幸せテロだ、と思った。
 
 璃仁が初めて写真投稿アプリを開いた高校の入学式の日、流れてくるとっておきの写真たちは、投稿主がどれだけ充実した日々を送っているか、映えるものを撮ることができるのかを強く主張していた。それがあまりに眩し過ぎて、璃仁はそっとアプリを閉じてしまおうかと思った。けれど、その中に見つけた「SHIO」の投稿にすっかり心を奪われてしまったのだ。

 その後もアプリを開く度に「SHIO」以外のユーザーの投稿は胸焼けのしそうなものばかりだった。「彼氏と三年記念日のお祝いにフレンチを食べに行きました」「サークルのメンバーと海!」「免許合宿、休日にみんなでBBQ」と、「煌めく自分」を前面に押し出してくる投稿が、次々と写真の海に流れてきた。自分がそれほど充実した毎日を送っていない分、誰かの幸せな投稿は鋭い刃のように璃仁の心臓を突き刺した。

 それなのに、「SHIO」の投稿を見るために璃仁はアプリを開き続けた。普通に考えれば、この「SHIO」の投稿だって「幸せのテロ」に他ならない。「SHIO」の投稿は自分自身が写ったものがほとんどだった。自分の容姿によっぽど自信があるのだろう。しかし、写真の中の「SHIO」はどれもどこかアンニュイな雰囲気が漂っていて、一度目にすると釘付けにされてしまうという魔力があった。キャピキャピした可愛い自分の姿ではなく、何かを思案するような表情、切なげな瞳、半開きになった唇が映し出された写真たちに、心を奪われているのはきっと璃仁だけじゃないんだろう。

田辺(たなべ)、お前何見てんの?」

 二年生の始業式から翌日、昼休みになっても二年四組の教室はまだどこかよそよそしい空気を纏っていた。しかし一年生から仲の良かった友人とすでにグループを作っている者、新しいメンバー同士で和気藹々と駄弁っている者もいる。社交性、外交的、協調性、という社会で生きていく上で必須となるスキルが璃仁の頭の中で泡のように浮かんではぱちんと弾けて消えていく。璃仁には生来そのどれも備え付けられていなかった。

 だが、そんな中で璃仁に話しかけてくる物好きなやつがいた。
 海藤良文(かいとうよしふみ)といって、一年生の時から同じクラスだった男子だ。中学の頃からラグビー部に所属していて、体格がいい。おまけに身長は180センチほどあるので、170センチ台の璃仁からすれば大男に見える。璃仁はスマホの上を滑らせていた指を止め、すぐさまスマホの電源ボタンを押した。画面はそれで真っ暗になったのだが、振り返って確認した海藤の目尻がきゅっと細くなり、璃仁をどう揶揄おうかと楽しみにしている様子だった。

「……別に、何も見てないけど」

「嘘つけ。なんかさっき、写真見てただろ?」

 海藤はたった今璃仁が見ていた「SHIO」の写真をどこまで目にしたんだろう。聞かなくても、意味ありげに歪んだ海藤の目がすべてを物語っていた。璃仁は胃の端っこを引き絞られるような気持ち悪さを覚えながら、どうやって彼の攻撃から逃れようかと頭の中はフル回転していた。

「俺が何を見ていたって、海藤には関係ないんじゃないか?」

 いつになく強気な発言が出てしまったのは、今日が二年生の始業式の翌日で、まだこの教室の中で自分を知っている者が少ないと分かっていたからだ。

「おやおや、そんなにムキになるってことはさあ、いかがわしい写真でも見てたんじゃねえのか?」

 いかがわしい写真。
 「SHIO」の投稿写真のどこが「いかがわしい」のかと言われれば、そんなところは一つもない。けれど、女の子のポートレート写真を陰で見ていた璃仁の行動は、「いかがわしい」のではないか。
 一度抱き始めた疑念を、目の前で悪意を滲ませる男に悟られないように、璃仁は口を噤む。しかしその反応が、海藤にとっては肯定の意にとられたらしい。

「うわあああ、否定しないんだ? やべえよこいつ。新学期早々女の子のいかがわしい写真を教室でニタニタしながら見てるなんてさあっ」

 海藤はわざと大きな声で璃仁を嘲笑した。決して“ニタニタ”しながら「SHIO」の写真を見ていたわけではないが、今そんなことを否定したところで意味はない。

 教室にいるクラスメイトたちが一斉に璃仁の方を振り返る。璃仁は視線の海から逃れるようにして首を垂れた。ヒソヒソと、誰かが囁く声が聞こえる。それが璃仁に対して投げかけられているものではないにしても、今の璃仁にはすべて自分を貶めるものに聞こえた。

 しばらくじっと耐えているとクラスメイトたちも海藤も璃仁を揶揄うことに飽きたのか、知らぬ間に視線は分散していた。新学期早々、失敗した、と璃仁は思った。どうして教室で「SHIO」の投稿なんか見ていたんだろう。数分前の自分の行動を呪いたくなる。けれど、今日この事件がなくても、近いうちに同じような状況に陥っていたような気もする。

 だって一年生の時も、中学生の時もそうだったから。