気付くと、ティアリーゼは少し前に落ちたばかりの湖畔にいた。

 落とされた場所ではなく、反対側の人の手が入っていない場所だ。
 森が広がり、爽やかな風がティアリーゼの緩やかに波打った金髪を揺らす。
 その風で波打つ湖面は、高くなった陽の光を受けてキラキラ輝いていた。

 のどかとも言える景色に、今までのことは全て夢だったのではないだろうかと思ってしまう。

「ピュイ?」

 だが、手の平に乗る赤い小鳥が夢ではないことを物語っていた。
 自分は確かに無実の罪を着せられ湖に沈み、そして焦がれ続けていた推しの神に会うことが出来たのだ。

(しかも、妻としてならばお側に行くことを許してくださった……)

 現実を思うと気落ちしそうになるが、ストラに聖女を目指せと方針を示してもらった。
 となれば落ち込んでいる暇など無い。

 聖女として神籍に加わるためには様々な功績が必要だ。
 だが、今の自分はその功績を上げるための準備すら出来ていない。

「……まずは神官になって、あと冤罪はちゃんと晴らしておかなければね」

 言葉にして、やるべきことを明確にする。
 冤罪を晴らすことは少し手間だが出来なくはない。
 むしろその後また政略の道具にされないため、先に神官になっておくべきだろう。

「そうと決まれば神殿へ向かいましょうか」
「ピュイ!」

 ティアリーゼは透き通った空色の瞳を小鳥に向け微笑む。
 すると小鳥は返事をするように鳴き、翼を羽ばたかせ飛んだ。
 嬉しそうに「ピピピ」と鳴きながら頭上を旋回している可愛い小鳥に、ティアリーゼも楽しくなってくる。

「そうだわ、あなたに名前を付けなければね」

 元々の名前があるのかもしれないが、聞きそびれてしまった。
 常に近くにいてくれそうなこの小鳥を呼ぶ名がないのは不便だろう。

「そうね……鳴き声がピュイ、だし、ストラ様からお預かりした小鳥だから……ピューラはどうかしら?」

 見上げて呼び掛けると、「ピュイ! ピュイ!」と嬉し気に歌う小鳥。
 どうやら気に入ってくれたらしい。

「では行きましょうか」

 小鳥――ピューラの愛らしさになごみながら、ティアリーゼは歩き出した。


 神官には神殿で洗礼を受けなければならない。
 どんな小さな神殿でも洗礼を受けることは出来るため、ティアリーゼは現在地から一番近い神殿を目指した。

 人と神が近い世界ゆえ、神殿はいたるところに建てられている。
 小さなものを含めると、この王都だけで百は軽く超えるだろう。

 確かこの森を抜けた先にも小さな神殿が一つあったはずだ。
 現在地の正確な位置が分からないので少し不安だったが、ピューラは場所が分かる様で先導するように前を飛ぶ。
 早速役に立ってくれている。

 ピューラの愛らしさと心強さになごみ、そんな小鳥を預けてくれたストラに感謝する。

 王太子の婚約者と定まってからは完璧を求められる日々。
 頑張って完璧な令嬢となると、今度はあなたに出来ないはずがないと色んな無茶ぶりをされるようになった。
 まあ、無茶ぶりでもことごとくこなしてしまった自分にも原因はあるのだろうが。

(でも仕方ないじゃない。出来なければ怒られて次期国母なのにって落胆されるだけなのだもの)

 それならば流石だと褒められる方がまだマシだった。

「ピピピ?」

 思い返して気持ちが沈んでしまったからだろか。
 歩みが遅くなったティアリーゼの周りをピューラが纏わりつくようにくるくる飛ぶ。

「あ、ごめんなさい。急がないと日が暮れてしまうわね」

 気を取り直し、ピューラの愛らしさにまたほっこりしながら森を抜けた。

***

「さぁ、こちらへ」

 神殿についたティアリーゼは優しげな神殿長に奥の祭壇へと案内された。
 こぢんまりとした神殿はすぐに祭壇にたどり着く。
 祭壇には五柱の大神が横並びに祭られていた。

