「それで、エリーを助けて下さるというのは本当でしょうか?」

 目の前に座る白髪交じりの壮年の男性は、ティアリーゼたちを客間に案内すると真っ先に質問した。

「ええ。まずは状態を見てみないことには何とも言えませんが……話を聞いて助けたいと思い参りました」

 答え、出された紅茶を一口飲む。
 良い茶葉を使っている。

 メラニーの側仕えをしていた娘の実家、フロント商会。
 その商会の王都に構える店に顔を出し、会長を呼んでもらった。
 神官のティアだと名乗り、娘さんを助けたいと告げるとここに通されたのだ。

 正直、神官の衣も纏っていないのに突然助けるなどと言って怪しいだろうと自分でも思う。
 だが、それでも客間に通して良い紅茶まで出すところを見ると、かなりなりふり構わないといったところかもしれない。

「ありがとうございます。ですがその……あなたが神官であるという証明は出来るでしょうか? いくら藁にもすがる思いとはいえ、見ず知らずの方を娘に近付けるわけには……」

 流石に警戒はしているのか、せめて神官であるという証明を見せて欲しいと告げられる。

「ええ、構いませんよ。まずはこちら、神官の衣です。……あとメダルがあればいいのでしょうが、私つい最近神官になったばかりで制作中なのです」

 荷物から神官の衣を出して見せ、メダルをまだもらっていないことを話す。
 神官のメダルは名が刻まれており、偽装防止のため特殊な製法で作られている。
 神官であることの一番の証明になるのだが、昨日神官になったばかりのティアリーゼのメダルはまだ制作中だ。
 どうしましょう、と頬に手を添えて他の方法を考えていると、今まで黙って隣に座っていたストラが口を開いた。

「神官は神に祈りを捧げる者だ。少しこの家のために祈ってやってはどうだ?」
「それもそうですね」

 逆を言えばそれ以外に証明出来るものはない。

「ご主人、この家の祭壇はどこにあるでしょうか?」

 神に祈りを捧げるのは日常的なこと。
 平民で個人の家に祭壇まであることは珍しいが、豪商とも言えるこの家ならばあってもおかしくはない。

「あ、はい。こちらに」

 客間を出て案内された先には、簡素ではあるがちゃんとした祭壇があった。
 ピューラにストラの方へ行ってもらい、ティアリーゼは神官の衣を服の上から羽織る。
 神官の衣は前開きで、前を止めるとコットのような形状になる。
 ドレスの上からは無理だが、平民服のワンピースの上からなら問題なく着ることが出来た。

「では、失礼いたします」

 断りを入れて祭壇の前に跪く。
 祭壇にある小ぶりな神像は五柱の大神以外に水の神の眷属、(あきない)(がみ)ヘンラーのものがあった。
 商人の家らしいセレクトだ。

「ハイリヒテルの偉大なる神々に祈りを捧げます」

 宣言をし、神々に祈りを捧げる。
 今回は神官であるという証明のためなので大げさなものは必要ないだろう。
 この家のために祈るのだからと商神ヘンラーへの祈りに聖霊力を乗せた。

 神官とそうでない者の祈りには明確な違いがある。
 神官の祈りの方が神に届きやすく、神が受け取る聖霊力も多いらしい。
 そのためか、神官の祈りには返礼の祝福があるのだ。

「……おお、祝福が」

 フロント氏の感嘆の声と共に、自身の周囲にキラキラと光が見えた。
 商神ヘンラーからの祝福だ。

 ティアリーゼはストラからのこの祝福が欲しくて神官になりたかったのだ。
 今朝、早速日課であるストラへの祈りをしたとき祝福を受け、幼子のようにはしゃいだのは自分とピューラだけの秘密だ。

 祈りを終え立ち上がると、フロント氏が深く頭を下げた。

「確かに神官様とお見受けした。エリーを診て頂きたい」

***

 上質な天蓋付きのベッドに、彼女は静かに眠っていた。
 ありふれた茶色の髪、確か目の色も茶色だったはずだ。
 安らかに寝息を立てている様は、本当にただ眠っているだけにしか見えない。

「この状態で家に帰されたのが三日前です。その二日前から目が覚めないと聞いているので、五日間眠り続けていることになります」

 フロント氏の説明を聞きながら眠っているエリーに近付いた。

「何でも、お仕えしている令嬢が高位貴族の方から頂いた茶葉に毒が入っていたらしく……毒見を進み出たエリーがこのようなことに……」

 最後の方は声が震えている。
 本当に娘を大事に思っているのだろう。
 父の娘を思う様子に心が温かくなるが、同時に公爵令嬢だと名乗らなくて良かったと安堵する。
 もしかすると、メラニーはその高位貴族としてティアリーゼの名前を出していたかもしれないのだから。

(それにしても、眠り続ける毒……ね)

 その特殊な作用にある一つの毒の名が浮かぶ。

「《エルシュの復讐》かしら?」

 エルシュの復讐とは、神話で語られる毒の一つだ。

 昔々、土の神の眷属・鉱石を司る神エルシュに惚れたモグラがいた。
 だが美しいものを好むエルシュはモグラを気にも留めない。
 思いを遂げたいモグラはイタズラ好きな光の神の眷属・悦楽(えつらく)の神フェアルデの力を借り美男の姿となってエルシュと一夜を共にする。
 朝になり正体が露見したモグラは怒り狂ったエルシュに土に埋められてしまう。

 それでも怒りが収まらないエルシュは、協力者のフェアルデにも復讐をする。
 特殊な毒の花から作った眠り続ける毒を与えたのだ。
 光の神がもうこのようないたずらをさせないからと説得し、エルシュは解毒薬を作りフェアルデを目覚めさせた。

