もうすぐ始まる4時間目の授業では「卒業式の展示品」を決めることになっていて、クラスのみんなは浮かれたように盛り上がっていた。



卒業式。



わたしにとってなんの思い入れもない高校生活の終わりを告げる「卒業式」だなんて、特別な意味など何もなくて、ただ単にみんなとのお別れをするだけの日、といったくらいの認識で本当にどうでもいい。


中学生の時も同じ。


卒業式の最中には涙を浮かべながらハンカチで目をおさえ、最後に行われたホームルームのあいさつの時となると声を振るわせながら、友だちとの最後のひと時を味わっているクラスメイトの姿を、ひとりで遠くからしらけた目で眺めていた。


学校生活なんて楽しくもなかったし、思い出と呼べるほどの記憶もなかったし、仲良くなった友だちすらいない。


卒業アルバムの最後のページにある寄せ書きコーナーだって、誰にも書いてもらっていないから白紙のままで、いまだに新品そのもの。


最後の晴れ姿を見にきてくれた両親に対して感謝の気持ちというよりも、むしろ申し訳なさの方がまさってしまい、まともに顔すら見ることができなかった。



そんな卒業式が、高校生活最後の日が、再びやってくる。



わたしは窓のそばに行き、中庭を覗いてみると、小さな雪がちらちらと舞い散っていた。


今降っている雪の季節が終わり、暖かな春が訪れる頃になると、わたしは今いる世界から抜け出すことができる。


寂しさとか悲しさとかいうよりも、開放感といった気持ちの方がつよい。





「ゆりなは卒業式、何するの? もし一緒にやりたいなら共同作業してあげてもいいけど」



みなみが相変わらず恩着せがましい言い方をしながら、わたしの前の席に座った。


ほんのりと甘い香水の香りが、手首からふんわりと空気中に舞う。


わたしは思わずみなみの手首を目で追ってしまった。



「あ、これ? いい香りでしょ? この前彼氏が誕生日プレゼントにってデパートで香水を買ってくれたの。こんなに高いの受け取れないって言ったんだけど、お祝いだからって」


「そうなんだね・・・・・・」


「あ、ごめん。ゆりなはこんなのには興味なんてないか。おしゃれとかそんなの関心なさそうだもんね」


「・・・・・・」



結局わたしに自慢話をしたかっただけなのだろうか。


みなみは呆れたような口調で最後の言葉を吐き捨てると、他の女子たちの輪の中へと消えていった。



あー、イライラする。鬱陶しい。



心の中では言いたいことはたくさんあるし、実際それを口に出していうことができれば、どれほど楽になれるだろう、と考えたりはするけれど、結局わたしは何も言い返すことができない。