「でも本当によろしいのですか? 貴族のご令嬢の様ですし、先ほどの審査でもかなりの魔力をお持ちの様でしたが……」

 洗礼の準備をしながら神殿長は不思議そうに聞いてくる。

 人間には魔力と聖霊力が備わっている。
 魔力は世の理から外れた魔術を行う力で、聖霊力は自然の力を操る神術を行う力だ。
 違いを理解していないものはどちらも魔法だなどと言うが、原理が全く違う。

 例えば髪の色を変える場合、魔術は髪そのものの色を変える。だが神術は光の屈折を利用して違う色に見えるようにするのだ。

 神殿に着き洗礼希望の旨を伝えてすぐに行われた審査は、国に登録されている魔力を調べ犯罪歴などがないか調べるためのもの。
 魔力量も分かるため、ティアリーゼの魔力が多いことは知られている。

「御心配には及びませんわ。私、聖霊力も多いのです」

 神事には神術を使うため、魔力より聖霊力を重視しているのだろう。

 魔力を重視している貴族が神官になることは少ないため、疑問に思ったのかもしれない。
 明らかに貴族と分かる出立ちなのに、供一人ついていないことも不審を抱かせる原因になっているのだろう。

「そうですか。まあ、神殿は信徒を拒むことは致しません。ただ、神官になるには一定以上の聖霊力が必要ですよ?」

 準備を終えてティアリーゼに向き直った神殿長が心配そうに聞いて来る。
 神官になれなかったら怒り出すとでも思われたのだろうか。
 ティアリーゼは困り笑顔で「大丈夫です」とだけ答えた。

「では、祭壇に祈りを」

 促され、祭壇の前へと進む。
 膝を折り、手を組むと軽く目を伏せ祈りを捧げた。

「ハイリヒテルの偉大なる神々に祈りを捧げます」

 祈りを捧げるという宣言をし、自分の推し神に祈る。
 その祈りに聖霊力を乗せるのだ。

 だが、今は洗礼の儀式。
 五柱の大神に聖霊力を捧げ、神官となるに相応しい聖霊力量があることを示さなくてはならない。

 ここで聖霊力が足りないと神官にはなれないのだ。

 ティアリーゼは一柱(ひとり)一柱(ひとり)御名(みな)を心の中で唱えながら、今までストラにばかり捧げていた聖霊力を祈りに乗せた。
 祭壇にある五柱の神の神像がほのかに光を放つ。
 光、火、水、風、土。
 順番に全ての神像が聖霊力を受け光を放ち、一度カッと光を放つと天へと立ち上り消える。
 祈りを終え神殿長に向き直ると、ポカンと口を開けて驚いていた。

「あの、いかがでしょうか?」

 声を掛けるとハッとしたが、驚きは冷めやらぬようで両腕を天に伸ばし「おお……」と感嘆の声を上げる。

「すべての神像が光り輝くとは……。素晴らしい、これほどの聖霊力を持つ神官を迎え入れることが出来るとは。神に感謝を!」

 何やら祈りを始めてしまった神殿長。
 とりあえず神官にはなれるようだったので、ティアリーゼは彼が落ち着くまで見守った。

 そう、ティアリーゼは元々聖霊力が多かったのだ。魔力よりも。

 聖霊力が多く、もとより聖女となる資質はあった。
 だが、魔力も申し分なかったため父であるベルンハルト公爵が早々に王太子との婚約を進めてしまったのだ。
 公爵家に生まれた者として致し方ないと神官になることを諦めていたが、まさかこのような形で願いが叶うとは……。

「人生、何があるか分からないものね」
「ピュイ?」

 呟きに、今までティアリーゼの肩に大人しく乗っていたピューラがくりんと頭を傾ける。
 可愛らしい仕草にほっこりして、ティアリーゼはその頭を指先で撫でながら神殿長が落ち着くのを待った。