むしゃくしゃしていた。
昨日のことを思い出すだけで、目の前の赤信号も行き交う車も周囲に佇んでいるビルも湿っぽい雪を落としてくる空も全部破壊したくなってくる程度にはむしゃくしゃしていた。
とりあえず大学に行って講義を受けて友達と話してみたけれど、ひとりになった瞬間に落ち着いていたはずのイライラが復活してしまったのだ。
歩行者信号が青になり、音楽が流れる。人の波に押されて足を踏み出す。
このまま自分の家に帰ろうか。それとも。
考えながら、無意識にポケットに入れているスマホを握っていた。
さてどうしようかと悩んでいたとき、
「柑奈?」
名前を呼ばれて、反射的に顔を上げる。
聞き覚えのある声だった。
「銀ちゃん!?」
かつて私がそう呼んでいた、目の前に立っている彼──銀ちゃんこと銀治は、中学から高校にかけて付き合っていた元彼。
ずいぶんとオーバーリアクションをしてしまったのは、ちょうど彼を思い出していたところだったからだ。
「すげえ久しぶりだな。元気だった?」
「う、うん。銀ちゃんは?」
「元気元気。柑奈は今大学生か」
「銀ちゃんは仕事してるんだよね」
懐かしい。
明るい髪色と冬なのに焼けている肌は、記憶にある姿そのものだった。眉を八の字にして作る笑顔も、両手をポケットに入れて立つ姿も変わっていない。ひと目見ただけで、一瞬にしてあの頃の記憶が鮮明に呼び起こされる。
だけど最後に会った日よりも少し男らしくなった顔つきとライトグレーの作業着に、私たちはもう大人になったのだと実感させられた。
「今帰り?」
「うん。銀ちゃんは?」
「俺もちょうど帰るとこ。時間あるならちょっと飲みに行かね?」
握っているスマホに神経を奪われながら、迷う。
だけど、いっそのこと会って確かめたいと思っていた相手と奇跡的に会えたのだ。
「──うん。いいよ」
歩いてすすきのに向かい、通りかかった居酒屋に入る。平日とはいえ時刻は十七時を過ぎているから、店内はそこそこ賑わっていた。
半個室のテーブル席に案内され、向かい合って座った。
「今日は俺が奢るから、好きなだけ食えよ」
「いいの? ありがとう」
今日はイライラしていたせいで昼食も喉を通らず、さすがにお腹がペコペコだ。お言葉に甘え──はしないけれど、お酒といくつかのおつまみを選んだ。銀ちゃんもしばらくメニュー表に目を通してから店員さんを呼ぶ。
「とりあえず生中ふたつ。あと串焼き盛り合わせ、刺身盛り合わせ、この店ってたちポンある? じゃあそれと──」
メニュー表を見ながら次々と注文をして「よろしく」と締めくくった。明らかに年上の店員さんに、まるで友達みたいな態度だ。外見だけじゃなく中身も変わっていないらしい。
銀ちゃんはやんちゃなタイプだった。はっきり言って口も態度も悪くて、先生と喧嘩をすることもしょっちゅう。先生だろうが先輩だろうが敬語を使うところなんて見たことがない。
だけど、いつも強気で強引に私や友達を引っ張ってくれるところがかっこいいと思っていた。
「じゃあ、とりあえず乾杯するか」
すぐに届いたふたつのビールで乾杯をした。
銀ちゃんと私は初めて付き合ったのが中一で、最後に別れたのが高三の冬。会うのは卒業式以来だから、約四年ぶりの再会だった。もちろんこうして一緒にお酒を飲むのは初めてだ。
何年も付き合っていたのに、まだ〝初めて〟が残っていたことに少し驚きつつ、お通しをつまむ。
「おまえ、変わんねえなあ」
「え?」
「食ってるときの顔。ほんとブス」
眉を八の字にして、顔をくしゃくしゃにして笑う。
さっそく失言をされたわけだけれど、これぞ銀ちゃんだ。私の食べ方と食べているときの顔が変だと言って、よくこうして『ブス』と笑われていた。当時は『もー! ひどーい!』なんて返していたっけ。
「うるさいなあ」
「あと、全然食わねえとこも変わってない。好きなだけ食っていいっつったのに」
私が選んだ料理を見て銀ちゃんが言った。ほとんどが小鉢におさまるようなおつまみだ。
今回は単に遠慮したのだけれど、あの頃は違った。食べているところを好きな人に見られるのがなんだか恥ずかしくて、いつもちまちまと食べていた。食べ方が変だと言われたのもそのせいだろう。小食の方が女の子らしくて可愛いと思ってもらえるかな、という計算もあったっけ。
「なに笑ってんだよ」
「なんでもない」
中学生の頃はさすがに純粋な乙女だったんだな、私。思い出すと可笑しい。
注文した料理が次々と運ばれてきて、すぐにテーブルがいっぱいになった。食べながら簡単に近況報告をし合う。
すぐに一杯目を飲み干し、二杯目のお酒が届いたタイミングで、
「四年ぶり……だな。別れてから」
浸るように言った銀ちゃんに、そうだね、と返す。
元カップルが再会したのだから、こういう話になるのは当然だ。
「俺らって結局どれくらい付き合ったんだろうな」
「どうだろうね」
何年も付き合っていたと言っても、それはあくまでトータルの話。私たちは付き合ったり別れたりを何度も、もはや回数を覚えていないくらい何度も繰り返してきた。ふたりで会うとき、うちらって今付き合ってるんだっけ? 別れてるんだっけ?なんて会話が挨拶代わりになるくらい。