山地の合間の少ない耕作地をめぐって争いが絶えない隣国との戦では、布陣できる場所も限られています。今回もお決まりの手順で戦闘は始まるだろうとされていました。いつもと違うのは、船で行軍し体力のあるこの街の兵の方が有利だということです。

「テオ……ちゃんと帰ってきて。ポロも、帰ってきて……」
 しゃくりあげながらエレナが漏らす声を聞いて、女神さまは突然、路地に走り出ました。
「女神さま?」
「もう我慢できない」
 怖い顔で走り続けながら女神さまはおっしゃいます。
「こんなところで、残された者たちと待ちぼうけなど、わらわの性に合わん」
「ですが、いまは……」
「知ったことか! わらわは見守るもの。その本分を捨てたわけではない。ならばしっかり見届けてやる!」

 一目散に広場を突っ切り、女神さまは劇場の裏から崖を上って神域へと踏み込まれました。神殿の正面には家族の無事を祈る参拝者がたくさん来ているようですが、裏の禁域は相変わらず静かです。
「愚弟よ! 参れ!」
 真っ青な天空に向け、女神さまは呼ばわります。
「わらわを戦場に連れていけ!」

「しょうがないなあ」
 弟君の声が聞こえたと思ったら、ごうっとつむじ風が禁域に起こりました。女神さまの足がふわりと地面を離れます。慌ててわたしは女神さまの肩にしがみつきます。アルテミシアからもらったウールの上衣をやわらかくはためかせながら女神さまのおからだは天高く舞い上がります。

 風に乗って弧を描き下降を始める頃には、そこは隣国との境界の平地でした。窪地という方が正しいような気がするほど狭いそこに、装備を整えた歩兵が隊列を組んでいました。

「いいか! 勝機は俺たちにある! 優雅に船旅を楽しんできた俺たちには気力が有り余ってる! そうだろう!!」
 女神さまの足のはるか下、騎乗した将校が翼ある言葉を兵士たちに投げかけています。リュキーノスです。その傍らにはやはり騎乗して弓を抱えたミマスが控えています。
「玉ねぎの食事は今日で終わりにしよう! さっさと勝って帰るんだ! 俺たちには美しい女神さまがついてるんだ、年増の女神の国になんか負けないぞ」

「きー、誰が年増だ! あの男、カラスにでも食われればいい!」
 声と同時にそこに姿を現されたのは、煌めく瞳の御方、女神さまの父神さまの妹神でありました。リュキーノスを罵っていた叔母君は、隣にいる女神さまに気づいて目を丸くしました。
「うるわしのめい御殿ではないか。なんだその姿は。新手の嫌がらせかえ?」