あの日から数年が経ち、私は14歳となった。

 私は相変わらず、この部屋で引き篭もっている。
 今だに自分が王都と呼ばれるらしいが、どんな場所にいるかすらわかってない。まぁ、知る必要もないだろう。二度と外には出ないのだから。

 食事以外、生活にかかわることの全てが、魔法によって一人できる私はこの部屋から出る必要がない。
 嫌な夢をみた時に感情が制御できず、あの時のように魔法が意図しない形で暴発するが大した問題は起こらない。だから、ここは都合がいいんだ。

 誰もこの部屋には入らないのだから、もう誰かを傷つける心配はない。
 
 朝、決まった時間に起きる
 一日に一回、放り込まれたパンをかじる。
 それ以外の時間は部屋の隅で膝を抱えて過ごす。
 お風呂に入って、怯えながら寝る。
 
 そして、過去の夢をみる。

 私が犯してきた過ちを忘れられないように、毎日、同じ夢をみる。
 そして、後悔と懺悔で限界を迎えた時、私は起きる。
 感情をギリギリのところで制御して、魔法を抑え込んだら体を起こす。
 ただそれの繰り返し。
 ここにきた当初は何もできなかったが、今は最低限の生活は送っている。送ってしまえているのだ。
 暗い部屋で膝を抱えて考えることは、ここ数年は毎日同じ。
 どうやったら消えられるのかだった。
 異物であり、不良品の私がこの世界に存在していていいわけがない。

 私は死にたかった。
 消えたかった。
 なくなってしまいたかった。
 でも、できない。

 ――私は三回目が怖かった。

 この記憶を持ったまま、また新しい人生を与えられるかもしれない。そのことが何よりも恐ろしかった。
 また同じことをしてしまうかもしれない。
 私の存在するだけで人を不幸にしてしまうから。
 なら、今の方がマシじゃないのか。
 ここにいれば、私は傷つかない。
 この期に及んで、また自分が傷つくことんじゃないか。
 そのことが一番恐ろしかった。

 人のことを考えるフリをして、自分のことばかり考えている。
 
 今までの人生を振り返れば、私は人に大切を貰ってばっかりだった。気にかけてくれて、必要としてくれて、愛してくれて。
 その全てを例外なく振り払ってしまった。
 今世では、大切な人の先を奪ってしまった。
 気づいた時に残るのは、取り返しがつかない後悔だけ。

 一回目の家族は、こんなゴミでも見捨てなかった。
 大切な親友は、こんな私を救おうとしてくれた。
 二回目の家族や関わってきた優しい人達は、こんな化物である私を受け入れてくれた。

 その人達に私はなにをした?
 なにかを返してきたのか?
 あれだけ特別な才能がありながら、何も、できなかった。
 それだけでなく、一方的に奪ったんだ。
 
 心配をかけるだけかけて、親孝行の一つもできずに自ら死を選んだ。
 救おうとしてくれた相手を傷つけた。
 特別に溺れて、取り返しのつかないことをした。
 多くを与えてくれた人達に、何も返せないどころか恩を仇で返した。
 終わらない後悔が心を満たして、一日が終わる。

「……今日も、死ねなかった」

 誰も聞いてない、誰にも聞こえてないのに、ポーズだけは欠かさない。怖くて、震えているくせに。そんなことできないのに。
 醜くて卑しい。そんな私が心底嫌いで憎い。




 ◇




 悪夢をみて目覚める。
 また一日が始まる。何もない死を待つだけの日々。
 でも、今日はいつもの日ではなかった。
 足音と物音が凄い。誰かの喋り声がする。
 それは、だんだんとこの部屋に近づいてくる。
 ここに誰かがくる。
 恐ろしくて逃げ出したい。
 ドアをノックされ、心臓が跳ね上がる。
 刻印が輝き、感情を制御できなくなる。
 だから、開けないで。私は扉へと手を伸ばす。

