マンションのエントランスを出たとき、誰かと肩がぶつかった。両手に抱えていたノートが床に落ちる。

「すみません! 大丈夫ですか!?」
「大丈夫です。あたしこそすみません」

 転んだあたしに手を差し伸べてくれた女の人には見覚えがあった。たしかあたしよりも少しあとくらいに、このマンションの三階へ越してきたはず。話したことはないし名前も知らないけど、何度かエレベーターで一緒になったことがある。見たところ、あたしより少し年上くらいだろうか。
 床に散らばっているノートと紙片を、彼女は血の気が引いた顔で見つめる。

「これ……もしかして、今の衝撃で……」
「違います。もともと破れてたんです」
「び、びっくりした……。あ、拾うの手伝いますね」
「大丈夫です。自分で拾うので」
「ばらけちゃったのはわたしのせいでもあるのに、さすがに見て見ぬふりはできません」

 彼女は言いながらしゃがんで紙片を拾い集めた。ありがとうございます、と呟いて、あたしもしゃがむ。
 なんとか拾い終えて、それを挟むためノートを広げると、

「これ、あなたが描いたんですか?」

 彼女は、一枚だけ破られずに済んだらしい、ノートに残ったままのピアスの絵を見て言った。

「もしかして、デザイナーさんですか?」
「あ、いや、あの、全然、あたしまだ見習いで……っていうか見習い以下で、これはただの練習っていうか……」
「可愛い」
「え?」
「すごく可愛いです。こういうデザインのピアスほしいなって思ってたのとドンピシャで、今ちょっとびっくりしちゃいました」

 彼女の目はキラキラしていて、ただのお世辞じゃないことが伝わってくる。

「あ……嬉しい、です」
「発売したら絶対に買います。楽しみにしてるので、頑張ってください」

 じわ、と、目の前の彼女の顔が歪んだ。慌ててぎゅっと目を瞑り、込み上げてくる嗚咽を呑み込む。
 日付が変わっているから、あたしはもうデザイン部の人間なのだ。つまり、浜辺さんの部下。
 だから泣かない。というか泣けない。
 次に泣くのは、自分のデザイン案が採用されたときだ。

「ありがとうございます。絶対、絶対、頑張ります」

 あたしは空っぽなんかじゃない。
 誇れるなにかが、輝ける場所が、きっとある。
 もう一度だけ、そう信じてみてもいいだろうか?