自らの喉を突くかのようにしていた短刀をくるりと返し、芝嫣(しえん)姉さまは叡(えい)公子の左胸を狙った。
叡公子はよろめいて刃をかわし、姉さまの短刀は公子の腕をかすめて白い衣服に血が滲んだ。
清蓉(せいよう)が悲鳴をあげ、侍立していた兵士が芝嫣姉さまを取り押さえ短刀を取り上げた。
「なんてことをするのよ!?」
叫ぶ清蓉に姉さまはにっこり笑った。
「大したことじゃないでしょう? 大地の女神さまの力を持つあなたがいるんだもの。そんな傷あっというまに治せるでしょう? ほら、はやく治してさしあげて? おかわいそうに、公子さまったら、お顔を青くしていらっしゃるわ」
「芝嫣、そなた。初めから私を殺すつもりで……」
「残念だわ。たとえ命を奪っても清蓉がきっと女神さまの力で生き返らせてくれたはずよ? 見てみたかったわ。ねえ、それくらいできるのよね? これから壅(よう)に攻められる煒(い)を守ろうっていうのですもの。ものすごい奇跡を起こせるのよね? 唯一無二の守護武将でいらした父上はもういないのだもの。あなたが父上の代わりになるのよね。天子を救ってからずっと煒を守り続けた父上を! おまえたちが殺したのだから!!」
愛らしい笑顔の下から憎悪があふれ出す。叡公子はへたりこんだまま慄いて後ずさり、清蓉の衣を掴んだ。
「し、知らない。私は知らない。すべて清蓉が、天の意志だと……」
「ねえ、公子さま。あなたったら、つま先から髪の一本一本まで、天子様のお子なのね。その天の意志とやらをあなたは聞いたの? その耳で、目で、確認したの? 自分が見てもいないものをなぜ信じられるの? あなたが愚かだからよ! 臣下の意見によく耳を傾けると言えば聞こえはいいけれど、あなたは自分で何も考えられない、決められない! 父親と同じよ、能無しの方が操りやすいと玉座に座らされているだけ」
「天子様に対してなんて不遜な」
「お黙り!」
袖で口を押さえて声をひきつらせた清蓉を姉さまは一喝した。
「おまえがこの宮殿にいることこそが不遜よ。おまえが何をしたというの? これから何をしようと? わかっているわ、おまえは叡公子を誑かして棕(そう)家というこの国唯一の盾を壊した。更には壅軍を引き入れるためにここにいるのでしょう!?」
「公子さま! 棕芝嫣は魔に心を侵されています。早くここから出さねば悪い気を撒き散らされるだけです」
「あ、ああ……」
「叡公子! この期に及んでまだこの女の言いなりになるの!?」
「公子さま、悪しき言葉に耳を傾けてはなりません」
「あなたは淑華(しゅくか)姉上からわたしに簡単に乗り換えた。今度はこの女に頼ろうとしても同じよ、必ず裏切られる。だってあなたがその程度の……」
「う、わああああぁぁ!」
取り乱した叡公子は、芝嫣姉さまを捕らえていた兵士の腰の剣を抜き、無防備な姉さまの胸を貫いた。
近侍も、兵士も、清蓉さえ、息を呑む中、叡公子は荒い息を繰り返しながら命じた。
「棕家の女は魔物だ。首を斬り落として城門前に晒せ」
芝嫣姉さまと一緒に宮中に行った桂芝(けいし)が逃げ戻ってきて、惨状をつぶさにわたしに伝えた。
「子豫(しよ)お嬢様、お願いです。芝嫣さまが梟首(きょうしゅ)になどとんでもありません」
芝嫣姉さまは、愛されることに長けていた。そんな姉さまが、追い詰められた叡公子がどんな行動に及ぶか、わからなかったはずがない。
公子のように夢見がちな殿方は、夢を見させてくれる女を愛する。騙されることすら厭わず、騙された振りをすることでより甘美な夢想に浸る。
そういう男性が最も憎むのは、自分を騙し通さずに暴露する女だ。芝嫣姉さまに、それがわからなかったはずはない。
泣き崩れる桂芝を子宇(しう)に任せ、わたしは外に出て不自然なほど目に染みる蒼穹を見上げた。
まだだ、まだ。でも、もうすぐだ。
