マンションが見えてきたとき、私たちの前をふたりの男女が歩いていた。むっちゃんの隣の部屋に住んでいる大学生の男の子と、彼と同世代くらいの女の子。
「前に彼女いないって言ってたけど、できたのかな」
むっちゃんが私に耳打ちをする。
ほんとだね、と返そうとしたとき、女の子が彼の方を向いた拍子に横顔が見えた。
「あれ?」
「どうしたの? 柑ちゃん知り合い?」
「あの女の子、見覚えある気がして」
思わず足を止めて考え込む。ふたりの姿が見えなくなると同時に思い出した。
知り合いではないけれど、知っている。たぶん同じ高校出身の子だ。
そして、つい最近見かけたことがある。
年上の男の人とホテルに入っていくところを。
「ううん、なんでもない」
なんとなく口に出すのが憚られて、気のせいだったとごまかした。
ひょっとすると、彼女は私と似たようなタイプなのかもしれない。
「ねえ。むっちゃんはなんでそんなに私のこと信用してくれるの?」
止めていた足を動かして、繋いでいる手をぎゅっと握った。
「私の過去、むっちゃんも知ってるのに」
私には、銀ちゃんの知らない秘密がある。
中学高校時代の私はいわゆる恋愛体質というやつで、ちょっと顔が好みの男の子にちょっと優しくされただけでコロッといってしまうタイプだった。最初に銀ちゃんを好きになったのも、特に大きな理由やきっかけはなくただそれだけのことだった。
さらに愛されたい願望が人一倍強い構ってちゃんで、しかもものすごく移り気だった。銀ちゃんからの連絡の頻度がちょっとでも減ったりちょっとでも放置されたりするだけで愛情不足に感じ、そんなときに他の男の子にちょっと優しくされるとつい目移りしてしまうのだ。
銀ちゃんの連絡を無視していると、銀ちゃんがさらに怒って大喧嘩になるか例の台詞を言ってくるから、いつも自然な感じで別れることができた。なんだか〝彼女のためを想ってつらい別れを選択する自分〟に酔っていたからそういうことにしておいた。
付き合いたての頃は自制できていたのに、何度も復縁を繰り返しているうちにブレーキが緩くなってしまった。
彼とだめになっても銀ちゃんと戻ればいい。私が戻りたいと言えば受け入れてくれる。なんて思うようになり、私にとって銀ちゃんはいつからかものすごくちょうどいい存在と化していた。
私が仕向けていたことも、私から別れを告げていた本当の理由も銀ちゃんは知らない。知られたらよりを戻せなくなってしまうから言わなかった。罪悪感で胸が締め付けられるくらい、けっこうひどいことをしていたのだ。
ただし、最後に別れたときだけは違う。
もしかしてこの人ちょっとやばい?と薄々感じていた疑問が、だいぶ痛いな、という確信になったからだ。それに大学に入ったら新しい出会いもたくさんあるだろうし、まあいっか、って感じで別れた。
つまり私は、銀ちゃんに負けず劣らずだいぶ痛くてやばい女だったのだ。
そんな私の過去を、むっちゃんは全て知っている。
「だって、昔の話でしょ?」
「そうだけど、普通は信用なんかできないと思う」
大学に入ってすぐ、ふと私の恋愛無双が終わりを告げた。男性と知り合う機会はあったもののなかなか恋愛に発展せず、さらにやたらと課題を出してくる教授と人手不足のアルバイト先のおかげで恋愛に没頭する暇がなかったのだ。彼氏がいない生活は最初こそ物足りなかったけれど、忙しい毎日を送っているうちに、ひとりでも充実した時間を過ごせるのだと気付くことができた。
だから彼氏がほしいと思わなくなっていたし、そもそもむっちゃんは友達だったし、正直タイプじゃなかったからまさか付き合うことになるとは思わず、酔っぱらっていたときに面白おかしく洗いざらい喋ってしまったのだ。
「アプリで位置情報共有しようって提案してくれたの柑ちゃんじゃん」
「でもむっちゃん全然見てないじゃん」
「四六時中心配してたらキリないし、精神衛生上よくないから。束縛してるみたいで嫌だし。信じるって決めたから信じてるだけ」
「そっか。信じてくれてありがとう、むっちゃん」
むっちゃんが告白してくれたとき、正直不安だった。私の悪い癖は直っているのだろうか、と。だからこそ自ら位置情報の共有を提案した。
だけど私は知った。
絶対に失いたくないと思える人に出会うこと。それが一番の特効薬だったのだと。
最低だった過去ごと受け入れてくれる。無条件で私のことを信じてくれる。愛情とは連絡の頻度や口先だけで量るものではないということも教えてくれた。そんな人を裏切れるわけがない。
むっちゃんと出会えたおかげで心から言える。
さよなら、超移り気の構ってちゃんで大嘘つきだった痛すぎる私。