 そうしようと思った時には、扉は開いていた。

「はじめまして、かな? ハル」

 そう言って、女の人が部屋に入ってくる。
 
「あっ。いけない、いけない。礼儀は大切ですものね」

 違和感しかない喋り方をする不思議な女の人で、私よりも歳は少しだけ上だと思う。
 
「私は王位継承権を保有している、アキと申します」

 扉の先の光しかない暗い部屋でもわかる。とても、綺麗だと思った。
 短く切られた橙色の髪、青い瞳と美しい容姿。そして、身に纏うのは純白のドレス。強い意志を感じる目に、私の視線は吸い込まれる。
 そんな彼女は、私に告げるのだ。
 
「私は王国に貢献し、功績を立て、褒美を与えられました。そして、王にこの屋敷と屋敷にある全てを要求し、ありがたく頂戴いたしました」
 
 まるで意味がわからない。
 
「だから、ハルも私のモノになります」
 
 驚きで言葉がでない。
 
「今後とも、末永くよろしくお願いいたします」

 彼女は笑顔で、そう告げる。
 
「私にハルの力を貸してください」

 何を言ってるのか、意味がわからない。
 お人形のような美しい笑顔と優しい声。
 物語のお姫様のような女の子が私をほしい?
 
「ここは暗いですね……」

 彼女は少しだけ、顔を顰める。
 そして、私に近づいてくる。
 
「これからについて説明したいことが――」
 
 その瞬間、今まで堪えていたものが爆発する。

「やめて!」
 
 これまで生きてきて、一番の大きな声だったと思う。
 
「私に近づかないで……!」

 反射的に叫んで、喚いてしまう。
 あの時と同じだ。感情が制御できない。
 刻印が光り、私の周りに風が吹き上がる。
 あの焼きついた光景が蘇る。
 きっと、この子を殺してしまう。

「や、やめて……」
 
 無理矢理、押さえ込む。
 うまくいかない。怖い、怖い、怖い。
 
「ダメ……。ダメだから。もうこれ以上は、ダメ……」

 肩で息をして、涙で視界が滅茶苦茶になる。
 でも、暴走しそうになる感情を抑えこむ。
 ギリギリのところでなんとか落ち着かせた。私は彼女の顔をみてしまう。
 彼女は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
 きっと、こんな醜い化物の私を憐んでいるのだろう。
 この子はなんて優しいんだろう。

