「そういうことであろう? 奴隷の母ではなく、市民身分の女の腹から生まれていたら、今のおまえは違っていたのか? 例えばあの美しいアルテミシアとつがいになり幸せに暮らしていたとして、そんなおまえが野垂れ死にそうになっているエレナを見かけても、助けなかったというのか?」
「あ……」

「ミハイルやデニスやハリやポロが殺されそうになっているのを見かけても、おまえは知らない振りをするのか? 市民の腹から生まれたおまえなら、そうだと言うのか?」
「わからない。おれは……」

「テオ。おまえの思いはおまえだけのものじゃ。身分や境遇は関係ない。真心とはそういうものじゃ。人はな、テオ。見栄やはったりだけで人の命を引き受けたりはできない。それこそ責任が重いからじゃ。だから生き死にを神々のせいにする。だが、神なんていない、そう言い切るおまえならわかるだろう? 重さがわかるおまえならわかるだろう?」

「おれは、ただ……ただ、おれにできることならやらなくちゃって。おれには助けられると、そう思ったから」
「それがおまえだよ。テオ」
 女神さまは目を細めて微笑まれました。

「でも、おれができることなんて、たかが知れてる」
「まあ、そうじゃろうなあ」
「おれが助けてやれるのは、エレナとミハイルとデニスとハリとポロだけだ」
「ははは。あやつらはもうおまえの手は必要ないと言うかもしれん。おまえがみみっちくしがみついておるだけで」
「う……」

「そしたらまた、別の子どもを助けてやれば良い。どうせおまえはまた人助けをしたくなるのだろう。それがおまえだ。取って付けた理由なぞ考えるな」
「百助けられなくても、いいのだろうか?」
「どういう意味じゃ?」
 テオの問いに女神さまは眉を上げられます。

「リュキーノスに言われたことがある。後で百助けるためには、今助けられる一を見捨てなければならないこともある、と」
「あの男らしいのう。おまえはどう思うのじゃ?」
「……おれは、百も一も、どちらも助けたい。そのとき、おれの手の届く場所にあるものならば助けたい。それしか考えられないと思う」

「あはは。やっぱりおまえはみみっちい奴じゃ。みみっちくてちっぽけじゃ」
「なんだと」
「そのちっぽけな手で、すべてを取れ」
 笑い転げたままの笑顔で、女神さまは言い切りました。
「今おまえが守れるだけのものを守れ。そうすれば、進むべき道も見えてくるじゃろう」
「……ファニ。おまえは……」

 戸惑った表情でテオが言いかけたとき、ミマスが戻ってきました。
「邪魔をしたか?」
「ああ。いいところじゃったのに」
「そりゃあ惜しいことをした。黙って見てればよかった」