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八月一日。ヒロと出会って、今日で三年。
誕生日は一緒に過ごそうと約束していたから、講習が終わるとすぐにヒロの家へ向かった。
ヒロは毎年なにかしらサプライズをしてくれるから楽しみにしていたのに、部屋に入った瞬間、まるで自分の中からなにかが抜け落ちていくみたいにすうっと冷めた。
「ねえ、あれなに?」
私が指さした〝あれ〟は、丸まったティッシュで溢れているゴミ箱。ティッシュの隙間からは避妊具のパッケージも見えている。
どういうサプライズだ。
これがわざとじゃなかったら、救いようのない阿呆だと思った。
「え……ああ、こないだ夏帆が来たときのだよ」
こないだ来たときはしてませんけど。
ヒロは白々しく笑いながら明るく振る舞って、ゴミ箱を隠すようにクッションを寄せてからベッドに腰かけた。
目の前が、真っ暗になっていく。
とっくにわかっていた。ヒロが女の子をどうやって慰めているのか。
それがどこで行われているのかも、本当はずっとわかっていた。
用事を済ませたヒロに会ったとき、そしてヒロの部屋に入ったとき、鼻先をかすめる香水の匂い。嗅覚が敏感な私は、自分をごまかし続けることができなかった。
それでも言えなかった。言わなかった。だからヒロも、私にばれていないと思い込んで油断しきっていたのだろう。
──ヒロくんは……あんまりおすすめしない。
──ヒロってそういう男だから。
──夏帆ちゃんにだけは言われたくないし、筋合いもない。
──ヒロっていつもそうなの。悪い奴じゃないけど馬鹿なんだよね。本能に逆らえないっていうか。
──夏帆ちゃんも早く現実見た方がいいよ。
──夏帆の世界は狭すぎる。
──いい加減ちゃんと考えた方がいいよ。
──舐められてるんだよ、あたしたち。
ひとつひとつの言葉が脳裏をよぎるにつれて、視界が歪んでいった。
涙がこぼれたと同時に、頭の中でぷつんって音がした。
「いい加減にしてよ! なんで嘘つくの? なんで約束守ってくれないの!」
人に怒鳴ったりしたのは、生まれて初めてだった。
涙を流し続ける私を、ヒロは顔を真っ青に染めて見上げていた。
今日は私たちの誕生日で、出会った記念日でもあるのに。
心の底から運命を信じた、なによりも大切な日なのに。
けっこう大恋愛だと思っていた。
この人しかいないと、運命の相手に巡り会えたのだと本気で思っていた。
幸せでいっぱいの恋になると信じていた。
なのに、今思うのは。
どうしてここにいるんだろう、だった。
三年間通い詰めたこの部屋を見渡した。ここに楽しい思い出なんてあるんだろうか。
今浮かんでくるのは嫌なことばっかりだ。私が寝静まったあと、平気で女の子と連絡を取り合うヒロ。せっかく早起きしてお洒落しても平気でドタキャンされて、会ったときに感じる残り香に絶望して。
もう無理だって、耐えられないって、何度も思った。
だけど、それでも。
──これからも一緒にいるかどうかに、今まで一緒にいた年数なんて関係ないよ。
だめだよ、凪紗。私は凪紗みたいに強くない。
一緒に過ごしてきた年数は、すごく重たいよ。
私、別れる勇気なんてないよ。
「ごめん、夏帆……」
ヒロが私の顔を覗き込む。かすんでいる視界の中にヒロの姿をとらえたとき、あまりにも場違いなことを思った。
かっこよくなったな、ヒロ。出会った頃よりもずいぶんと背が伸びて、顔つきも体つきも男らしくなった。少年から青年になった、という表現がしっくりくる。昔の面影はあるけれど、あどけない雰囲気はすっかりなくなっている。
だからだろうか。大好きだった屈託のない笑顔が、思い出せない。
「夏帆……?」
ヒロは抜け殻みたいにぼんやりしている私に困惑しながら、涙でぐしゃぐしゃになっている私の頬に手を伸ばす。
とっさにその手を振り払った。
こんな状況になっても、別れる決心はできない。
だけどもう、限界だ。
「他の女の子に触れた手で触らないで!」
驚いているヒロに叫んで、家を出た。