「近づいちゃダメ……」
「大丈夫ですよ」
 
 彼女は笑顔で私に近づこうとする。

「話をきいてくだ――」
「ダメ! 嫌……、 嫌なの!」

 泣いて、喚いて、叫んで。これ以上は耐えられない。

「落ち着い――」
「嫌! 嫌だ……!」

 何かを伝えようとするが、それを遮る。
 駄々をこねくり回す子供のように首を振り、必死に抵抗する。
 そうした行動を見てなのか、彼女は急に変わった。

「はぁ……」

 大きなため息を吐く。ビクッと体が震えた。

「めんどくさいな、もういいや……」
「え……?」
「ぐちぐち、うるさい! ハルは私と生きていくって決まったの! 異論も反論も受け付けない……!」

 先程までとは雰囲気も何もかもがうって変わり、幼い子供のように、彼女は叫ぶ。そして一歩一歩、何かを確かめるかのように、私に近づいてくる。
 
「ダメ……、こないで!」

 私は必死に下がろうとするが、じりじりと追い詰められる。後ろには壁があり、これ以上は下がれない。
 暴走した風の魔法が、私たちの間に線を引く。

「私に近づいたらダメ、なの」

 涙と恐怖で視界が揺れる。
 呼吸が浅くなり、うまく喋れない。
 
「……なんで?」

 先程とは別人のようになった彼女は、ゆっくり近づきながら問う。
 
「私は人を不幸にする!」

 もう奪いたくない。

「それで?」

 それを聞いても、彼女は歩みを進める。
 
「わ、私の魔法は人を不幸にしてしまう!」

 一生かけても償えない罪。
 刻印が光り、吹き上がる風が強くなる。

「で?」
「は? いや。えっと、えっと……」
「それだけ?」

 また一歩、一歩と距離が縮む。
 迷わず魔法でできた壁を踏み越える。

「え……?」
「ハル。それだけってかって聞いてるの」

 怒りを含んでいるような声色で凄んでくる。
 そして、私と彼女の距離は、ほぼゼロになる。

「なんで……? 私が怖くないの? これは人を殺せる力だよ! 私はこの手で人を、ママを殺したんだ!」
「大丈夫。ハルに、私は殺せない」

 そう告げた彼女は魔法を超え、そのまま抱きしめられる。その瞬間、私の制御を離れていた風が止む。
 
「やっと、やっとだ……」
「……どうして?」
 
 彼女は私の肩に顔を押し付けて震えている。
 様々なわからない感情が渦巻いて混乱する。

「なんで……?」

 なぜ、魔法が暴走しない?
 なんで、止まっているんだ?
 意識しても、使えない。
 それに、なぜ、彼女は泣くのだろうか。
 全ての意味がわからなくて、唇で空気を食む。
 そして、目に入る光。抱きしめてくる彼女の背中が光っている。

「これが私に与えられた力だよ」
「どういう、こと……?」
「私に触れている人は魔法の力を使えないの。この使い方を知ったとき、きっと、運命なんだって思った」

 そう言って顔をあげる。

「私は、ハルに辛い過去があって、自分がどうしても許せないのを知ってる」

 両手で顔を包み込むように優しく掴まれる。
 視界に彼女の綺麗な顔が広がり、目が逸せない。

「今まで苦しかったよね……」
 
 優しい声に包まれる。
 やめて、そんな言葉をかけてもらえる資格なんてない。
 
「ハルがしてしまったこと、過去に起きてしまったことは、もう二度と変えられない」
「だったら……!」
「……それがハルを苦しめてしまう重荷なら、忘れて、捨てていいんだよ。全部、全部、全部。過去なんて何もかも忘れて……、嫌なことは何も思い出さなくていい。大丈夫。私が許してあげる」

 私は止まった時間の中で言葉を探す。そんなこと赦されてはいけない。でも、見つからないから、次の言葉を待つ。
 彼女は少しだけ目を逸らして、間が開く。そして、私の目を強く見つめる。
 
「いいよ……、全部忘れて。そんな辛い過去は、綺麗な思い出ごと、全て消し去ってしまえばいい」

その目は強く光り輝いていて、私に有無を言わせない。

「もし、ハルが過去と向きあえるようになる日がきたら、その時には、もう一度考えよう……?」

 優しくて甘い彼女の言葉で心が溶けていくようだ。これではいけないって感じているのに、頭がそれを拒否している。
 
「そんな甘くて優しい言葉で、私が赦されていいわけない」

 やっと形になったと言葉は思っていた以上に弱々しくて。喉に力がなくなっていく。細くなって、息が詰まり、うまく次が出てこない。
 
「……考えなくていい。私がハルの全てを肯定して、私がハルを幸せにする」
「でも、――」
「思い出より、次の一歩」
「……え?」
「私はそう決めたから、ハルもそうして。もう、ハルは私のモノなんだよ? 拒否権なんかない」
 
 だめ、だめだから、赦さないで。都合のいい夢で包み込まないで。もっと、私を罵って、貶めてほしい。
 
「ハルに必要なのは次だから。……思い出なんて、辛いことなんて、全部忘れちゃえ」

 心が揺れ、声が上擦る。頭と心が離れていく。心が思ってしまっている。気づけば、もう、止められない。
 だから、そう言ってくれた彼女に、アキに、聞きたい。

「……どうして、そんなに優しいの? 私を知ってるのに、なんで受け入れられるの? こんなに醜い化物なのに」
「ハルは知らなくていい。私がそうしたいから、そう選んだから、私の今がある。それだけはわかっていてほしい……」
「どう、して……?」
「ハルが知らなくてもいいの。私はハルの側にいるだけで救われているから」

