けっこう大恋愛だと思っていた。
 この人しかいないと、運命の相手に巡り会えたのだと本気で思っていた。
 幸せでいっぱいの恋になると信じていた。
 なのに、いつからこうなっちゃったんだろう。



 今から三年前、忘れもしない八月一日。私は彼に出会った。

 中三の夏休み。仮にも受験生だというのに、私はろくに勉強もせず同じ中学の友達と遊んでばかりいた。今日は小学校からの親友である凪紗(なぎさ)に誘われて、海で花火をする予定だった。

「おーい! こっちこっち!」

 自転車を降りて海岸へ向かうと、(みなと)くんが大きく手を振った。他に男の子が五人いる。私たちは四人だから、ちょうど十人だ。
 湊くんは凪紗の彼氏。私たち三人は小学校が同じで、卒業式の日に湊くんが凪紗に告白をして付き合い始めた。中学は離れてしまったけれど、ずっと変わらずに仲よしだ。初恋すら未経験の私とは大違い。

 挨拶と自己紹介もそこそこに、みんな「花火だー!」と叫びながら、雑然と並べられている大量の手持ち花火に手を伸ばしていく。みんなの後ろで選び終わるのを待っていると、

「やらないの?」

 視界の端に誰かの足が映り込んだ。目線を上げて相手を確認する。
 チビの私よりも十センチくらい背が高い彼は、首を傾げて私の顔を覗き込んだ。
 間違いなく初対面ではあるものの、彼のことは知っていた。

「ヒロくん、だよね?」
「え? なんで俺の名前知ってんの?」
「だって有名人だし」
「まじか。照れるな」

 全然照れていない彼を見て、こんな風に、初対面の相手にも名前を知られているのは慣れているのだろうと思った。お世辞にも広いと言えないこの田舎町では、たとえべつの学校だろうと目立っている人の顔や名前はなんとなく把握している。

 ヒロくんは、イケメンで有名だった。間近で見たのは初めてだけれど、確かに噂通りのイケメンだし、笑った顔が人懐っこくて可愛い。

「ヒロでいいよ。てか名前は?」
夏帆(かほ)。私も呼び捨てでいいよ」
「おっけー、カホな」

 ヒロくん改めヒロは、花火を持つことなく砂浜に座った。なぜか私もつられて隣にしゃがむ。

「カホってどういう字?」

 人差し指で砂浜に〝夏帆〟と書く。すっかり日が暮れているのに、砂にはまだじんわりと熱が残っていた。

「夏生まれだ」
「うん。そのまんまだよね」
「いいじゃん。可愛い名前。それに俺もそのまんまだよ」

 言いながら、ヒロも人差し指で砂浜に〝夏洋(なつひろ)〟と書いた。
 ふたりの名前が砂浜に刻まれた。

「なつ……ひろ?」
「そう」
「夏生まれだ」
「そう。一緒だな」
「誕生日いつ?」
「今日」
「えっ? 私もだよ! 八月一日!」
「まじか! 同じ誕生日の奴、初めて会ったかも。なんか嬉しいなー」

 屈託のない笑顔は素直に可愛いし、なにより話しやすい人だ。こりゃモテるだろう。私自身、今かなりドキッとした。いや、話しかけられた瞬間からずっとドキドキしている。

 それからヒロは、自分のことを話してくれた。
 湊くんとは中学に入ってすぐ意気投合し、毎日のように遊んでいること。勉強は嫌いだけど、学校は好きだからサボらずに通っていること。運動は大好きだけど、遊んでいる方が楽しいから部活には入っていなかったこと。

「俺らやばくね? 中三の夏休みに海で花火って。みんな今頃死に物狂いで勉強してるんだろうなー」
「私も思ってた。高校どこ行くの?」
下沢高(しもざわこう)
「あ、同じだ。凪紗と湊くんもだよね」
「夏帆はなにコース?」
「普通コース行くつもり。ヒロは?」
「専門コース」
「もしかして、普通コースより通常授業少ないから?」
「ばれたか」

 名前が似ていて、誕生日が同じ。たったそれだけなのに、勝手に運命を感じてしまう。ヒロと出会えた今日は、私にとって大切な日になった。
 砂浜に書いたふたりの名前は、帰る頃には波に呑まれてまっさらになっていた。



 それから私たちは、中学最後の夏休みを満喫するべく遊び呆けた。
 ヒロは帰る時間が遅くなると、遠回りになっても私を家まで送り届けてくれた。

 等間隔に並んでいる外灯に照らされた、なにもない田舎道をただ並んで歩いた日。自転車でふたり乗りをした日。ひとつの傘にふたりで入った日。ヒロの右肩がびしょ濡れになっているのを見たときには、もうどうしようもないくらい好きになっていた。

 学校が違う私たちは、夏休みが終わると今みたいに会えなくなってしまう。
 勇気を振り絞って告白しようか悩んでいた矢先、

「夏帆、ヒロくんのこと好きになったの?」

 凪紗とふたりきりで遊んでいたとき、凪紗が窺うように切り出した。
 うん、と即答できなかったのは、凪紗の表情が険しかったからだ。
 もしかして、応援してもらえないのだろうか。

「ごめん。こういうこと言いたくないんだけど。ヒロくんは……あんまりおすすめしない」

 ショックを受けて黙りこくっている私に、凪紗は続けた。

「ヒロくん、彼女いるよ」

 心臓が握り潰されたみたいに痛くなって、頭をぶん殴られたみたいに視界が揺れた。
 放心状態になってしまった私は、そっか、としか返せなかった。

 ──ヒロくんは……あんまりおすすめしない。

 このとき凪紗が言った言葉の本当の意味を、私はずっとあとになって知ることになる。