 その神話に出てくる毒の名を《エルシュの復讐》と呼ぶ。
 ただ、人間の世界で扱われているのは効能だけを似せた偽物だが。

 眠り続けているという症状を聞いたときから検討はつけていたが、フロント氏の話を聞く限り毒は《エルシュの復讐》で間違いないだろう。
 本当は解毒薬があればいいのだが、《エルシュの復讐》もその解毒薬も希少なものだ。
 歴史を顧みると王城では幾度か使われている毒だが、一般に出回るようなものではない。
 未だにエリーが目覚めないところを見ても、豪商のフロント商会といえども解毒薬は手に入らなかったのだろう。

 そんな希少な毒をメラニーはどうやって入手したのかと疑問は浮かぶが、今はエリーの治療が先だ。

「《エルシュの復讐》は眠りを誘い、目覚めを阻害する毒。神術で毒を浄化しながら風の神の眷属・芽吹きの女神ワーフへ祈って目覚めさせるのが一番ね」

 治療法を定め、ティアリーゼは一度フロント氏に目を向ける。

「治療を始めようと思います」
「はい、お願いします」

 神妙な顔に頷きで返し、エリーに向き直る前にストラを見る。
 笑みを浮かべるわけでもなく、ただ頷くストラ。
 だが、ティアリーゼにはそれで十分だった。

 ストラが見守ってくれている。
 それだけで初めての治療に対する不安が(ほど)けていった。

 今度こそエリーに向き直り、彼女の安らかな寝顔を見る。
 祈りと神術を同時に行った事は無い。
 上手くできるか少々不安はあるが、その不安もストラが解かしてくれた。

(大丈夫、できるわ)

 自分に言い聞かせ、軽く深呼吸をする。
 そして祈りと術に集中した。

 まずは毒の浄化。
 聖霊力を流し込み、血流の流れを利用して毒素を集め燃やすイメージだ。

 少しづつ慎重に流し込み、毒素を集めていく。

(あとは、燃やしながら祈りを……)

 燃やすイメージを明確にしながら聖霊力を送り込む。
 中々思うように燃えてくれず少し焦ったが、ジリジリと毒素が燃えて消えていく感覚がした。

(……風の神の眷属・芽吹きの女神ワーフよ。かの者に目覚めを)

 心で願い、祈る。
 神術に使っている聖霊力を祈りにも乗せ、二つのことを同時に行った。

 祈りは毎日行っているから問題なさそうだったが、燃やして浄化するのに手間取る。
 貴族は魔術を扱うものだからと言われ、あまり神術を使う機会がなかったことも原因かもしれない。

 それでも集中し、少しずつ燃やしていく。
 かなりの時間が経ったがなんとか毒素を消し去ることが出来た。
 同時に芽吹きの女神ワーフからの返礼である祝福が降り注ぐ。

 祝福は終わりの証。
 治療が完了したとみて聖霊力を流し込むのを止めると、エリーの瞼がゆっくり開いた。

「あ、れ……? 私……?」
「ああ……良かった」

 茶色の目が見え、唇が動く。
 声を聞いたことでちゃんと治療できたと実感すると、途端に力が抜けた。

「あ……」

 足に力が入らなくなり、ガクンとくずおれる。
 だが、完全に座り込んでしまう前に力強い腕がティアリーゼの体を受け止めた。

「大丈夫か?」
「ストラ、様……」

 神に受け止めてもらうなど畏れ多いと思う反面、労わるように抱きとめてくれるストラに胸がキュンとした。

「ティアリーゼ、様?……っ!」

 目覚めたばかりでぼんやりしていたエリーだったが、ティアリーゼの姿を見た途端驚愕の表情になる。
 体を起こそうとしてうまく行かなかったのか、肘をつき上半身だけ僅かに上げた体勢で声を上げた。

「ティアリーゼ様! 申し訳ありません!」
「エリー? どうしたんだいきなり。ティアリーゼ様とは……」

 フロント氏が娘に近付き支える。
 その表情には戸惑いが溢れていた。

「父さん? どうして……いえ、まずは謝罪を!」

 状況が分からないながらも謝罪をしようとするエリーだったが、正直ティアリーゼには対応出来る余裕がない。
 慣れない治療をしたせいだろうか。
 体に力が入らず、頭痛までしてきた。

「ティアリーゼ様! 私、あなたを貶める手助けをしてしまいました。ですが本意ではないのです!」
「待て」

 必死に伝えようとしてくるエリーをストラが片手を上げて制止する。

「ティアリーゼは慣れない治療で疲弊している。休ませてくれ。……そちらも状況を把握する時間が必要だろう?」

 淡々としたストラの言葉に、フロント氏が一先ず落ち着きを取り戻した。

「そうですね。客間に案内させます」

 ベルを鳴らし人を呼んだフロント氏は、ティアリーゼに向き直る。
 そして深々と頭を下げた。

「娘を治療してくださり、ありがとうございました」
「いえ……目覚めて良かったです」

 このまま話をして協力を取り付けるつもりだったが、どんどん強くなる頭痛にそれもままならない。
 ストラの言う通り休息が必要だった。

 何とか笑みを浮かべて応えると、ストラがティアリーゼの体を抱き直す。
 耳元に唇を寄せ、囁いた。

「今は何も考えず休め。……よく、頑張ったな」
「ストラ様……」

 いたわりの言葉に胸が温かくなる。
 ストラに褒められたことが、他の誰に言われるよりも嬉しい。

 頭が痛くて意識も朦朧とする中、ティアリーゼは喜びを胸に意識を手放した。