 一瞬、間が空いて彼女は言う。
 
「だから、ハルが足りていないモノは、私が全て与えてあげる。それを叶えるために、私の時間があったから」

 彼女から目が離せない。
 
「私と一つ一つ、作っていこう……? ハルが自分を許せるまで、私は隣にいる。それにね。ハルはこんなに可愛いんだよ?」
 
 私の顔を包む彼女の手に頬を撫でられる。
 
「アキ様……」

 私は泣いて縋ろうとする。本当に狡い、醜い女だ。

「様はいらない。アキって呼んで。私はそう呼ばれたい」
「アキ……?」

 アキの名前を呼ぶ。

「なに?」

 アキは笑顔で私に問いかけてくれる。

「……自分を許せる日は、本当にくるかな?」
「くるよ! きっとくる!」
 
 本当に嬉しそうに彼女は言う。
 忘れていた感情が、また溢れてくる。
 
「でも、この場所に閉じこもったままなら、その日はきっと、永遠にこないんだ……」

 彼女の言葉には確かに熱がこもっていて、私の隙間に入り込んでくる。

「だから……!」

 私は何もかもを奪われる。
 それでいい、それがいいんだって、心が叫んでる。

「これから、私といっしょに歩いていこう! 時間を二人で積み重ねていこう! あの日々があったから今があるんだって、いつか、未来のハルが自分を誇れるように!」
 
 これまでの暗くて灰色だった世界に、忘れかけていた色が咲いていく。
 
「ハルを必要だって思ってくれる人は沢山いる!」
 
 自分が怖くて、醜いことがどうしても許せなくて。
 私が私じゃなかったら、今でも、あそこで幸せな時間を過ごせていたのに壊してしまった。私は殺して、しまった。
 
「ハルの時間を、私にください……!」

 そんな私を、救おうとしてくれる手が差し出される。
 忘れかけていた、あの時と確かに重なる。

 ――ねぇ、これからも一緒に歩いていこう?

 大切な親友の言葉と手。
 あの時は振り払ってしまった。ここで手をとらなきゃ何も変わらないって、頭でもわかってる。
 もう、間違えたくない。立ち上がらないといけない。本当の意味で大人にならないと、次なんてあるかわからないから。
 
 「……ぁ」
 
 でも、伸ばそうとした手が止まる。
 手をとるのが怖い。なんでこんなにも私を欲してくれるのか、わからない。
 また間違って、今度はアキを傷つけるかもしれない。三回目は彼女かもしれない。
 そんな迷いをアキは許さない。

「今日はハルにフラれても、何度でもここにくるよ!」
 
 迷って、引こうとした手は強引に掴まれる。
 
「私は傲慢でわがままだから、ハルの全てがほしい!」
 
 お互いの両の指と指が絡み合い、おでこがくっつくくらい近くで見つめられる。きっと、アキからは逃げられない。
 
「だから諦めて、私の手をとって!」

 そして、アキはおどけたように笑う。

「ほら! 私と手を繋いだハルは、ただの可愛い女の子!」

 その時に思ってしまった。
 赦されたいって。今のままは、嫌だって。本当は救って欲しいって。
 そんな人を、アキを、私は求めてた。私の特別を求めていたんだ。

「……でしょ?」
 
 そう言って笑うアキはとても美しくて、優しく光り輝く背中と笑顔が重なり、本物の天使みたいだって思った。

「ほら、いくよ!」
「うん……!」

 アキに手を引かれながら、扉の先にある光へ吸い込まれていく。
 これがハルという、特別だった私の新しい1ページ目。アキとなら間違えない、間違えてもいいって思った。勘違いかもしれない。また、繰り返すのかもしれない。また、誰かを泣かせて、泣いてしまうのかもしれない。
 だけど、もう一回だけ歩きだそうと覚悟を決めた。
 全てを間違い続けてきた弱い私。
 だけど止まっていたら、ダメだと思えたから。
 私がしてきた赦されないこと、その事実と向き合って生きていく。醜くて弱い私は、生きる意味が欲しかったんだ。
 そして、私は救ってくれたアキのために生きると誓う。
 今度こそ本当に。彼女のために、全てを捧げる。
 思い出を置き去りにして、次の一歩を進むと決めたから。そんな出会いをしてしまった。
 
 きっと、これを運命って呼ぶと、そう信じている。