その日定時で仕事を終えると、秋山さんは初めて夜ご飯に誘ってくれた。あんな奴のご飯は作ってやらん!とのことだ。

「もー。気を付けてねって言ったのに」

 呆れたように笑いながらビールに口をつける。
 あれはこういう意味だったんだ。

「あたし、すっごい勘違いしてました……」
「勘違い?」
「笑われるかもしれないですけど、浜辺さんがあたしのこと狙ってるとか、そういう意味だと思ってて」
「ああ、ごめんごめん、変な言い方しちゃったね」
「いえ、あたしが勝手に勘違いしてただけです。結婚してること全然知らなくて。だって、名字違いますよね? それに指輪もつけてないし……」

 注文していたシーザーサラダが運ばれてきた。あたしがトングに手を伸ばすと、秋山さんは「いいよ」と微笑んで手際よく取り分け始める。

「夫婦別性ってやつ。今さら違う名字で呼ばれるのも変な感じだし、みんなも呼びにくいでしょ。私はずっと働いてたいし、まあいっかって感じで。指輪はあるけど、仕事中は邪魔になるからつけてないの」

 サラダを盛ったお皿をあたしに差し出した。緑と赤と黄色がバランスよく盛り付けられている。
 きっと秋山さんは家でもこういう感じなのだろう。浜辺さんの味方をするつもりはさらさらないけど、絶対に味方なんかしてやらないけど、優しくて面倒見がいい秋山さんに甘えてしまうのもわからなくはないかもしれない。

「あれ、もしかして私、すっごい嫌な感じだった? 航大に片想いしてて、美波ちゃんに嫉妬してマウント取ってるみたいな。それとも、もしかして航大のこと気に入っちゃった?」
「ないです。それは絶対ないです。むしろ秋山さんは浜辺さんのどこがいいんだろうって思ってました!」
「そう言われると妻としてどこか複雑な気持ちになるけど」
「す、すみません……。あと、秋山さんがあんな風に怒ったりするの初めて見たからびっくりしました」
「あー……はは。お恥ずかしいところをお見せしちゃって。航大とは同期だし友達期間も長かったせいか、どうしてもああいう感じになっちゃうんだよね。あいつ昔からあんな感じで、仕事上では宿敵だったし」

 秋山さんは「会社で夫婦喧嘩してごめんね」と笑って、ビールを豪快に飲んだ。あたしもソフトドリンクに口をつけながら、ふと二十歳になったら秋山さんとお酒を飲みたいと思った。
 部署は離れてしまうけど、もっともっといろんな話をしたい。
 秋山さんみたいに、しっかりと自立した芯の強い女性になりたい。

「航大ってさ」

 秋山さんは残り少なくなったグラスを置いて、ふわりと微笑む。

「仕事のスイッチ入ったらあの通り横暴になるし無茶ぶりも多いかもしれないけど、仕事に対しては真摯だし、本気でデザインがしたいなら美波ちゃんにとって絶対にいい経験になるよ。私が保証する」

 ぐっと込み上げてくる涙をこらえながら、秋山さんを見つめた。

「美波ちゃんがデザインしたアクセサリー、楽しみにしてる。頑張ってね」

 なにもなかったあたしを見つけてくれた人がいる。応援してくれる人がいる。
 空っぽだった心に、あたたかい光が射した。