「美波ちゃん、大丈夫?」

 今日も今日とて超絶寝不足のあたしは、秋山さんに心配されていた。

「あ、はい、大丈夫です。ほんとすみません。今日もちょっと寝不足で」

 秋山さんは訝しげに眉をひそめた。

「体調悪いなら正直に言っていいんだよ。体壊したら元も子もないんだから」
「本当に大丈夫です。心配かけてすみません」
「眠いならこれあげるよ」

 秋山さんの後ろから誰かの手が伸びてきて、その手にはブラックの缶コーヒーが握られていた。あたしも秋山さんも、驚いて後ろを向く。

航大(こうだい)。なにしに来たの?」
「ちょっとお願いしたいことあって。これ差し入れに持ってきたんだけど、あげちゃっていいよね?」
「いいけど……って、差し入れじゃなくてただの賄賂でしょ。どうせまた面倒な仕事押し付けようとしてるだけのくせに」
「まあまあ、そう言わないでよ」

 秋山さんと親しげに話しているこの人は、デザイン部の浜辺(はまべ)さんだ。あたしは接点がなく話したことはないけど、デザイン部のエースな上に見てくれもいい彼を社内で知らない人はいない。

「新人さん?」
「美波ちゃんっていうの。美人でしょ」

 秋山さんがあたしの肩に手を置く。あたしは首にかけている社員証を浜辺さんに見せて、「よろしくお願いします」と頭を下げた。浜辺さんは「へー」と言いながら、あたしを下から上まで舐め回すように見た。

「俺と結婚したら浜辺美波になるね」

 秋山さんは手に持っていた分厚い書類を丸めて浜辺さんの頭を殴った。しかもけっこう強めに。

「いってえ! 冗談じゃん!」
「あんたが言うと冗談に聞こえない」
「だからって殴らなくても……。てか、美波ちゃんセンスいいね」

 服装のことだろうか。
 この会社は私服だ。お洒落は好きだから褒めてもらえたことは嬉しいものの、まるで品定めをするような目つきはいやらしいし、目を針のように尖らせて浜辺さんを睨みつけている秋山さんの前では素直に喜べない。

 あたしが苦笑いしていると、秋山さんはあたしに「邪魔してごめんね」と言って浜辺さんの腕を引き、自席へ戻っていった。



「ごめんね、あいつ馴れ馴れしくて」

 数分後に再びあたしのところへ来た秋山さんの手には、しっかりと書類が増えている。結局仕事を押し付けられたらしい。

「いえ。仲いいんですね」
「あはは、まあね」

 ほとんど勘だけど、さっきの様子を見る限り、秋山さんって浜辺さんのこと好きなんじゃないだろうか。まさか彼女の前で他の女にあんなことは言わないだろうし、秋山さんの片想いなのかもしれない。
 だとしたら、浜辺さんはとてつもなく鈍感で無神経だ。それに危うくあたしまで巻き添えを食うところだった。

 秋山さんは入社八年目のベテランでリーダー的存在であり、あたしを含め新人の教育係も担っている。業務はもちろん社会人のイロハまで全て教えてもらっているし、たまにランチに誘ってくれたりもするし、勘違いでなければ入社当初からあたしのことを可愛がってくれていた。変な誤解を招いて秋山さんとの仲をこじらせたくない。
 つまり、あたしの中で浜辺さんは要注意人物になったわけだ。

「また変なこと言ってきたらすぐ私に言ってね。ぶん殴っとくから」
「ありがとうございます。あたしでもできる仕事なら手伝うので、なんでも言ってください」

 秋山さんが持っている書類を指さして言うと、秋山さんは「ありがとう」と微笑んだ。

 ちょっと話しかけられただけで必要以上に警戒してしまうのは理由がある。
 際立った特技なんてないあたしにも取り柄はあって、外見だけはいい。美人だと言われてきたし、背が高く手足も長いからか『モデルみたいだね』ともよく言われた。

 男の子にもモテる方だった。そのせいか、好意があるわけでもない男の子とちょっと話しているだけで、その男の子に恋をしているらしい女の子だったり彼女だったりに誤解されて顰蹙を買った経験も一度や二度じゃない。

 お世話になっている秋山さんとは、そういう風になりたくない。
 秋山さんはあたしに彼氏がいることも、同棲中であることも知っている。浮気撲滅希望だと熱弁したこともあるし、あたしさえ変な行動を起こさなければ誤解されずに済むはずだ。