芝嫣姉さまが招き寄せてくれたから……。
叡公子はよろめいて刃をかわし、姉さまの短刀は公子の腕をかすめて白い衣服に血が滲んだ。
清蓉(せいよう)が悲鳴をあげ、侍立していた兵士が芝嫣姉さまを取り押さえ短刀を取り上げた。
「なんてことをするのよ!?」
叫ぶ清蓉に姉さまはにっこり笑った。
「大したことじゃないでしょう? 大地の女神さまの力を持つあなたがいるんだもの。そんな傷あっというまに治せるでしょう? ほら、はやく治してさしあげて? おかわいそうに、公子さまったら、お顔を青くしていらっしゃるわ」
「芝嫣、そなた。初めから私を殺すつもりで……」
「残念だわ。たとえ命を奪っても清蓉がきっと女神さまの力で生き返らせてくれたはずよ? 見てみたかったわ。ねえ、それくらいできるのよね? これから壅(よう)に攻められる煒(い)を守ろうっていうのですもの。ものすごい奇跡を起こせるのよね? 唯一無二の守護武将でいらした父上はもういないのだもの。あなたが父上の代わりになるのよね。天子を救ってからずっと煒を守り続けた父上を! おまえたちが殺したのだから!!」
愛らしい笑顔の下から憎悪があふれ出す。叡公子はへたりこんだまま慄いて後ずさり、清蓉の衣を掴んだ。
「し、知らない。私は知らない。すべて清蓉が、天の意志だと……」
「ねえ、公子さま。あなたったら、つま先から髪の一本一本まで、天子様のお子なのね。その天の意志とやらをあなたは聞いたの? その耳で、目で、確認したの? 自分が見てもいないものをなぜ信じられるの? あなたが愚かだからよ! 臣下の意見によく耳を傾けると言えば聞こえはいいけれど、あなたは自分で何も考えられない、決められない! 父親と同じよ、能無しの方が操りやすいと玉座に座らされているだけ」
「天子様に対してなんて不遜な」
「お黙り!」
袖で口を押さえて声をひきつらせた清蓉を姉さまは一喝した。
「おまえがこの宮殿にいることこそが不遜よ。おまえが何をしたというの? これから何をしようと? わかっているわ、おまえは叡公子を誑かして棕(そう)家というこの国唯一の盾を壊した。更には壅軍を引き入れるためにここにいるのでしょう!?」
「公子さま! 棕芝嫣は魔に心を侵されています。早くここから出さねば悪い気を撒き散らされるだけです」
「あ、ああ……」
「叡公子! この期に及んでまだこの女の言いなりになるの!?」
「公子さま、悪しき言葉に耳を傾けてはなりません」
「あなたは淑華(しゅくか)姉上からわたしに簡単に乗り換えた。今度はこの女に頼ろうとしても同じよ、必ず裏切られる。だってあなたがその程度の……」
「う、わああああぁぁ!」
取り乱した叡公子は、芝嫣姉さまを捕らえていた兵士の腰の剣を抜き、無防備な姉さまの胸を貫いた。
近侍も、兵士も、清蓉さえ、息を呑む中、叡公子は荒い息を繰り返しながら命じた。
「棕家の女は魔物だ。首を斬り落として城門前に晒せ」
芝嫣姉さまと一緒に宮中に行った桂芝(けいし)が逃げ戻ってきて、惨状をつぶさにわたしに伝えた。
「子豫(しよ)お嬢様、お願いです。芝嫣さまが梟首(きょうしゅ)になどとんでもありません」
芝嫣姉さまは、愛されることに長けていた。そんな姉さまが、追い詰められた叡公子がどんな行動に及ぶか、わからなかったはずがない。
公子のように夢見がちな殿方は、夢を見させてくれる女を愛する。騙されることすら厭わず、騙された振りをすることでより甘美な夢想に浸る。
そういう男性が最も憎むのは、自分を騙し通さずに暴露する女だ。芝嫣姉さまに、それがわからなかったはずはない。
泣き崩れる桂芝を子宇(しう)に任せ、わたしは外に出て不自然なほど目に染みる蒼穹を見上げた。
まだだ、まだ。でも、もうすぐだ。
芝嫣姉さまが招き寄せてくれたから……。