「……なんの話だ、なんの」
 テオが低い声を出すと、ミマスはさっと表情を変えて言いました。
「神殿の連中、あの部屋の異変に気がついたのに騒ぎもしない。何故だ」
 先ほどはぶらぶら歩くといった調子のミマスでしたが、抜け目なく神殿のようすを見て歩いてきたようです。

「神の御業だと思っておるからだろう。そしてまた、あれやこれやと解釈を考え出すのに違いない」
 やれやれと腰に手を当てて女神さまは立ち上がります。
「騒ぎが起こるなら逃げる必要があるかと思ったんだが」
「そんな必要はない。のう? テオ」
「……そうだな。おれたちが疑われたとしても言い逃れはいくらでもできる」
 ミマスは軽く肩をすくめました。

「それなら、帰りは予定通り朝でいいんだな?」
「ああ。今度は普通に正面から戻るつもりだからキツくはないだろうが、早く寝直すとしよう」
「わかった」
「ファニも。早く寝るぞ」
「わかってる」
 テオたちと連れだって宿泊している部屋に向かいながら、女神さまがわたしに向かって目配せされます。わたしはこっくり頷いて、弟君にご報告をしに月桂樹の木の上へと飛び上がりました。




 女神さまがテオにお話しされた大地の女神には、別の逸話もありました。夜の闇に怯えかじかむ指をさする人間を憐れみ、火を与えられたのです。
「だけど火がもたらすものは、灯りと温かさだけではなかった」
 焼き尽くし、薙ぎ払う。狂暴性を持つ火は人間が秘めていた熱を呼び起こしてしまったのです。

「人間が殺し合いを始めるだなんて大地の女神は思いもしなかったんだろうな。だってそうだろ、母親は自分の子どもが殺し合うだなんて想像もしないんじゃないかい」

 これをお怒りになった天の大神は人間から火を取りあげておしまいになりました。再び地上は闇に閉ざされたのです。人を憐れみ天の大神の所業に怒った大地の女神は、自分の息子神に命じて天上から火を盗み取り、再びこれを人間に与えたのです。

「そして起こったのが、神々の大戦争さ」
 天の大神に対抗した地上の神々は地下に追われ、嘆いた大地の女神は冥府の更に奥深くに閉じこもってしまわれたそうです。

「大地の懐に抱かれてぬくぬくしている方が人間にとっても楽だったろうに。火をもらって調子に乗ったばかりに人間は楽土を失ったんだ。馬鹿だよね」
 本当はそう思っていない口振りで弟君はおっしゃいます。

「地下からの霧の息はどなたの仕業なのでしょう?」
 わたしの質問に弟君は黙り込んで少し考えこまれました。
「どなた、ということはないかもしれない。それに、さして目的はないのじゃないかな。地下の方々の恨み節がたまたまここから漏れてきた。そんな感じがするのだけどなあ」