ものすごく緊張していた。
 一週間の仕事を終えた夜。待ち合わせ場所として指定されたのは、さっぽろテレビ塔の前という、なんとも人通りが多い場所だった。

 わたしの職場は札幌駅の北口方面だから離れていると言えば離れているものの、今日は金曜日だ。職場の誰かがここを通っても不思議ではないどころか、通る可能性は極めて高い。
 待ち合わせの相手は彼氏なのだから、普通に考えれば見られて困る相手ではない。
 とはいえ、見られたくない理由がひとつだけあるのだ。

「この()さーん!」

 噂をすれば(わたしの心の中だけれど)、彼は大きく手を振って足早に駆けてきた。ぎょっとしたのは、彼の周りに数人の友達がいたからだ。
 彼らはあっという間にわたしを囲む。学校の友達だろうか。美容専門学校の生徒だけあって、個性的で派手な子たちだ。

「はじめましてー! 俺ら一颯(いぶき)の友達でーす!」
「へー、おまえ年上の彼女できたってガチだったんだ」
「この実さんですよね? 彼氏がこんなクソガキで大丈夫っすかー?」

 おそらく、誰かの家か、いちいち年齢確認などされない学生御用達の店にでも集まって飲んでいたのだろう。顔は赤らんでいるし、アルコールの匂いがする。
 こういうノリにはもうついていけないので、とりあえず愛想笑いをしておく。

「おまえらまじやめろって! ごめん。こいつら彼女見たいって無理やりついてきちゃって……」

 わたしがたじろいでいると、一颯くんが申し訳なさそうに言った。大丈夫だよ、とは言えず、苦笑いのまま曖昧に「う、うん」と返した。
 見れば、男の子たちの後ろには女の子も数人いる。その中に、じっとわたしを見据えている子がひとりいた。

 金髪に真っピンクのインナーカラーが印象的な、毛先を軽く巻いたミディアムヘア。そしてやはり個性的で派手なファッション。十月も半ばだというのに、短いスカートからはストッキングすらはいていない細い足がすらりと伸びている。

 わざわざ訊かなくとも、この面白くなさそうな顔を見ただけでわかる。きっと一颯くんのことが好きなのだろう。
 けれど嫉妬の対象にすらならない。なんなら今この場で言ってあげようか。
 大丈夫、どこからどう見ても、あなたの方がお似合いだよ、と。



 一颯くんは十八歳の専門学生。わたしが勤めている地方紙の出版社に、夏休み中だけ短期のアルバイトとして勤務していた。といってもわたしは販売部で一颯くんは書類整理などの事務仕事が中心だったため仕事中は関わりがなく、一か月半ほどの間で話したのはせいぜいひと言かふた言くらい。可愛い顔をしている子だとは思っていたものの、名前すらちゃんと覚えていなかった。

 そんな一颯くんが、なぜわたしの彼氏になったのか。
 それを語るには、懺悔も挟まなければならない。

「仕事お疲れさま。疲れてるときにほんとごめん。あいつらうるさかったよね」
「ううん。一颯くんも学校お疲れさま」
「腹減ってるよね? とりあえず店入ろっか。なに食べたい?」
「なんでもいいよ」
「この実さん、いつもそれだなあ」

 にっこりと微笑んだ一颯くんは、ぶら下げていたわたしの手を握った。さらさらしていて熱い、男の子の手だと思った。
 なに食おうかな、と楽しそうにしている一颯くんを見ていると、後悔の念が何度でも押し寄せてくる。
 お店を探しながら、一か月前のあの日のことを思い出していた。



 九月の半ば、一颯くんを含め学生アルバイトの子たちの送別会が開催された。繁忙期を乗り越えて気が緩んでいたのか、その日飲みすぎてしまったわたしは、介抱してくれていた一颯くんをお持ち帰りして一線を越えてしまったのだった。

 激しい頭痛と共に目が覚めた翌朝、隣に一颯くんが寝ているのを見た瞬間に頭を抱えた。次いで、お互い裸であることとベッドの下に脱ぎ捨てた衣服が散乱していることを確認したときは卒倒してしまいそうだった。どうか夢であってほしかったし、あるいは誰かにぶん殴ってほしかった。
 なにせわたしは二十六歳。一颯くんより八歳も年上なのだ。

 酔った勢いで部屋に男を連れ込んだのは初めてではなかった。わたしは性に奔放なタイプではないが、生真面目なタイプでもない。長らく彼氏がいない時期は、出会ったばかりの男性と一夜限りの関係を持ったこともそれなりにある。

 とはいえ、まさか八歳も下の男の子を連れ込むほどアルコールに理性を奪われるとは思わなかった。それに一颯くんがあと一歳でも若ければ犯罪だったのだ。あれれ、またやっちゃった、では済まない。二度とこんな醜態を晒すべからずと、強く心に誓った。
 まさか付き合うことになるとは夢にも思わずに。

「この実さん、とりあえずビールでいい?」

 一颯くんが決めたお店は、洋楽が静かに流れる落ち着いた雰囲気のダイニングバーだった。
 メニューを見た感じワインの方が合いそうだと思いつつ、「うん」と微笑む。

「一颯くんは?」
「ウーロン茶にしようと思ってたんだけど、ノンアルのカクテルいっぱいあってすげえうまそうだから飲んでみようかな。でも名前見ても全然わかんないや」

 わたしと合流するまでお酒を飲んでいたことは一目瞭然だし、今も飲みたいだろう。だからといってさすがにお店で飲ませるわけにはいかない。自らアルコールを控えてくれたことにほっとする。
 まあノンアルならセーフだろう。

「じゃあわたしもノンアルのカクテルにするから、一緒に選ぼうよ」
「いいの? この実さん酒好きでしょ?」
「いいよ。今日は休肝日」

 一重の丸い目が細くなる。わたしも自然と頬が緩んだ。
 無理をしていることがひしひしと伝わってくる。平静を装っていてもどこかそわそわしているし、カクテルの名前だってそれほど珍しいものではない。普段は大衆居酒屋にでも行っているのだろう。わたしも学生の頃は少し騒がしい店の方が落ち着いたし楽しめた。

 首をひねりながらカクテルを選ぶ一颯くんをそっと観察する。
 緩くパーマがかかった明るい色のマッシュヘアも、その隙間から覗くピアスも、流行を取り入れつつそれでいて個性的な服装もよく似合っている。無難なオフィスカジュアルに身を包んでいるわたしとは、ひどくアンバランスだ。
 ふいに、さっきわたしを見据えていた彼女の顔が浮かぶ。

 一颯くんと彼女が並んでいる姿を想像しても、なんら不自然ではなかった。