唇をギュッと噛み締めて、スカートの裾を握りしめる。


爪が手のひらにキリキリと食い込んで、痛い。


あまりにもムカついたのでタオルに顔を押し当てていると、教室の後ろの方でよく響く笑い声が聞こえてきた。


タオルをずらして、そっと振り返ってみる。


女子に囲まれながらお腹を抱えて笑っているともやくんの姿が目にはいった。


こんなに騒いでいるのに、なぜだかともやくんの声は全く耳障りではなくて、見ているこっちまで笑顔にさせてくれるし幸せにもしてくれる。


ひとりでイライラとしている自分とは対照的なともやくんを、わたしはなぜか見つめてしまった。


自分は彼のことを意識しているのだろうか・・・・・・。


たった数回しか口を聞いたことなんてないのに、あの時の優しさがいまだに私の心の中で強く居座っている。


だけど、いつもともやくんと話す機会があったとしても、先に逃げ出してしまうのはわたし。


もう少し話をしてみたい、と思っているのに勝手に壁を作ってしまい、人を近づけないようにしてしまう。


ともやくんと親しく話している他の女子を見てしまうと、羨ましいって思ってしまうわたしは、とてもわがままなのかもしれない。



むしろ嫌われてしまっても当然なのかもしれない。



わたしは頬杖をついて、深いため息をついた。




キーンコーン、カーンコーン。




騒がしいこの世の騒音を、あっという間に消し去ってくれる、魔法のメロディーが教室にあるスピーカーから鳴り響いた。


後ろの方でロッカーにもたれかかって、駅前にできたパンケーキ屋さんの話で盛り上がっていたみなみたちも、話を途中で切り上げて自分の席に戻っている。


盗み聞きをしていたつもりはないけれど、みんなの声が大きいからいつも自然と耳に入ってくる。


だから、誰かと会話をするわけではないけれど、流行りの話題にはわたしでもなんとなくついていくことができる。


みなみは今度インスタグラムに投稿する写真のために、わざわざパンケーキを食べにいくらしい。


これがわたしがこの休み時間に得ることができた最新情報。


机の隅にシャーペンで小さく落書きをしては、消しゴムで消してゴミを地面に落とす。


そんな小学生じみたことを繰り返していると、担任の先生が教室に入ってきて、学級委員もしているみなみが待ち構えていたかのように教壇の前に立った。


こうやってみなみは先生の前になると、自分をよく見せる方法をちゃんと知っている。


ハキハキとした口調で卒業式の展示品についての説明を始めた。



「今年は卒業式に廊下に飾る展示品を準備したいと思っています。自分がやりたいものを個人で創作してもいいですし、何人かのグループを作り共同作業で行ってもかまいません。みなさん自分が創作してみたいものを発表してみてください」



