べつに添加物が気にならないあたしは、会社の廊下の椅子に座り、コンビニで買ったおにぎりとスープを食べていた。昼休憩はみんなフロア内や休憩所で過ごすか外食をすることが多いから、廊下とはいえ人が通らないし静かだ。あたしにとっての穴場スポット。
 食べ終えたあともその場から動くことなく、昨日貼り替えられたばかりのポスターを眺めながら、仕事用のメモ帳とは違うノートと睨めっこしていた。

「その怪我どうしたの?」

 頭上から声がして、慌ててノートを閉じた。
 声と気配ですぐにわかったけど、そこには浜辺さんが立っていた。

「昨日ご飯作ってるときに包丁で切っちゃって」
「昨日って、だいぶ遅い時間まで残業してただろ? あんな時間から飯作ったの?」

 なんで知ってるんだろう?
 総務部とデザイン部のフロアは離れているし、デザイン部の方がエレベーターに近いから総務部の前を通ることはない。というか、中を覗いたりしなければ誰がいつまで残業していたかなんて知っているはずがない。
 ちょっと怖いんですけど。

「彼氏と同棲してて、ご飯はあたしの担当なんです」
「へー、すごいね。外食とかコンビニ弁当とかじゃないんだ」

 さりげなく彼氏がいるアピールをしてみても、浜辺さんは特に反応がない。
 狙われているわけじゃないらしいことにほっとする。とはいえ、浜辺さんと話しているところを秋山さんに見られたくない。早く去ってくれと祈りながら、目を合わせないよう目線を下げる。

「で、大丈夫?」
「え? ああ、大丈夫です。利き手じゃないし、仕事に支障は……」
「そうじゃなくて。こんなでかい絆創膏貼ってるってことは、けっこう切れちゃったんだろ。あかりに言って病院行った方がいいんじゃない?」

〝あかり〟は秋山さんの下の名前だ。秋山さんも〝航大〟と呼んでいたし、予想以上に仲がいいのかもしれない。

「ちょっと切れちゃっただけだし、病院行くほどじゃないですよ」
「ならいいけど、痛み引かなかったり違和感あったりしたら行った方がいいよ。無理すんなよ」

 そう言って浜辺さんは去っていった。

「……あれ?」

 誰もいなくなった廊下で思わずひとりごちる。浜辺さんが残していったいくつかの言葉が妙に引っかかった。
 ──大丈夫?
 ──病院行った方がいいんじゃない?
 ──無理すんなよ。
 昨日怪我をしたあと。いや、付き合ってからこの半年間。
 飛鷹は一回でも、そういう言葉をかけてくれたことがあったっけ?



 地獄の月末を乗り越えて落ち着いてきた初秋の昼休憩、久しぶりに秋山さんと外でランチをした。
 指の傷は無事に治ってきていて、もう絆創膏を貼らなくても大丈夫になった。だけど跡はくっきりと残っているし、想像以上に傷口が深かったらしく違和感も残っている。一度負ってしまった傷は、そう簡単に完治してくれないみたいだ。
 浜辺さんに言われた通り病院へ行こうか悩んだけど、今さら行っても無意味だと思ったからやめた。

「すっごい嫌な予感がするんだよね」

 ランチセットを食べ終えた秋山さんが、食後のアイスコーヒーをひと口飲んでから言った。

「なにがですか?」
「航大」

 その名前だけで、秋山さんが言わんとしていることはなんとなくわかった。
 秋山さんの好きな人なら、必要以上に関わりたくない。そう思っているのに、浜辺さんはやたらとあたしに絡んでくる。剥き出しにしている警戒心も分厚い壁ももろともせずに。
 あたしは秋山さんに誤解されたらどうしよう、最悪嫌われてしまったらどうしようと気が気じゃないのに。

「あいつ、我儘っていうか頑固っていうかなんていうか。自分がほしいと思ったら絶対に手に入れなきゃ気が済まない質なんだよね……」

 とんでもない人だ。秋山さんはそんな人のどこがいいんだろう。……あたしも人のこと言えないけど。
 秋山さんはコーヒーをもうひと口飲んで、なにやら複雑そうな表情であたしを見据えた。

「気を付けてね、美波ちゃん」