約束が守られることはなく、ヒロは相変わらずだった。
 もはや隠す気がないのか、単に嘘が下手すぎるだけなのか、女の子と会っていることがばればれだった。だけど私がなにを言っても『友達を放っておけない』の一点張り。そんなの私がある程度譲歩するしかない。

 学校でたまに見かければ、私が知らない派手な女の子といちゃついている。高校に入ってからの二年間ですっかり見慣れていた。一年の頃みたいに乱入はしない。しても無駄だと学んだからだ。免疫なのか麻痺なのか諦めなのか、学校でいちゃついている程度ならそこまで気にならなくなった。

 なんていうのは強がりだと自分でもわかっていた。喧嘩になるのが嫌で、というより嫌われるのが怖くて、結局なにも言えないだけ。
 私は病気なのかもしれない。恋の病なんて可愛いものじゃない。もっともっと重病で重症だ。
 だって私、どれだけ傷ついても、どうしてもヒロのことが好きなんだ。



「夏帆ちゃん?」

 ヒロと出会って三年が経とうとしていた高三の夏休み初日、学校の昇降口で私を呼び止めたのは美波ちゃんだった。
 呼んだのは美波ちゃんなのに、やば、って顔をしている。美波ちゃんもまさか私と会うなんて思っていなかったから、驚いて反射的に声が出てしまったのだろう。

「えっと……夏帆ちゃんも補習?」
「ううん、講習」

 夏休みとはいえ、大学進学組は任意で講習を受けることができる。私と凪紗は札幌(さっぽろ)の大学へ行くつもりだから、夏休み返上で講習に参加する予定だ。
 美波ちゃんは、と言いかけてやめた。言い方から察するに補習組なのだろう。講習と違って補習は強制だ。参加しなければ卒業は危うい。ヒロも補習組のはずだけれど、ちゃんと来ているのだろうか。

 勘だけど、ヒロが会っている女の子の中に美波ちゃんは入っていない。クラスも離れたのか、最近では一緒にいるところも見かけていない。だから一年の頃みたいに警戒はしていないものの、それはそれで逆にどう接したらいいかわからない。

 美波ちゃんも似たようなことを考えているのか、なんとも気まずい無言の数秒間が流れたのち、「じゃあ」と言って私に背中を向けた。
 その背中を追うように「訊きたいことがあるんだけど」と言うと、美波ちゃんはぎょっとして振り向いた。

「え、なに? もうヒロとは関わってないよ。三年になってクラスも離れたし」
「前に言ってたよね。ヒロってそういう男だから、って。あれ、どういう意味?」

 詰め寄る私に、美波ちゃんは前みたいにため息をつくことなく、どこか哀れみを感じさせる目を向けた。

「そういう風に訊いてくるってことは、もうわかってるんでしょ?」

 図星を突かれた私は、頷くこともできずに立ち尽くす。

「前は気遣って黙ってたけど、わかってるならはっきり言っちゃうね。ヒロと関わらないでって言われたとき、正直すっごいむかついたの。夏帆ちゃんにだけは言われたくないし、筋合いもないんだけどって」
「どういう意味?」
「あたしとヒロが別れた原因、たぶん夏帆ちゃんだから」

 思いがけない告白に動揺を隠せなかった。

「ヒロと付き合ったのいつ?」
「なんでそんなこと……」
「いいから。いつ?」

 気圧されて「中三の夏休みだけど……」と我ながら情けないくらい弱々しく答えると、美波ちゃんは「だと思った」とため息をついた。

「あたしとヒロが別れたの、中三の夏休みなのね。あたしが振られたの。夏休み前までは普通だったのに、急に。どういうことかわかるよね?」

 そうだ。あの頃、ヒロには彼女がいた。
 確かにヒロは、私のことが好きになったから別れたと言っていた。だけど、もともとうまくいってなかったとも言っていた。美波ちゃんの話が本当だとしても、私はそんなの知らなかった。私が美波ちゃんからヒロを奪ったわけじゃない。

 ……違う。こんなの言い訳だ。
 私はヒロに彼女がいることを知ってからも諦められなくて、遊ぼうと誘われたときも家まで送ると言われたときも、一度も断ったことがなかった。初めて手を繋いだとき、ヒロが彼女と別れたことをまだ知らなかったのに、私は手を離そうとしなかった。目の前にある幸せな時間に夢中で、見たこともない彼女の存在なんてちゃんと気にしたことがなかった。

 私が幸せを感じていたとき、美波ちゃんは苦しんでいたんだ。
 美波ちゃんの言う通りだ。私にとやかく言う権利なんかない。
 私だって、ヒロの周りにいる女の子たちと同じだったんだ。

「夏帆ちゃんのこと恨んだりしてないし、もちろん今さら責めるつもりもないよ。でもそれは昔のことだからってだけじゃなくて、なんていうか……あたしも人のこと言えないっていうのもあるの。ヒロ、あたしと付き合う前も彼女いたから」

「え……?」

「ヒロっていつもそうなの。悪い奴じゃないけど馬鹿なんだよね。本能に逆らえないっていうか。彼女がいようがいなかろうが、気に入った女の子を見つけたらブレーキが利かないの。ヒロみたいなタイプに言い寄られたらこっちも悪い気しないし、落ち込んでるときに親身に相談聞いてくれたりしたらコロッといっちゃうよね。しかも、ほしい言葉をピンポイントでくれるんだもん。それを天然でやっちゃうから余計に(たち)悪いんだけど」

 まるで他人の口から私とヒロの馴れ初めが語られているみたいだった。

「なのに、付き合ったら浮気三昧。問い詰めたら『友達をほっとけない』の一点張り。こっちが怒ったら慌てて謝ってきて、そのままヤッて仲直り。で、結局他の子見つけてあっさり捨てられた。そんな奴とより戻したいと思う?」

 足がすくんで動けない。美波ちゃんから目を離せない。美波ちゃんと対峙するといつもこうだ。
 なのに、なぜ呼び止めてしまったんだろう。

「あたしだけじゃないよ。元カノはみんな同じような経験してる。夏帆ちゃんも早く現実見た方がいいよ。舐められてるんだよ、あたしたち」

 空は雲ひとつない晴天のはずなのに、まるで私の周りだけ黒い雲に覆われているみたいだった。

「……ごめん。なんか、昔の自分見てるみたいでイライラしちゃった。……じゃあ、あたし行くから」

 予鈴が鳴っている。講習が始まる。
 だけど、もう、歩きだす気力がない。