クラスのみんなが前後左右の人と話し始め、教室中がガヤガヤと騒がしくなっていく。



「今までの行事の写真をデコレーションして貼り出すのはどう?」


「みんなで一言メッセージを寄せ書きして、その真ん中に先生の似顔絵を描こうよ」


「じゃあ、一緒にやろう」


「〇〇もこっちにきてよ。ねぇ、どんなことする?」



教室の中に島が浮かび上がったみたいに、いくつかのグループが自然にできて、それぞれがアイディアを出し合って盛り上がっている。


もちろんわたしに話しかけてくれる人は、ひとりもいない。



「そろそろ時間です。意見を出してください」



みなみが右手にチョークを持って、クラスの方を見渡しながら声をかけた。



「私たちグループはフォトアルバムを作ろうと思います」


「私たちは一言メッセージをクラスのみんなに書いてもらって、それをまとめたいと思います」



次々に上がる意見をみなみが黒板に書いていき、その下にメンバーの名前を付け加えていく。



「ゆりなは何したいの?」



ぼんやりと時計の針を眺めていたわたしは、突然名指しで質問を振られた。



「わたしは・・・・・・。パズルをします」



自分の意見など普段は絶対に発言しないわたしは、精一杯の声を振り絞って震える声で発表をした。



「マジで? パズルかよ。小さい子じゃあるまいし、まさかここでパズルとか発言するなんて、さすが根暗だよな」



静かに椅子に座って俯いていると、あちらこちらから笑い声と、冷ややかな視線が送られてくるのを感じた。



「もちろんゆりなはひとりでするんだよね? そのパズルを?」



みなみも笑いを堪えているのが、表情を見なくてもすぐにわかる。



「はい。ひとりでします」


「おい、マジであいつパズルするらしいよ。やばくない?」


「学校生活最後の思い出がひとりでパズルだなんて可哀想」



わたしの身体は小さく震えだしてしまい、息を深く吸い込むことができない。



いつもこう。毎回こうなる。わたしは何を発言しても、毎回みんなに笑われてしまう。



こんな風に悪く言われることなんて慣れているはずなのに、なぜだか今日は目元が潤んできて、瞬きをすると涙がこぼれ落ちそうになってくる。



ガタン。



わたしは勢いよく立ち上がると、まだ話の途中だったけれど、廊下に飛び出した。


咄嗟にその場から逃げ出したかっただけのつもりだったけれど、なぜか自然と向かったのは西棟の1番奥にある非常階段。


誰もいない、ひとりきりになれる場所に行きたかった。


鍵が閉められている屋上へと繋がっているこの階段は滅多に人が来ることはなくて、隅の方には掃除されることのない埃がパラパラと落ちている。


勢いよく階段を駆け上がり、わたしは踊り場の手すりをつかんだ。



わたしは何も悪いことなんてしてないのに、変なことは言ってないのに。


わたしが発言したっていうだけで、みんなに笑われてしまう。


声が気持ち悪いからだろうか、存在がうざいからだろうか、そもそもわたしなんかが学校に来るべきではないのだろうか。



瞬きをする度に目からは涙が溢れ、頬を伝って流れていくその涙を自分では止めることができない。



わたしなんてどうせ生きている意味なんてないよね・・・・・・。




トントントントン・・・・・・。



と、その時、非常階段を登ってくる足音が近づいてきた。


きっと突然教室から出ていったわたしのことに驚いた担任が、探しにでも来たのだろう。



「ゆりな」



制服の袖で涙を拭い、顔を上げるとそこにいたのはともやくんだった。


急いでわたしのあとを追いかけてきたのだろうか。ともやくんの吐く息は短くて、荒い。


サラサラと揺れる前髪はほんのり茶色くて、肩が上下に小さく揺れていた。


クラスで人気者の彼はいつもみんなに囲まれていて、笑っている姿しか見たことがない。


トイレに行く時もいつも誰かと一緒だし、ひとりでいるということなんてほとんどないんじゃないかっていうくらい、そんなクラスの人気者。


ともやくんがわたしの方を見つめているのはわかっていたけれど、泣き顔を見られたくなくてあえて視線を足下に落とした。



「ゆりな」



ともやくんはもう1度わたしの名前を、今度はさっきよりも力強く呼んだ。



「あんなやつのこと気にするなよ」



そう言いながらともやくんはわたしの隣にくると、肩を並べて手すりに肘をついた。


みなみがつけていた香水とはまた違う、男子が好みそうなすっきりとした香りが空気を舞って、わたしは目を閉じた。



「みんなひどいよな。あんな言い方ないのに。パズル、俺はいいと思うよ」


「いいよ。どうせいつものことだし慣れてるから」


「そんなのよくないよ。俺、あんな雰囲気嫌いなんだよね。ゆりなはパズルがしたかったんだろ? いいじゃんね、自分が好きなのをやったって」



ともやくんはいつでもこうやってみんなに話しかける。


クラスの人気者にも、先輩にも、後輩にも、先生にも。


誰にでも同じような態度で話しかけているし、だからみんなからも好かれている。


そういったともやくんだからわたしの気持ちなんかも知らないで、こんな風にいつもどおり気楽に話しかけて、ただ調子を伺おうとしているだけなのかもしれない。



本当は誰かに気にかけて欲しかったし、声をかけて欲しかったし、心配して欲しかったはずなのに・・・・・・。



なのに実際に話しかけられると素直になれなくて、人の裏ばかりをよんでしまい、勝手な被害妄想に陥ってしまう。



なんて自分、最低な人間なんだろう。



「ともやくんみたいに毎日友だちがたくさんいる人には、わたしの気持ちなんてわかるわけないよ。ついてこないで。ほっといてよ」



こんなこと心配して駆けつけてくれたともやくんに、言うべきではないはずなのに。


だけど、つい強がってしまって、思ってもいないことを口にしてしまったわたしは、ハッと口を押さえたけれど、そんなわたしよりもともやくんの方がもっと驚いていた。



「ごめん。こんなこと言うつもりではなかった。本当にごめん」



わたしは両手で顔を押さえながら、急いで非常階段を駆け降りた。


後悔とか、罪悪感とか、そういった気持ちよりも、自分の存在そのものを全てここから消し去ってしまいたい、そんな思いが込み上げてきて、これ以上ともやくんくん前に立っているだなんて、わたしにはできなかった。