1回目の人生は普通だったと思う。

 ごく普通の家庭に生まれ、両親に愛された幼少期。
 女の子だったからか、父からは溺愛された。
 容姿はアイドル並みに可愛いとはとてもいえないが、整っていると一般的には言えるだろう。
 親友なんて呼べる大切な人もできた。お互い勉強の成績では多少の上下はあったけれど、同じくらいの真ん中。
 私は読書が好きで、彼女は運動が好き。
 そんな少しの違いも心地よかった。
 そこそこの高校とそこそこの大学を親友と一緒に卒業して、別々の会社ではあったが内定を貰い、その時にはじめて道が別れた。

 特筆することの全くない人生。
 何かの才能があったわけでもない。
 特別な使命があったわけでもない。
 でも、幼い頃は特別になりたいとは思っていたと思う。
 何かになりたいっていう夢はあったし、なれるという自信も持っていた。忘れてしまったけれど、その気持ちがあったことだけは覚えている。
 だけど、歳を重ねて周りを見渡した時に、みんなと同じになっている自分に気づいた。いつの間にか、人生の目標は「普通」になることへ変わっていた。
 みんなという実態のないものに擬態して、幸せだって思われてる道を何も考えずに進む。
 私もそうだったように、多くの人が同じだと思う。
 見える世界が広がれば広がるほど、「普通」である自分の行ける道は狭いと知る。
 そして、夢を諦めるのではなく忘れるのだ。諦めた理由は後付けでその場限りのもの。自分を納得させるためについた嘘。

 これからは普通に仕事をして、悲しことがあればいつものように親友と愚痴を言い合って、誰もがするような恋愛をして、そこそこの年齢で結婚をする。子供を産んで育てて、役目を終えたら、大好きな人とずっと一緒にいて、大切な人達に囲まれて幸せに死ぬ。
 そんな「普通」の人生を送るんだろう。それはきっと、幸せなはず。私は漠然とそう考えていた。

 けれど、私はそんな普通の人生で誰にでも起こる、ありきたりな挫折に耐えられなかった。

順調に進んでいたはずの「普通」。でもはじめて、なんてことのない仕事でミスをしてしまった。それは些細なミスだったと思う。でも、私の心には傷がついた。同僚も気にするな、よくある事だ、なんて声をかけてくれて励ましてくれる。

 でも私は、それからもミスをし続けた。
 新入社員なら当たり前だったのかもしれない。
 できていること、役に立ったことも当然あった。
 褒められもしたし、感謝を言葉にしてもらった。
 けれど、失敗はそれ以上にしたと思う。そして、ミスの回数を重ねるごとに減っていく励まし。反比例するように増えていく心の傷。それに私は押し潰されそうだった。
 頼まれていたことをすぐに忘れてしまう。相手の名前を間違えて怒られる。物覚えが悪く、一度聞いたことを何度も確認する。数え出したらキリがない。

 気づけば、心には失敗をしたということだけが残っていた。

 そして、ミスをしないように恐る恐る仕事をしていた私は、それまではできていたことまで、また一つ、また一つとできなくなっていく。
 何度も同じミスを繰り返して呆れられた。
 人よりも時間がかかり、気づけば残業も当たり前になった。明日の仕事にいくことが怖くて眠れなくなった。
 
 日に日に減っていく食事の量。休日は、趣味の読書をすることすらできず、意識がある中、ただ横になるだけ。
 それでも大丈夫と自分に言い聞かせて、誰にも相談せず、全てを自分で抱え込んだまま過ぎていく日々。
 今までだって間違いは侵してきて、それでも大丈夫だったから。無理矢理にでも身体を起こして、会社と家を往復した。

 そしてなんでもない普通の日。
 起き上がって会社に向かおうと、朝にシャワー浴びて、着替えをする。いつも通りの変わらない日常。
 でもその日は少し違った。またミスをする。また迷惑をかけてしまう。怒られて、人に失望される。
 
 ――怖い
 
 ドアノブに手をかけ、家を出ようとした瞬間、強烈な吐き気が私を襲った。
 胃の中を全て吐き出しても止まらない吐き気。
 立っていられないほどの目眩で棚にぶつかる。平衡感覚は失われて、玄関に崩れ落ちた。
 会社に行くことが怖くて怖くてたまらない、全てを投げ出して逃げ出したい。心の悲鳴が確かに聞こえた。
 その時、私は全てを理解した。

 ――あぁ、壊れてしまった。

私の人生は普通であるはずだった。この挫折だって長い人生のほんの一部で、歳を重ねた時に、そんな時もあったねって笑える時期が来るはずと信じてた。
でも、私の心は普通なんかじゃなかった。普通の人より壊れやすく脆い。本当に弱すぎて笑えてくる。
 一度、壊れたら戻らない。ガラクタ以下の不良品。
 それが私の心だった。身体から全てが抜け落ちていく。
 残ったのは心が壊れてしまったという事実。そして、こんなことにすら耐えられない自分への失望だった。
 もしかしたら、誰も怒ってなんていなかったかもしれない。失望なんてしてなかったのかも。だけど、私はこの程度のことで壊れてしまえるような人間だという事実。
 それは私をひたすらに孤独にした。
 
 それからの日々は散々だった。
 月に何度か病院と自宅を往復する。
 それ以外の日は家に引き篭もる。
 涙すら流れなくなって、感情が動かない。
 なにもしない、なにもできない。暗い部屋で横になり、閉じこもる。
 怯えて、震えながら日々を過ごした。

 そんなある日、親友が来てくれた。
 こんな不良品である私を気にかけてくれた。
 きっと、ぎこちなく笑えていたと思う。
 昔の楽しかった話をいっぱいしてくれたから。
 そして、真剣な表情で手を握りながら語りかけてくれる。

 いつまでも側にいるよって言ってくれた。
 立ち止まった私を連れ出そうとしてくれた。
 こんな私を変えようとしてくれた。
 何も持ってない私に手を差し伸べてくれた。

「ねぇ、これからも一緒に歩いていこう?」

 私が1番欲しい言葉を言ってくれた。
 でも、そんな優しさを見た時、心が急に黒く染まった。

「うるさい!」

 私はその手を乱暴に振り払ってしまった。
 それからひたすら、思ってもない言葉を吐き続ける。
 不良品である私の心から溢れ出てしまった醜い言葉の数々は、私達の時間を終わらせるには十分すぎた。
 飛び出していく前に見せた彼女の顔は忘れられない。
 同じだと思ってた親友が、すごく特別に見えた。
 羨ましくて妬んでしまった。
 
 ――あなたは私と同じではなかったの?
 
 そんな醜い、身勝手で彼女を傷つけた。
 私は「普通」ですらない。
 成長できずに大人になれない、ずっと子供のまま。
 大切な人を傷つけて、そのことで自分も傷ついて。
 そんな身勝手でクズで醜い、ゴミ以下の人間だった。
 洗面台の鏡で私の顔をみる。
 
「こいつは、死ぬべきだ」
 
 そう思ってしまったその日に、間違いだらけの人生を終わらせた。
 私は自分で自分を殺しました。
 
どうですか?
 これが不良品である私の、失敗だらけの一回目です。
 こんな人間は消えた方がいい。誰もがそう思ったと信じています。

 だから、これで間違いは終わるはずだったのに……。