、まるでプロポーズみたいな台詞も日常的に言っていた。ちょっとついていけないところはありつつ、それだけ好きでいてくれることは素直に嬉しかった。

 あの頃は、こんな〝今〟になっているなんて夢にも思わなかった。